2021年9月7日火曜日

フクロウ・シリーズ、今度は熊本市内でアオバズク。 The owl series, next one the short-eared owl the Northern boobook of Kumamoto.

  朝からテレビのニュースショウは、政治評論家が稼ぎ時とばかり、あーでもない、こーでもないと、とっておき情報を小出しにしているが、1日に幾度も変わる政界情報に、「こうなるでしょう!」と断言できる者が一人も居ない。いわば釣り見物の八っあん熊さんと何ら変わらない。

 こうなったまでの不確定要素が多く推測の域を出ない裏話など、いくら聴いても何の役にも立たない。これから先がどうなるかが問題なのだ。

 しかし新聞による「次期首相期待度」民間アンケートを観ても、設問そのものがメチャクチャだ。

よくもまあ抜け抜けとこういった記事を出せるものだ。 

 よく考えて欲しい、「次の首相にふさわしい人」アンケート内容を訊く相手は一般の普通の人達だ。そういう人たちが総裁(首相)候補の政治家一人一人についての、「政策、指導力、改革意欲、発信力、国際感覚‥」などをモノサシもないのにどれだけ知っていると思っているのだろう?
 プロの政治評論家だって確実に自信をもってこの政治家の~は、などと言えないのではないだろうか?

 一般人はせいぜい設問の「人柄が信頼できる」「他の人よりまし」程度の質問にしか答えられないのではないだろうか?こんな状況下で正確なアンケート結果など出る訳がない。


 俗世界の話はこの辺で、レギュラーの野鳥ブログ、本日はアオバズク。場所は熊本市内の市街地の緑地帯。自宅のある東京三鷹でも高圧線の高さ20m程の所に居るのを幾度か見かけた。

 ただしこの野鳥、コミミズクやフクロウよりも見た目その眼力が鋭いので、あまり見入ってはいけない。何度も言うがこの目を見過ぎて夜寝付けない…という友人を幾人も知っておる。
都市部にある緑地帯の中を進むと鋭い目線を感じ、見上げたらアオバズクが居た!

そばに寄っても睨まれたが全然動じない。

そのうち慣れてくると、近くにもう一羽いるのを発見。

更に進むと羽毛にくるまれたヒナを発見!

よく見たら二羽、三羽と気が付いて・・・。

気が付いたら8個の目玉でジーッと見られていて、ちょっとビビった。

別の場所で出遭ったアオバズクのヒナ。

動作を見て思わず笑ってしまう。

いわゆる天使の羽根?

何度も披露してくれた。

2021年9月6日月曜日

フクロウ・シリーズ、次は北関東でコミミズク。 The owl series, next one the short-eared owl at Northern Kantoh grassland.

  昨日のブログで触れなかった面白い話を一つ。

 昨日、地下鉄に乗っていて車内吊り広告に週刊新潮のものが下がっていた。さすがに突然の菅総理の不出馬宣言のニュースは今週号に間に合わなかったと見えて、間の抜けた「まだスッタモンダ中の菅総理のあがき・・。」の見出しが載った車内吊り広告だった。

今日9月5日の地下鉄に掲載された車内吊り広告。

 で、競合の週刊文集はどんな見出しだろうと思って探したが、何処にも無い!さすがに既に不出馬ニュースがTV、ネット上で駆け巡っているのに間の抜けた「過去の古い情報」見出しの広告を出すわけにはいかぬと掲載キャンセルしたのかと思った。

 そうしてネットで調べたら、週刊文春は先月8月28日売りの号から電車の車内吊り広告を止めたという記事が目に飛び込んできた。新潮の方は九月いっぱいで止めるという。

 なんと悪運の強い「文春砲!」知ってたんじゃなかろうか?と疑うような出来事。しかし広告代理店勤務の長かった筆者的には、一つの広告界の転換時の出来事に直遭遇出来て幸せ。これって、広告の世界で言えば幕末に皆がちょんまげを切ってザンバラ髪に成ったとか、刀を差すことを止めた・・などと言う変化に等しい。

 しかし、時代は確実に変わりつつある。すでに通勤電車(地下鉄を含む)はモニターによる動画広告の時代になり、昔ながらの車内吊り広告のポスターを下げる機能が一切無い車両が出現している。椅子も昔で言えば映画館の椅子より立派なものが出始めている。通勤車両は次の世代に変わりつつあるのだ。

