2024年10月29日火曜日

秋のオオルリに出遭ったことがあるだろうか? Have you ever encountered an Blue-and-White Flycatcher in the fall?

  クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのヒット曲に「雨を見たかい?=Have you ever seen a rain?」というのがある。今日のこのブログのタイトルはまさにそれだ。

 秋になってオオルリを見たかい? 見たのだ。初夏にも出逢った都内の緑地で。

 誰もが気が付いているが、今年は季節がおかしい。彼岸花が1か月遅れで咲いたり、10月も終わりだというのにザクロの花やユリの花が咲くなど植物が一番正直に反応している。

同じ様に渡り鳥も面食らったように、いつもの年のようではない。集団での移動時期も違えばコースも違う。都心の緑地に滅多に観ない旅鳥が居た。 

秋と言えば萩だ。この季節になると旅鳥をよく見かける。

飛んでいても胸の縦縞でエゾビタキとすぐ分かる。

エゾビタキは三鷹の野川流域に沢山見かけたがもう今はいない。

コサメビタキかサメビタキ

他の野鳥同様、ウロウロしていた。

こちらはオオルリ、10日ほど前の撮影。



もう既に都心の緑地からは旅立ったと思われる。

2024年10月28日月曜日

団塊世代は個人的に今回衆院選挙を振り返ってみた。 Boomers personally reflected on this election for the House of Representatives.

  驚愕の、それでいてその予感のあった今回の衆議院選挙だったと思う。基本的にこのブログはヤマセミを中心とした野鳥関連を取り上げているが、さすがに今回ばかりは衆院選に関して取り上げねばならないだろう。

 自民・公明・与党陣営の大敗、立憲民主・国民民主など野党陣営の大躍進!今朝のメディアの報道内容を見ても著名候補の落選の連続、久しぶりに見る大きな変異だ。

 公明党に至っては、石井代表、佐藤副代表が落選。昨年の安部首相暗殺事件にまつわる「統一教会問題」が尾を引いて、宗教団体をバックにした政治集団への国民の「嫌気」が如実に出た気がする。





未明の結果に対する新聞報道は配達がいつもより遅かったにもかかわらず残り4人の段階で印刷をせざるを得なかった様だ。この辺りにメディアとしてのスピード限界を感じる。



 あくまでメディア報道をベースにした個人的な分析だが、次のように感じた。

① 自民の大敗は、石破政権になって「森山幹事長など幹部ベテラン議員の非公認候補・懲罰候補への温情・甘さ」が通じない世の中になっている事に気が付かなかった事。⇒非公認候補事務所への2千万円配布。

② 同時に表に出ない自民党関係者の「執行部への無言の圧力ごり押し」が選挙戦略・活動に悪影響を及ぼした事。※2千万円事件もこれが理由か?

③ ネット情報や多種多様のメディア情報に惑わされない、人間直接情報の濃い地域(いわゆる高齢者比率の高い地方)のみ、旧態然とした自民党の地元結束力が如実に表れ、自民候補が独占(山形、群馬、富山、鳥取、山口、高知、徳島、熊本)になっている。しかし全国ほとんどの地域は東京並みの多様な情報量・パワーで現在の生の民意が反映された。

④ 立憲民主党は、誰もが嫌い、今まで一人で長い事党のイメージを悪くしていた蓮舫を都知事選へ体よく追い出し、好意度を増せた結果と敵失(自民党のごたごた)により機に乗じられた。

⑤ ほんとうの中身は知らないが、清廉潔白感イメージの強い、泥に潜っていたドジョウ野田氏が代表に復活し、これに対する「期待感」が一気に爆発した。

⑥ 日本維新は無理やりのごり押し万博が大阪の地方政党の感を強めてしまった。昨今首都圏メディアを席捲するお笑い系を主体とする大阪弁、節操・遠慮・品のない大阪人気質への「嫌気」が候補への嫌感へ繋がった。

