2025年2月19日水曜日

団塊世代の写真展開催レポート その3.Report on the Baby Boomer Photo Exhibition: Part 3.

  今日のブログは非常に個人的なものになってしまい申し訳ないが、今回写真展自体が「個展」だし、振り返ってのブログも非常に個人的な内容になってしまう事をお許し願いたい。

 筆者が八代市の太田郷小学校を卒業して隣の八代二中に入った昭和36年、つまり1961年はジョン・F・ケネディが米国大統領になった年。そのほかガガーリンが世界で最初の宇宙飛行を行い、ベルリンの壁が出来た年。米原潜ノーチラス号が北極の氷(50~80㎝厚しかない)を突き破って北極点に浮上したりもしている。

 その八代二中時代のクラスメートに25年振りくらいで再々会できたのも、この珈琲店ミックさんでの写真展のお陰。

 1955~60年の北九州小倉市時代、当時の福岡学芸大学附属小倉小学校時代のクラスメートには、今回八代から帰京する際も小倉に立ち寄ってお茶会を開催し三名と逢ったが、2001年以降5~6回はクラス会を開催(東京・小倉)して交流できている。

 しかし、八代のクラスメートにはそうなかなか逢えるものではない。八代二中の同期同士(著名政治家の秘書と日本航空のCA)で結婚し、現在は地元で花屋を営んでいる親友には八代に泊まる際は必ず会って食事をするが、それ以外のクラスメート・旧友とはそう簡単には会えなかった。

 それが、やはり今回写真展のPR⇒告知の威力(すべて企画・運営ディレクターの笠井麻衣さんのお陰)だろうか?数多くの友が珈琲店ミックさんへ来てくれて、再会を喜び合えたのは予期せぬ喜びだった。

 特に「彦一最中」で有名な彦一本舗の飯田哲氏は、今までも色々なご縁で繋がっていて振り返ってみると、今回も顔の広い彼のお陰で多くの旧友と再会できた。

 2002年の全国菓子博覧会くまもとで彼が重職を務めた際、運営方の広告代理店社員でありながら、名誉総裁の三笠宮家の寛仁親王殿下の命で招待参加した際の再会など、比較的交流のチャンスは多かった。

左から山際洋徳氏(現・松井文庫事務長)、筆者、飯田哲氏(現・FMやつしろパーソナリティなど)今回写真展の開催中撮影2025年2月

左から2002年の山際洋徳氏(当時八代市商政観光課長)飯田哲氏(当時熊本県菓子連合会副会長)筆者(博報堂プロデューサー)自分の変化し過ぎに驚愕!

今回FMやつしろの生番組にゲストで呼ばれた際再会し、公共電波を使ってミニクラス会をやってしまった。左から番組のコメンテーター飯田哲氏、八代二中1年11組のクラスメート岩崎久氏、筆者。今回2025年2月10日番組出演中のスナップ。

2001年、鹿児島加世田市(現南さつま市)での世界室内自転車競技選手権大会運営準備で八代に立ち寄った際集まってくれた際のスナップ。左から筆者、岩崎氏、飯田哲氏

一番コミュニケーション回数の多いメンバー、今回写真展会場での八代二中1年11組別メンバー(一人は同期別クラス)

 2001年より前、鹿児島加世田市(現南さつま市)での世界室内自転車競技選手権大会運営準備で八代に立ち寄った際集まってくれた際のスナップ。天候荒天で鹿児島ー福岡間のANAが飛ばず、陸路鹿児島本線(現・肥薩おれんじ鉄道)の特急つばめで球磨川を渡った際、八代市の夜景に思わず驚き、スタッフと分かれて下車し懐かしの八代市に降り立ったのが今回写真展に繋がる一大物語の最初の一歩。

 駅前の珈琲店ミックへ入り、公衆電話の下の部厚い電話帳を繰って一番覚えていた「多武利明」氏を探し出し、携帯で電話したのがすべての始まり・・・。

 上の写真は、その夜多武氏の自宅に呼ばれ35年振りに再会した八代二中1年11組のメンバー。2つ上の写真が今回写真展での同じメンバー。

筆者の早稲田大学の研究員と同様に、現役卒業後(名門平田機工)熊本大学工学部で研究室に入り各種研究した中川氏(八代二中同期・十條製紙社宅在住)今回熊本市東区からわざわざ写真展会場に来てくれた。

同君とは2002年頃、八代二中時代の恩師、故・小沢利満先生(鉄道研究に関して日本の第一人者)宅を訪問した際のスナップ。

 

 振り返ってみると、2001~2年頃中一の12~3歳頃以来38年振りの再会から始まって、今回さらにその後23年ほど経っての再々会は大きな感動を覚えた。

 「写真」というものの効果はこういった経年変化を色々な意味で確認できる面白いものだと思う。