東京の地下鉄の一部車両には既に車内吊りの広告スペースが無くなった。

椅子も一人掛けの映画館スタイルだ。

 週が変わって、レギュラーのブログは「フクロウシリーズ」の続編。コミミズクー2。

 今回は東京から車で2時間半の北関東の草地で遭遇したコミミズク。

この日は夕方の遭遇。

夕陽を浴びて逆光で杭とまり。

殆ど後ろ向きだったが2カットだけこっち向いてくれた。

採餌フライトは注意深く追わないと、いつ何処で茂みに消えるか判らない。

枯れ葦ギリギリに飛翔。

時には二羽で乱れ飛ぶコミミズク。

2021年9月5日日曜日

団塊世代は新しい考え方の内閣を期待したい。 The baby boomer generation wants to expect a new way of thinking about the cabinet.

  菅総理が退陣を宣言してたった1日で、メディア・マスコミは「次は誰?」状態に突入し、誰が推薦人を集め始めただの、派閥のボスに了解を取りに行っただの、かまびすしいが、日本のこれからを担う人を選ぶ騒ぎとしては本質を大きく外れているような気がしてならない。

 辞めざるを得なかった菅首相にしても、四面楚歌、信頼した仲間に裏切られて失意の辞任だろうから、相当な恨みを抱えていると思われる。長年権威・権力を保持し優越感で一杯の流れに乗って生きてきた人間だから、こういう叩かれっぱなしの辞め方ではもの凄い恨みとストレスを抱えているはずだ。

 特にメディア・マスコミ、味方だと思っていた自民党首脳部への怨念は相当なものがあると思われる。今後その意趣返しがどのような形で現れるか注視したい。オリンピックを強行せざるを得なかった理由の暴露など、あっと驚く事実が出てくるかもしれない。

 携帯料金値下げ(筆者もこれのお陰でついにガラケーからスマホに替えた)、コロナワクチンの接種スピード化、その他色々他の為政者では出来なかった国民から大いに喜ばれる事もやった一方、世界のメディアや国民(特に首都圏)の大半が反対したオリンピックの開催を強行したり、「聞く耳を持たぬ」強引さが良い面と悪い面双方に際立つ為政者だった。

 この先メディアでは、しばらくして菅首相に関して「良い評価」とそうでない「悪い評価」が色々出てくるだろう。

 この先は「次」への展望に眼を転じてみたい。

 今の所次期総裁(=首相)への民間アンケートを観ても、単なるメディア報道を鵜呑みにした人気投票でしかない。歌手や映画俳優、タレントの人気投票ではないのだ。しかし、実際投票する自民党の人たちもどれだけ投票相手の中身を知っているのだろう?はなはだ疑問だ。

 ここに西日本新聞社の調査結果がある。東京の読売や朝日がやっても大差ないように思うが如何だろう? 


メディアの報道しか情報源の無い一般人が選んだ結果がこれだ。

 石破元幹事長が民間人の間ではずいぶん前からトップだそうだ。二位以下は観ての通り。盛んにニュースに出てくる茂木外相、加藤官房長官、下村博文などはビリに近い。あくまでメディアでの物言いなどのイメージから来るものだろう。候補の能力・スキル・人間性など中身などまるで判っていない状態での好き嫌い投票に近いと思って良い。

 一方の8月末調査ではしばらく前から河野太郎氏がトップだ。

https://www.iza.ne.jp/article/20210823-BBV3MKN4IZLPRLIGPQLYKNJOZU/?utm_source=yahoo%20news%20feed&utm_medium=referral&utm_campaign=related_link

 また一方では高市早苗氏が凄い勢いで赤丸付き上昇中だ!

https://www.iza.ne.jp/article/20210821-IZBPLUAWHVNVLO6Z2H5JVEJVJQ/?obtp_src=www.iza.ne.jp

 しかし、実際の所は自民党が生き残るための「選挙の顔」としての総裁選びに徹するはずだから、派閥がどうの勝ち馬に乗らねば・・ではなく、すぐ先に控えた自分の衆院選挙の際張り出すポスターで一緒に写る「自民党総裁」がどれだけ国民の人気を取れるか?の価値観で決めようとするだろう。

 そういう意味からすると、民間の人気アンケートの結果もまんざら無視できない所か?