➆ 言動は一見過激に見えるが、若者にはごくあたりまえ普通の姿。言っている事は判り易く理路整然でまともな「れいわ=山本太郎」への期待感が若者中心に広がった。

⑧ 同じく言動が過激だが、自民を批判だけしかない共産党への票は、組織を支える人間達の高齢化と共にもう終焉に近づいている。

⑨ 先にも述べたが、統一教会事件、安部首相暗殺事件の原因「新興宗教」亜流と観られた創価学会の政治組織のイメージが徐々に国民に浸透しはじめた。終わりの始まり。

⑩ 一番地道に正論を述べる国民民主党の玉木党首の現実路線追求姿勢がコツコツとシンパを増やしてきた結果が今回出た。公明を抜いて衆院第4党になった。単独で法案を提出できる党になった。

 あくまで筆者人的な感想であることを再度強調しておきたい。同時にこれら大きな動きの中で世の中がどう変わるか、しばらくはメディアを注視したい

2024年10月27日日曜日

スバルが名車レガシィ・アウトバックシリーズを2025年春に終了する。Subaru is going to discontinue the Legacy Outback series in the spring of 2025.

  あのスバルが36年間続けた名車レガシィ・アウトバック・シリーズの販売を終了する様だ。

 筆者は1996年まで旭川スバルから提供されていたスノボ大会のオフィシャルカーとしてのインプレッサを運転していたが、1997年から長野オリンピック時のプレ・オリンピック白馬男子スキー滑降PR用オフィシャルカーとしてレガシィ・ツーリングワゴンを運転していた。

 大会ロゴをマーキングフィルムで貼り付けたPRカーで東京~白馬間を何度往復しただろう。本番の1998年には長野オリンピック・スノーボード種目・競技委員(広報担当)として、国際スキー連盟のTDハンノ・トラィンドルなどを成田空港まで迎えに行ったりもした。その際は全てレガシィ・ランカスターと云う車種呼称(=後のアウトバック)だった。

 当時長野オリンピックのスノーボード日本代表選手発掘の為、シリーズ大会を企画運営していたので、北海道でのスノーボードの大会も同時に廻り、雪道・凍結道路での運転は随分熟練した。

 北海道在住の人ほどではないが、雪道でも80㎞/hくらいでは平気で走れるようになった。その後21世紀になって主に本州で雪道を走るようになっても、無事故無違反で通せている。運も良く75歳になる今までずーっと無事故無違反だ。

 これは北海道サホロリゾートでの国際大会中、深夜スキー場の駐車場で地元の関係者にありったけのスピンや急制動を実訓練されたお陰だと思っている。乗っている車の限界だとか圧雪やアイスバーンで制動をかけた際の反応・距離などに慣れることが非常に役に立っている。

実際奥日光の雪道下りを走行した際の動画

https://www.youtube.com/watch?v=yIDL_CCLeOs

 しかしこれもスバルの4輪駆動・レガシィ・シリーズだからこその事で、他メーカーのクルマではこうはいかなかったと今でも思っている。だからこそ今乗っているレガシイ・アウトバックも19年間乗り続けている。壊れない・・・ずっと調子が良いまま。これが筆者が車に求める最大の要因だ。他、荷物をたくさん積める、燃費が良い、それが筆者が車に求める必要条件。

 色や形、附属装置に関しては殆ど気にしない。車はあくまで移動するに必要な道具。

 大体において車は人に自慢したりカッコつけたりするものではない・・という考えを免許取った時から持っている。第一運転席に乗ってしまえば外観や色など判らないもの・・。

 むしろそれで移動して移動先で何をするのかが重要。本来であれば目的地に瞬間移動WARPして欲しいほどだもの。ドライブが趣味などと言う人とは根本的に考え方が違っている。

 かって、ハワイへ幾度もウインドサーフィン国際大会の運営で出張した際、地元の友人たちに訊かれたことがある。「日本人にはドライブが趣味とか、丁寧に自分の手で車を磨くやつがいると聞いたが本当か?」これに対し結構いるなぁ‥と答えたら驚いていた。

