2020年7月17日金曜日

人吉への支援物資はもう送らない方が良い様だ。 It seems better not to send relief supplies to Hitoyoshi area anymore.

 過去最大の降雨量で球磨川とその支流が複合型バックウォーターの氾濫を起こし、壊滅的被害を受けた人吉・球磨エリアだが、発生から10日が経ち、孤立集落はあるものの、人吉市内は水が引き、洪水の後片付けが始まったようだ。梅雨がまだ明けないので雨の中の普及作業で被災者は体力消耗が激しいのではないかと心配している。

 しかしコロナウイルス感染者の急増で戦々恐々の東京都に在っては、人吉市への支援をしようと思う気持ちは募るばかりだが、そろそろ全国からの支援物資は充分届いているようで、これ以上の支援物資を「良かれ」との思いと共にやたら送るのは「小さな親切大きな迷惑」に成りかねないようだ。

 というのも、支援物資を届けても、それが既に十分足りていて届いても余剰になってしまったり、それを保管・蓄積する場所も管理するマンパワーもなかったりするのだ。

 まず移動・運搬用の車の多くが水没で動かず不足していて、届いた物資の仕分け、保管、運搬が物理的に出来ないという事だろう。現場の詳しい状況が判らないので、推測で物資を送っては逆に迷惑になってしまいかねない。

 現在東京では海豚(いるか)という都内のお店が人吉市へのボランティア支援物質の集荷センターになっている様だ。しかし個人宅あてにこれらの物資を送っても実はあまり意味が無いことを今回学んだ。


 現地人吉で手に入りにくい「モノ」は何か訊いて、了解を取ってから送らないと、せっかく送っても迷惑がられてしまう。「良かれと思ったのに、何だよ!」とガッカリしかねない。

 このあたりは慎重に、慎重に行うが良かろうと思う。基本的に現在の人吉の人々の「空虚感、残念感、被害感、呆然感」あるいは何もなかったエリアの人々に対する「恨めしさ、やっかみ感」は暫く感情の高ぶりと共に収まるには時間が掛かろうと思うからだ。
 このあたりは「察する」事が必要だろう。「心配、想いの押し売り」は逆に恨みを買ってしまいかねない。被災者に寄り添うのも良いが、少し間をおいて離れることも重要だろう。

 一方で、今朝もTVのモーニングショウで歌手の「さだ まさし」が人吉市の松岡市長とテレワークで打ち合わせ、支援物資をいろいろ贈ったと報じられている。贈った中身は我々一般人にはとても無理な軽トラック3台など多岐にわたる。しかし主要物資の中にはTシャツ、タオルなど水害に見舞われた場合の基本不足物質がデン!と報道されていた。

 自分が送って「不要」とされた物資が,TVでは有名人から贈られて喜ばれているというこの現実の差に戸惑うばかりだ。有名人が贈るとこうなるのか?一般の人吉を想う人々が援助サポートしてきた人々はきっとその力の差にやるせなさを感じたのではないだろうか?

 筆者はほかに著名人がこういう災害に救援物資を送ったりサポートしているのを知っているが、そうした行為をこういった形で報道させない。させてはいけない理由は熊本地震の際の同様の件でよくお解りだろう?



災害支援は被災者の程度によって必需品とそうでないあっても迷惑なモノとの差が激しい様だ。発送する側にとってはそれが判らないのが悲しい。支援物質を受け取った側も手が足りず、仕分けも出来ず、必要者に配る手立ても時間もないのが現状だろう。熊本地震の時もあったが、せっかく送ったのに「こんなにやみくもに送ってきやがって・・。」という受け手の声をメディアに乗せてしまったマスコミもあって顰蹙を買ったものだ。

 今回の人吉でも同様の事が起きている事は想像に難くない。

筆者も色々あってしばらく静観しようと思った次第。ひょっとすると、コロナウイルス禍が収まらず、この後も二度とこのまま人吉へ行くことはなくなるかもしれない覚悟をし始めたところだ。今回の洪水は、ちょうど10年間で撮り溜めた人吉のヤマセミの生態画像を元に、まとめに入れという神のお告げのような気もしている。

 というような感じで今日も矢黒の崖で撮影したハヤブサの画像。

朴の仲間の花の横を飛ぶハヤブサ。朴系なのかオオヤマレンゲ系なのか不明。





赤い花の横を飛ぶハヤブサ。