 一方で、こういう危惧もある。かって良く行われてきた派閥の数だ、顔の広さだ、当選回数だので総裁・総理を選んでしまって、本当に我が国を引っ張っていき、世界と対等に渡り合えると思っているのだろうか?特にテレビによく出てくる政治評論家の人たちに訊きたい。

 自民党の地方党員も議員も、国の代表をそんなもので選んでいいのだろうか?今まではそれで良かったかもしれないが、地球規模での気象変化、新型コロナ感染症との闘いの中で、世界各国と話し合い・交渉を繰り返し生き残らなければならない中でTOPをそんな派閥だの人柄だのメディアの報ずるままの雰囲気で決めて良い訳がないと筆者は思う。

 一番だらしないのがこの政治評論家と言われる御仁たちだ。誰が誰とつるんでいるからとか、Aが立てばBとその一派が良い顔しない・・だの政治の世界の事情通の裏話を「実は・・」と、得意げに披露するだけで、今の日本にはどういった政治家とどういう政治実務が必要なのか・・などとは一言も触れない、と言うより判らないのだろう?

 このブログは勝手に団塊世代がぼやいて投稿する「私事の世界」。筆者なりの新しい総裁選び・首相選びの条件を定めて人材チェックをしてみた。

➀ 語学スキルが充分にある事。少なくとも日常会話は不自由しない、外人に対するコミュニケーション・コンプレックスもない事。(菅氏はこの点で完全に落第)

② ITスキルが充分にあり、パソコンを駆使し、テレワークとオンライン会議の違いを知っている事。

③ 欧米のビジネス常識・生活儀礼マナーを知っている事。

④ 政治以外に何か専門領域なり実績を持っている事。


・・・以上のポイントから先出のメンバーなり、他の政治家から次期総裁候補や組閣した場合の適任者を勝手に選ぶとこうなった。あくまで個人的考えだが。

➀内閣総理大臣⇒河野太郎 英語力、海外経験、ITスキル全てにおいて及第点。

②自民党幹事長⇒石破 茂 英語力不十分も国内でベテランと若手の繋ぎ手として党内をまとめることが可能。大手派閥に属さず組織の枠にとらわれない。外人との交渉には不向き。縁の下の実務で力を発揮できるはず。名誉欲に囚われなければ最強の幹事長たり得る。

③内閣官房長官⇒小泉進次郎 英語力充分、実務力は無いものの、毎日メディアに登場することで国民、特に若手を味方につける意味において政府広報隊長となれる。

④外務大臣  ⇒高市早苗 彼女が米国議会で2年間働いた事を知るものは少ない。西欧人との交渉・癖、社交上の常識、語学スキル。これらの分野で野田聖子、稲田朋美、小池百合子以上の経験を積んでいる事をメディアは今まで報じてきていない。

 このほか岸田文雄氏がその語学力を生かして、厚労大臣(コロナ担当兼任)もしくは環境大臣で活躍すれば世界と対等の交渉が出来るのではないだろうか?

 要は英語を不自由なくしゃべれて、外人要人たちと臆さず対等に渡り合えれば腰抜け外務省の官僚たちに実務を丸投げせずとも我が国の国益になる政治活動ができるのではなかろうか?

 もはや世の中は親分・子分や先輩・後輩の仁義の世界で物事が進んでいく時代ではない。同じ狭い派閥や党内の組織の「狭い世界の常識・ルール」でもめているようでは、どんどん世界から置いて行かれてしまう。

 特に何かにつけ群れたがる日本人。一匹狼ではないが個人の実力・経験・向上心で協調性をもって実務をこなせる「中身のある実力政治家」を選ぶ時期に来ているのだと思うが如何だろう?

 今までの政界の様に当選何回で何処派閥だから・・・と、エスカレーターのごとく大臣の席が回ってくるのを待つ「大臣心待ち」の、中身のない形だけの政治家が大臣を務めるようでは明日の日本などまるで期待できまい?

 さてさて、メディアはこの後どういった方向で総裁選の報道を行っていくだろう?同時に推薦人たち、自民党の議員・党員たちが何を考え何を根拠に総裁を選んでいくだろう?久しぶりに派閥争いではない個人の魅力での総裁選が行われることを期待したい。


2021年9月4日土曜日

緊急レポート、団塊世代の菅総理、やはり首相の器では無かった? Urgent report, Prime Minister Suga of the baby boomer generation, was not enough the prime minister's qualification.