 米国、特にハワイなど車しか移動手段がない場所での車に対する考え方と、日本では随分意識も価値観も違うのだと学んだ。

 この辺りが日本国内においても車を製造して売って儲けるメーカーの人間と消費者ではずいぶん違うと思う。

 かって広告代理店勤務時代スポンサーさん(車メーカー)のメンバー数名と会食をした際、この辺りの考え方が大いに違ったのを記憶している。購入者・使用者としての客の意見や希望など訊かないのかと聞いたら、呆れて様な顔で筆者を観て「そんな耳を持たない‥消費者に迎合してどうする?」と断言した。

 メーカーとしての傲慢とも思えるプライドと自信が顔全面に出ていた、本音なのだろう。買う側の考え・声を訊こうとしない姿勢、消費者としては当時ちょっと嫌な気がしたのを覚えている。今思い返せば個人的資質の問題でメーカーとしての総意ではなかったとは思うが・・。

 自分の知っているヨーロッパのメーカーの基本的考えと随分差があった。(仕事上深い付き合いのあったプジョーとBMWしか知らないが・・)仏・モンベリアールに在るプジョーの工場に1週間滞在した際、消費者からの注文・希望・意見を吸い取るセクションのスタッフとミーティングを持った。1983年の事だった。

 消費者からの意見は聴くべき所はしっかりと聴く、しかしメーカーとしての個性を形作る主義主張は譲らない。是々非々をきちんとわきまえていたのが印象的だった。

 車に対する伝統と歴史・価値観の差が感じられた。

 かってステータスシンボルだった時計やジュエリーやネクタイ、それに車。もう時代が違う。高い車、希少車種を保有して見せびらかす時代は20年以上前に終わった。(・・とほとんどの消費者は思っている)

 今や交通の不便な地方においては、爺さん婆さんも一人一台必須の時代だ。車を持つことを自慢する時代は30年前に終わっている。

 未だにそういった考えを保持するガラパゴス系のクルマ好きも居るにはいるが、非常なマイノリティになっているのではないだろうか?少なくとも筆者はそう思う。

 車好きが念願のクルマを手に入れて、’60年代や’70年代の様に女の子にもてても、女の子は車のオーナではなく、車そのものの魅力に惹かれているのだという事・・・。


 話を戻して・・筆者が乗り続けているスバル・レガシイ・アウトバック、素晴らしい。だから他のクルマに替える気がまったくしなかった。頑丈で事故(故障)らないという保有者の期待に120%答えてくれているからだ。

 以前にもこのブログで書いたが、九州3往復、南は鹿児島の鹿屋、開聞岳、枕崎迄行ったし、北は北海道のサホロ、厳冬期の根室、道東野付半島まで往復している。

 人間一人乗って公共交通機関の発達した都内を荷物も無いのに走ったりはしない。此処は日本・首都圏だ、そんなのは「悪だし、地球環境の事を何も考えていない輩」だと思っている。

 あくまで高速利用で片道200㎞以上の目的地へ撮影機材など荷物を積んで行く以外、筆者は公共交通機関を利用する。コストパフォーマンス、タイムパフォーマンスで考えればその方がはるかに効率的だ。

 で、自分がレガシイ・アウトバックで行った各地の画像を掘り出してみた。

先週の霧が峰八島湿原への途中PAで・・。

2006年白馬~戸隠間

2008年白馬~上高地間

2017年道東釧路~標津~根室間で

野付半島で

2018年九州熊本・人吉市 特急かわせみやませみ号撮影

同、八代市で特急かわせみやませみ号とすれ違う

人吉市の球磨川

まだ肥薩線が走っていた頃の人吉ー大畑間・球磨川鉄橋下

熊本県球磨郡相良村川辺川で

同上

有明海・佐賀の東与賀干潟で

2024年10月26日土曜日

霧が峰八島湿原の奥にある御射山ヒュッテ訪問のお勧め、その1。 II'd like recommend staying at the Misayama Hutte, located only by foot deep in the Kirigamine Yashima marshland #1.

