2015年4月25日土曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #109.」 ヴァン ヂャケットの社内エピソード、入社3年目で海外出張.その5.

 このレコード屋に張り付いて頑張った夜は、それまでのナッシュビル中心部のライマン教会に代わり1年前新しく出来た会場(=グランド・オール・オプリー・ハウス)であの有名なC&Wミュージック・ライブショウ「グランド・オール・オプリー(=The Grand Ole Opry)」を観に行った・・・というより参加しに行った。」
 この模様はメンズクラブ#171号(1975年10月号)に筆者がレポートを5ページに渡り掲載したので「団塊世代」の方であればご覧になった方も居るかもしれない。
生まれて初めて雑誌に寄稿した、メンズクラブ171号。1975年10月号。

このグランド・オール・オプリーは1925年11月28日からナッシュビルのAMラジオ局WSMで放送開始され、現在でも続いているアメリカ最古のC&Wソングのライブ番組。この出張時は前・後半のステージの前半、なんとバックステージから観る事が出来たのだ。CMAの計らいで関係者指定席を頂いたものの、もっとC&Wミュージックを知ってほしいとバックステージに上げられたのだった。有名だろう歌手の子供さん等もステージ上のセットの椅子に座って親が歌っているのを聴いていた。其のうちの一人が手にソフトクリームを持ったままステージ上を走り回った挙句、ビッターン!と派手に転んで満員の観客が大喜びしたのを目の前で観る事が出来た。要はC&Wミュージックはアットホームで和気合い合いなのだ。
Grand ole opryのバックステージから名物。ロイ・エイカフのフィドロ(=バイオリン)を顎に乗せる妙技を撮影。向こう側は観客席。生涯の思い出になった。

 このバックステージに居る時に、司会者が満員の観客席に向かって「ニュージャージー州から来た人居るぅ?」と訊くと、ワーッと其の一団が総立ちで騒ぐ。また「オレゴン州から来た人は?」と訊くと其の一団がワーッと騒ぐ。で、UK(英国)は?フランスは?と訊いた後、「JAPAN?」と訊くので若林ヘッドと2名でバックステージから「ハーイ!」とやったらステージ上の皆が前に出ろ出ろ!といって2人ともステージのど真ん中に押し出されてしまった。司会者が日本の何処から?と訊くので若林ヘッドが「東京からこの素晴らしいグランド・オール・オプリーを日本人に紹介する為に来た!」と流暢な英語で話し、満場の大拍手を貰ったのだった。つまり立派に今回の出張は日米国際親善を達したわけだ。其の事を石津社長に報告したか否かは定かでない。返す返すも其の時VANのロゴを観客席に向かって掲げなかったのが失敗だった・・・・てそりゃ無理か?
帰国後メンズクラブ171号に執筆・レポートした記事にも載せたステージの様子。ブルーのスーツでフィドロを弾きながら唄っているのがロイ・エイカフ

 これらの模様はメンズクラブ#171号(1975年10月号)に掲載したとおりだがこのブログ上でも其の一部を画像紹介しよう。
雑誌メンズクラブのナッシュビル特集・扉ページ実際の行程と矢印は違っているがこの方が判り易かったのだろう。まるで雑誌に後で執筆するのを予測していたかのように看板等を撮影していた。

 このナッシュビルからネバダ州のフェニックス・スコッツディール、ラスベガスに飛んで更に色々な体験をした。まず砂漠の真ん中のスコッツディールではあまりの暑さに商店街の通路の上に庇のある場所から一歩も出られなかったことを想い出す。こういう場所でのテンガロンハットやソンブレロ等のツバの広い帽子の必要意味が非常に良く判った。
ピナクルピークという場所に有名なステーキ屋があり、其の天井に世界中から来たお客のネクタイが切り取られてぶら下がっている。お客は皆其の事を知っていてわざわざネクタイ着用でお店に来て切って貰うのを誇りにしている。名刺をつけて天井から下げるのだが果たして我々2名のネクタイがまだ在るか否かは判らない。
遠くにフェニックスの都会の灯を望みながらの夕焼け。サボテンがいかにも西部だった。

 次の晩はフェニックスの有名なローストビーフ(プライメア・リブとも称する)屋に連れて行ったもらったが、回転灯を回したパトカーが数台止まっていてお店は数分前に閉店になったらしい。何でも店で客の一人が銃で撃たれて病院に担ぎ込まれたらしい。其の直後だったのだ。まるでアメリカのTV番組そのままのような現場に遭遇してしまった訳だ。正直この時ばかりはちょっと驚いた。

 ラスベガスに移動した後はホテルのディナーショウを観る事になっていた。此処で知ったのが、いわゆるミュージシャンには踊って会話で笑わせて唄も上手いというお客を楽しませ飽きさせないエンターテイナーというタイプと、あくまでレコードの売り上げと少しのライブ演奏がメインというレコーディング・アーティストという2種類のタイプに分けられていて、アメリカでは前者のエンターテイナーが尊敬されているという事だった。芸能人としてもエンターテイオナーの方が地位が高かったらしい。前者の筆頭がサミー・デイビス・ジュニア、ジーン・ケリーなどで後者の筆頭がエルビス・プレスリーだろう。マイケル・ジャクソンがヒット曲以上に評価されているのもこの点がポイントかもしれない。
 この時のディナーショウは前座がオリビア・ニュートン・ジョン、メイン(トリ)がSmothers Brothers(=スモーザース・ブラザース(窒息兄弟)という全然知らないコメディアン音楽師だった。何でも「Colorfull Black」などという日本語でも判りそうな冗談・ギャグを持っているらしい。「色彩豊かな真っ黒?」って事なのだろう。確かレコードも出ていたような気がする。
カントリー・ソングで出てきたオリビア・ニュートン・ジョンだった。

 このラスベガスでは生まれて初めてルーレットをお金を掛けてやってみた。ラスベガスの空港へ行く直前、バス待ちの20分を使ってやったのだが、細かい数字には賭けず黒か赤か、上半分か下半分かという大雑把な賭け方だった。事前に見物していた時の確率を覚えていて賭けたのだが、何と15分間に200ドルも儲かってしまった。驚いたのはチップがプラスティックのカラフルなチップではなくアイゼンハワーの横顔が描かれたあの重たい1ドル銀貨だった。あんなものポケットに入れて歩いたら直ぐに穴があくだろう?

 だから全米の1ドル銀貨は殆どがラスベガスに集まっているらしい。換金してバス停で待ち合わせた若林ヘッドと集合した際この話をしたらムスッとしてしまった。スッたらしい。確か其の次のロサンゼルスの夕食代をご馳走したような覚えがあるが定かではない。
 LAでは星条旗がデザインされたアルミの大きなトランクを買い入れ荷物を1つにまとめたが空港でオーバーチャージを徴収された記憶がある。このLAで初めてタワーレコードというレコード屋さんに入った。
LAのタワーレコード。まだ日本には進出していなかった。

 サンセット大通りの丘の中腹にあってさほど大きなお店ではなかったが黄色に赤のロゴは印象深かった。近所にジョニー・リヴァースで超有名になったWhisky A GO GOが在ったのを覚えている。オーガニック、つまり菜食主義専門のお店があちこちに出来始めていて印象的だった。