  9月に成るかならないかの1日で、前の日まで大合唱していたセミの鳴き声がピターっと止み、一晩で虫の大合唱が聴こえるようになった。これほどの自然急変は未だ経験したことが無い。これに合わせたのか、現職の総理大臣が突然辞めるという・・。

9月3日(金)の読売夕刊

今朝9月4日(土)の読売朝刊

 四面楚歌、打つ手も無くなり「詰み」で辞任するという。なぜこうなったかの分析はメディア大騒ぎで連日報道発信するだろうから、此処ではあまり触れないが、こうなった一番の責任は間違いなく昨年の総裁選で一斉に菅義偉氏に投票した自民党議員にある。

 普段国民より近い位置に居ながら、菅義偉氏の性格・技量・能力を見誤った自民党の国会議員たちの責任は非常に大きい。派閥グループの力で一気に「首相に適さない人間」を押し上げてしまった自民党議員たちは、江戸時代の百姓一揆とほとんど変わらない。

 しかし、俗っぽく言えば首相に成った直後から一般国民やメディアが「言動が首相の器ではない」とSNSで発信した通りに成ったような気がする。国民の直感・勘は恐ろしい。

ここ最近の記者会見は観ていられなかった。

 一部のメディアでは数週間前から「菅おろしが激しくなった・・。」と噂には成っていたし、横浜市長選挙で強敵小此木八郎氏を負かした「ハマのドン藤木氏」が選挙直後述べた「これで菅首相は辞めるんじゃないの?」辞めないと自民党は次の選挙で勝てないよ?‥‥と言った通りになった。ハマのドンは自民党のベテラン議員達よりはるかに先を読める人だ。

ハマのドンの言った通りとなった。

 筆者は菅首相と同い年だし、横浜にご縁があるので当初は少し期待したものの、2週間ほどしか応援する気持ちが持たなかったことを今想い返している。

http://yamasemiweb.blogspot.com/2020/10/prime-minister-suga-of-baby-boomer.html

 上記ブログは菅総理がなり立ての頃、筆者とのかかわりを投稿したもの。もうこの頃既に高学歴の官僚や実力者たちへの「権力を笠に着た上から高圧的言動」「意趣返し的言動」を危惧していたのだが、メディア報道のあちこちにその事が出始めた頃から、今日の日がそう遠くないかも知れないと思っていた。

http://yamasemiweb.blogspot.com/2021/01/2020tokyothe-embarrassment-of-being.html

 この今年1月23日のブログで書いた「無責任で強引だった安倍内閣の『伝令担当』でしかなかった官房長官の役割と、野党や記者たちの鋭い突っ込みに臨機応変に対応しなければいけない『首相』というそれが如何に違うものか、今頃菅義偉氏は『しまった!やっぱり俺にはこの仕事は無理だったな・・。』と思っているに違いない。当の昔に周りの取り巻きがそう思っている事はメディアの報道で国民の多くは知ってしまっている。」が、そのまま8か月後に現実の辞任に成ってしまったわけだ。

http://yamasemiweb.blogspot.com/2021/01/looking-at-recent-newspaper-articles.html

 あれだけ国内外のメディア、国民が反対したオリンピックを強引に開催したことで、第5次感染拡大が進み、自宅療養(事実上放置)の患者が重症化して亡くなる案件が増えた。

 こうなる事は予想できたし、感染症素人の筆者もオリンピック選手村を臨時の野戦病院化して・・と1月30日に投稿している。この時点でオリンピックの再延期もしくは中止を決断し選手村をコロナ専用病棟化すれば、今頃「日本の救世主」となって長期安泰だったのだろうが・・。

 先を読めない、優柔不断、決断の遅さ、人を見る眼(要人への登用失敗の連続)・・・どれをとってもやはり首相の器では無かった様だ。残念。

2021年9月3日金曜日

フクロウ・シリーズ、最初は阿蘇山麓でコミミズク。 The owl series, first one the short-eared owl at the foot of Mt. Aso.