  最近は年に2度ほどしか行けていないが、野鳥撮影の全盛期には年に数回訪問していた。自分としては別荘に近い感覚だ。

 かっては個有が1軒、共有で1軒別荘と言えるものがあった。50歳代までは保全・整備・掃除で年間何度も車で往復し、それなりに脱都会生活を送っていた。

 しかし、コストパフォーマンスと実働利用時間を考えた時、その維持に関するタイムパフォーマンスの低さから20年前に処分し手放した。その代わりに霧が峰の御射山ヒュッテへ通うようになったのだ。

 50年ほど前までは、何もない湿原の一番奥に位置する山小屋(=ヒュッテ)なので、電気・水道は最近引かれたのだと思う。なにせ車を直着け出来ない。八島湿原公共駐車場から約1.5㎞弱木道を徒歩で行かないと到着しない奥まった場所なので明るいうちに移動しないといけない。元々は車山登山の途中の休憩所に利用されていたような気もしている。

 トイレもウォシュレット、あるいは最低でも水洗じゃなきゃダメという都会人には全く無理。都会の便利さに毒された大自然音痴の方には向いていない、まったくそぐわない環境だ。

 さらに八島湿原自体は野生鹿が入り込まないように鉄網で囲まれているが、幾度かそれを破って入り込んだ鹿を目撃しているし、当然クマも入り込める環境だ。現に近くの沢(湿原の外側)ではクマ情報もあるし、車山への登山ルートには「クマ出没注意」の看板も存在する。

2008年頃の湿原で鹿

今年ではないが数年前の告知

 ただし餌になる木の実などが少ない湿原~山岳なので、過去において目撃はあってもクマ被害の情報はない。但し夜間、素人の単独行動はやめた方が良い。

 その点では奥日光戦場ヶ原とは訳が違う。奥日光では筆者3度クマを目撃している。

 で、今朝は霧ヶ峰八島湿原公共駐車場から御射山ヒュッテ迄のご案内。

諏訪から上がったら霧ヶ峰の中央駐車場に到着する。ビーナスラインの美ヶ原までの中間地点に位置する大きな駐車場。霧ヶ峰のビジターセンターもある。

霧ヶ峰の全体像と八島湿原の位置関係を把握しておいた方が良い。此処からビーナスラインを美ヶ原方面へと進む。約4㎞で八島湿原駐車場。

別の時に鷲ヶ峰登山の途中から八島湿原駐車場を見下ろした。平日の朝8時頃の状況。

今回到着の日曜日午後3時では、ほぼ80%の駐車数だった。

駐車場で着替えて荷物を持って鹿除けネットをくぐると湿原内部エリアに入る。

湿原の木道をこうして歩いて御射山ヒュッテへ進む。

湿原と樹林帯の切れ目に沿って木道が存在する。日没後はまさに真っ暗闇なので、大きな照明器具が必須。
サンダルやヒール、スカートではなく、こうしたスタイルでなければ無理。虫も多い。

普通に歩いて2~30分でポツンと御射山ヒュッテが見えてくる。

御射山ヒュッテ到着、外には薪ストーブの薪が一杯

先週はいつもの野鳥撮影が目的だったが、夕方例の彗星が御射山ヒュッテの上に撮れた。

先週日曜日夕方、室内温度7℃だった。

もうすでに朝早くは氷点下に近く、霜も氷も存在した。

北側の周回路の一部日陰は氷が・・。

ストーブ必須の御射山ヒュッテ

外から戻ったらとりあえず暖まる・・。

長期で滞在しても飽きない書物

勿論自然愛好者のための写真集などが多い

コーナーもこんな感じ

夕食、美味しいし可愛い。

朝は厚切りトースト、自炊も出来るので紅茶派、シリアル派でも充分対応可能。

 明日は現在の八島湿原の風景中心にご紹介。