2024年5月5日日曜日

団塊世代は宇野亜紀良展を観た翌日、唐十郎氏の訃報に接した。 The baby boomer generation learned of Juro Kara's death the day after seeing the Akira Uno exhibition.

  団塊世代ど真ん中の筆者は1960年代後半からのアングラ・アートとその文化は首までどっっぷり浸かって育った。その中心は主に新宿だった。

 特にサイケデリックサウンドと蛍光色を多用したサイケデリック・アート、伊坂芳太郎氏や宇野亜紀良氏の線画イラストに日常囲まれながら育ったものだ。

 阿佐ヶ谷美術専門学校(通称阿佐美)に在籍の頃、阿佐美の仲間と放課後新宿の通称グリーンハウス(実は国鉄新宿駅東口に在った芝生の円形植え込み)でたむろするフーテン(=和製ヒッピー)とも交わり(シンナーは吸わなかったが)、お金に余裕があるときに限りアカシアでホワイトシチューを食べ、ロールキャベツを食べた。

 で、決して数多くではないが靖国通りを渡って唐十郎氏の紅テントへ公演を観に行った1968~9年。平凡パンチもしくは朝日ジャーナルをGパンの腰ポケに丸めて突っ込み、ハイライトか缶ピーをくゆらせてつるんで新宿を闊歩するのが日常の行動だった。生意気な筆者はコーンパイプだった。

 酒は一滴も飲めなかったが、「いかがわしい」状況や状態をなんでも経験してしまおう・・というのが当時の仲間の「決めごと」だったような気がする。

 戦後のベビーブーム世代(1976年に堺屋太一さんが「団塊の世代」という本を出すまで団塊世代という言葉は無かった)で一番人数が多い我々。進学競争・受験競争を勝ち抜いて大会社に入るか役人になって出世する「完全サラリーマン」には一番なりたくなかった頃の事だ。

 此処までが前置き・・。

 昨日新宿初台のオペラシティ3Fにあるギャラリーへ「宇野亜紀良展」を観に行った。過去3年間の色々な展覧会で自分にとって一番中身が濃く、時間をかけて見入った展覧会だった。必ずもう一度は行こうと思う。半分も観たら、くたくたになってしまった。


今回ポスターの原画

この手は山ほど展示されている。

撮影OKなのだが、スマホの方がこういう場合キレイに撮れる。

 団塊世代は彼の作品を必ずその生きてきたどこかの時点で目にしている。平凡パンチだったり、寺山修司の天井桟敷のポスターたったり、広告宣伝のポスター、雑誌広告などで。

 とにかくこれは観なきゃ始まらないので、詳しい展覧会報告はしないがぜひ観るべき展覧会だろうと思う、特に団塊世代の方々は。自分が生きてきた1960年代後半~1970年代、1980年代が脳の視神経を刺激して蘇ってくるはずだ。

 そうして筆者がすっかり’60年代~’70年代の脳に一夜明けたら唐十郎氏の訃報だもの、朝5時半に震えが来てしまった。

 なおかつ亡くなった日がいっしょにアングラ文化を引っ張ってきたあの寺山修司氏と同じ日というこの偶然の重なりに震えは更に多くくなってしまった、不気味ですらある。

 宇野亜紀良氏も唐十郎氏も寺山修司氏も、1960年代後半から巻き起こったアンダーグラウンド・アート、文化を引っ張ってきた中心的アーティストだ。


 宇野亜紀良氏は唐十郎氏の紅テントと双璧の天井佐敷(寺山修司氏主宰)の公演ポスターを数多く手がけて来た。昨日もそれを脳一杯残影を入れ込んで帰って来たのだが、翌早朝に唐十郎氏の訃報だもの「ガ~~ン!」である。あの’60年後半~’70年代が、消えかかったシャボン玉のように無色透明になっていってしまった。

 特に唐十郎氏は21世紀になる数年前我が母校:横浜国立大学教育学部(名称は度々変化)の教授にも就任されている。ただ紅テントに公演を観に行っただけのご縁ではない。

 次々に’60年~’80年代の文化を担っていった中心人物が亡くなる。寂しい。