  いつものヤマセミ以上の反応が在ったフクロウに関してのブログ。それぞれ出遭った場所ごとに追ってシリーズとしてみたい。

 いわゆるミミズクを含めたフクロウというジャンルの野鳥に出遭ったのは、最初が熊本市内の神社境内に営巣しているアオバズクだった。これは熊本にお住いの野鳥に関する大先輩に教えて頂いての出遭いだった。

 この7月に惜しくも亡くなってしまった横国大時代の恩師・故宮脇昭先生も良くおっしゃっていた。全国至る所にある神社・鎮守の森は日本の昔からの緑化・生活を守る植物域として野鳥も住み着き繁殖する大切なグリーン領域なのだと・・・。

 人吉の球磨川沿いにある神社ではヤマセミが繁殖・育雛している…といった具合で、野鳥にとって鎮守の森は大切な緑地帯なのだ。

 今日のコミミズクは人間の生活領域にある神社の森ではなく自然界の大森林地帯・高原・牧草地なのだが、夕方の夕陽に映えて解りやすい撮影が出来たと思っている。

3度ほど急降下してのネズミなどの獲物をゲットしていた。


横からの夕陽、後ろは高い針葉樹。撮影条件は良かった。


周回しながら二度ほどすぐ近くを通過した。

最初に個のコマを観た際は、捨てカットにしたほどの逆光画像だった。




枝留まりもそう長い時間ではないが、やはり飛んでいてこそ野鳥だと思う。

1月の阿蘇は風が強い場合はこのような撮影はまず出来ない。ラッキーだった。

2021年9月2日木曜日

団塊世代はフクロウ撮影には色々な想い出があるのだ。 The baby boomer generation has various memories of the owl photographing.

  昨日から9月に入り、いきなり日中の最高気温が1週間前の日の最低気温より低いという激しい気温低下で、しかも雨降りだから外出する気になど全く成れない。

 宮崎 学氏の写真展でフクロウを見て、自分の過去のフクロウとの出遭いを想い出した。過去7カ所で計8回の遭遇だが大きく分けて3種類に成ると思う。

 場所的には九州で4か所(阿蘇・熊本市内)、本州で3か所(関東エリア)いずれも早朝から夕方日没直前まで幅広いが夜間だけは無い。三鷹の自宅の近所・住宅街でも遭遇している。

 本来フクロウは夜行性なのだが、実際採餌行動は日の出直後、日没直前が多いのは何故だろう?種類に寄るか否かは不明。

 とりあえず今日はその遭遇した際の代表的画像のみご紹介。


まずは奥日光での早朝遭遇。昨日アップした個体と同じ個体。


阿蘇山中でコミミズク。日没直前の採餌行動。

此処からは九州でのアオバズク系

繁殖後期でヒナが巣立って親と同居中の観察。

フクロウ系、特にアオバズクはあまり丹念に見入らない方が良い。筆者の写真を見て、どうしても夜寝られなくなったという友人を知っている。寝付きの悪い人は観ちゃダメ!

2021年9月1日水曜日

団塊世代は野生動物撮影に関していろいろ思う所あり。 The baby boomer generation has a lot to think about wildlife photography.

  自然界の生き物をやたら撮影し始めて15年が経った。勿論、15年くらいで偉そうな事は言えないのだが、手探りで野生の生き物を撮影して、お手本となるプロの野生生物写真家の作品や撮影手法を見るにつけ、撮影方法に関して自分なりの考えを持つようになった事に気が付いた。

 今まで自然界の生き物を撮影するにあたって、その作品に感動するとともに勝手に学ばせてもらっている写真家さんが二人居る。故・星野道夫氏と嶋田 忠氏だ。

2年前のTOP MUSEUM東京写真美術館での「野生の瞬間」展で。多分同学年。

野鳥に関しての写真家さんとしては我が国の第一人者。

2013年市川市での写真展で。

彼の同窓生に教わらなければ知らない人だった。クマに喰われるまで執着した超人。

 いずれも自然界のプロ写真家としては世界的な方々で、学ぶことは山ほどあるのだが、アマチュアの筆者が真似しようにも、できる事と出来ない事がある。今までその境目を自分で理解しながら自分の撮影スタイルを造ってきたつもりだ。勿論、「実力・センス・技量」はじめその世界で生きていく「覚悟」において一個人の筆者とは決定的な差があるし、物理的な資金力も人脈・コネクションに関しても雲泥の差であることはどうしようもない事実。

 しかし!自分自身が予想通りの成果を上げられた時!あるいは思いもしない凄い生態の瞬間を収録できた際の有頂天の喜びは、プロもアマ、つまり彼等と筆者もそう大差ないと思っている。

 野鳥なり昆虫の動きを観察していて、次に起こる生態を学術上・経験上から予測し、カメラをそれなりにセットして構え、ファインダーを覗いて「その瞬間!」が撮れた時の何とも言えない達成感・充実感は大変なものがある。

 たとえば、撮影現場から宿舎の部屋までずーっとレッドカーペットの上を凱旋行進するような感じだ。

 多分、これを感じられた事のある方は決して少なくないだろう。自然の生き物にレンズを向ける者、誰もが公平に持って良い喜びの瞬間だ。

 故・星野道夫氏の作品群、写真集を観ても作品ごとにそれを感ずることが多い。嶋田忠氏の作品群は同じヤマセミなど鳥類が多いため、余計似たような同じような感動・喜びを得られているに違いないと確信する次第だ。勿論その回数は筆者の何倍にもなるだろうが・・・。

 しかし、今回TOP MUSEUM東京都写真美術館で観た宮崎学氏の「イマドキの生き物」写真展を観て、そういった撮った瞬間の感動、被写体から迫り来る「対峙した緊張感」をあまり感じなかったので「何故だ?」と不思議に思い、続けて二度も観に行ってしまった。

 で、判ったのがセンサーで生き物の動きを察知し自動撮影方法で撮った作品が多かったためだという事がおぼろげながら判った。

 簡単に言えば、いわゆる最近玄関にセンサー付きで明かりがいきなり灯る防犯ライトのようなもので、暗闇で動く生き物がセンサーで捉えられるとライトが付いて撮影される・・という自動撮影装置。

 よくカメラメーカーが広告宣伝に使ったスタイルと同じだ。遠くからレンズ目がけてフクロウが飛んで来るという映像。これなどは自動撮影システムに加えレンズの前に生餌を置いて撮影したのではないかと思われる。どんなにギリースーツ(狙撃兵が着用する完全カモフラージュ服)を着て待っていても、いきなりフクロウがレンズ目がけて降りては来まい?

筆者が球磨川流域で良く着用するギリースーツ。

 ファインダーを通じて息を殺して対峙する野生の生き物との駆け引きや、思いもかけない生態の瞬間の画像が今回の写真展では少ないように思えるのだ。撮ったぁー!ではなく、撮れてた…に近い作品が多いのだ。作品と言って良いかどうかわからないが・・。

 野生の生き物の生態の殆んどは、行わねば生きていけない採餌行動、縄張り保持行動(闘い)、繁殖活動、身づくろい、天敵からの身の保全・・などが主なものだが、そういった生態の行動の瞬間画像が少ないと感じたのだ。

 例えば、フクロウでも採餌の瞬間、餌物を咥えてカメラに気が付いた瞬間の獰猛な目つき・‥などが感じられなかったのはとても残念だった。

筆者が2018年奥日光で対峙したフクロウの日中採餌シーン。餌物はネズミ。

レンズに気が付いて睨まれた時の獰猛な眼付は背筋が凍った気がした。

 宮崎学氏のフクロウの一部はブラインドに身を潜めての直撮影だと想像したが、それ以外の夜行動物のもろもろの生態は自動撮影だろう、写真的に素晴らしい絵になる「瞬間」は在るのだが、撮影者が野性と直接対峙した「息詰まる瞬間」が少ないように感じた。


 嶋田忠氏の撮るヤマセミはどれもやはり緊張感のある1カットという気がする。直にファインダーを覗いて対峙しなければ撮れない瞬間だ。 

ここからが今回のTOP MUSEUMの写真展。

宮崎学氏も団塊世代の一歳下・・・かな?

センサー自動撮影システムによる撮影なので夜行行動の画像が多くなってしまう。

自動撮影の場合縦横無尽に動く生き物を追尾するのは難しい。

どうしてもカメラを中心に前後の動きが主になってしまう。

 テーマごとに色々な撮り方もしているが、夜行の動物自動撮影の作品と、都会で人間と共存する動物たちの生態との落差が気になる写真展だった。