筆者は大手広告代理店で数多くの仕事に携わったが、2003年~2007年には環境問題領域に関して数多くの量をこなした。
特にご縁が深かったのがコスモ石油の環境部門に繋がる内容で、退任された早稲田大学理工学部の三輪名誉教授、植物研究に造詣の深い作曲家の神津善行さんなどの教えを受けながら、植物と地球環境の関係について世界中の文献を読み漁った記憶がある。
地球温暖化の原因は何か?それを防止するにはどうしたら良いか?人間にそれができるのか?などなど科学雑誌、ネイチャーなどの論文、National Geographicなどの環境雑誌を欠かさず読んだものだ。
たった一人の古気候学者マイケル・マンが論じたあの地球環境気温急上昇(=通称ホッケースティック・データ)を元に、元米国副大統領アル・ゴアが映画「不都合な真実」でわざと脚立に乗ってまで急激な温度上昇を演出して見せた・・・は、映画でも観たし本でも読んだ。同時にそれに対するNational Geographicの解説や世界の環境学者の反論なども調べた。
結局彼とIPCCはノーベル平和賞を受ける事に成り、「ノーベル賞をもらったんだから言う事は正しいはず・・。」の論理で「地球環境は今大変な事に成っている」というイメージを世界中の人々、特に子供など若年層中心に学校教育ですり込まれたのはご存じの通りだ。
しかし今、それが見事に否定されるデータが出始め、地球問題に関しての動きが違う方向へ進み始めているのをご存じだろうか?
https://ieei.or.jp/2018/04/sugiyama180409/ ご参考。
メディアはこの大きな間違い、変化を報じない。何故か?それはメディアのスポンサーである大手企業のほとんどがこの頃の「地球環境危機」の論調に乗って「何らかの変革」を余儀なくされ、企業活動の舵をノーカーボン=脱炭素、クリーンエネルギー機関開発へ舵を切ってしまったからだ。
これらは天然資源・エネルギー資源の乏しいヨーロッパを中心に「企業利益を目的とする環境ビジネス」が台頭し始めたことによる。
環境問題提起と企業の実働には時差が生ずる。動き始めの頃の「常識」が真逆であったと後で判っても、資金投資・企業方針を決めて進み始めてしまった企業の方向性は急には変えられない。「言い訳とウソ」を出しつつ間違った方向が破綻するまで進んでしまうのが世の常ではないだろうか?
あのグレタ・トゥンベリなる怒りの形相で有名になった少女を「錦の御旗」に環境問題を再認識させようとするヨーロッパのクリーンエネルギー推進企業も、ここへ来て変化せざるを得ないようだ。
「今そこにある人類の危機」目の前にある人間の命が危機にさらされる新型コロナ感染危機に目が行っている中、環境問題の政治的駆け引きが根拠含めて叩かれ始めているようだ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75043?page=2 ご参考。
SDGsに関しても、その精神は決して間違っていないし当然だと思うが、17項目のそのほとんどは営利を目的とする企業が成長過程で生じた不都合だから、原因を作った当事者側の企業側が行うべき事で、世の中の一般消費者が宗教的にすべき事ではないと思う。
中でもレジ袋有料化問題などは、1960年代まで買い物かごを下げて買い物をしていた消費者に「売る側=企業」が1970年頃から競争でレジ袋に入れて渡すようにしたのが発端だ。決して消費者が求めて始まった事ではない。
無料で売り手がレジ袋に入れて渡す事を常識化した結果、前出の「不都合な真実」ブーム以来、石油由来のレジ袋を減らすべきでは?の環境大臣なり立ての小泉進次郎氏がメディア受けを狙って始めた事。日本のメディアは人気者の提唱は記事になる・・で、よく考えもせずかなりアピールした。
しかし彼のアピールした「地球環境保全のため有料に・・。」などと消費者にその責任の一端を担わせるという事で、実は1枚0.3円程度で出来るレジ袋を3円5円で売り付け利益を上げようとする「偽善行為」が横行している。
表向きは地球環境に良い事をしているように見せて、実は利益を上げようとする偽善事業なのだ。酷い事にさらにプラゴミ関係ない手提げ紙袋まで20円以上で売り出す始末。特にデパートなどこれで「あまりに酷い便乗だ!」と消費者の反感を買いこの先危機的売り上げ減になるのが眼に見えてきた。老舗デパートが客の信用を無くしたら、この先もう存在価値は無くなるだろう。
要は真実は世の中の現実とは別のところに在るのだ。しかしメディアはこのからくりを絶対に報じない。本来、石油由来が地球環境破壊になるなら、レジ袋を有料化ではなくイタリアのように法律で全廃にすべきだろう?
横浜崎陽軒、御徒町の多慶屋、色々レジ袋を無料で出すところがあれば、自社・店名を大きくプリントしたレジ袋を消費者に有料で買わせて街を歩かせ店の宣伝をタダでやろうとする企業・店。
それに気が付かない消費者は一体どこまでお人好しなのだろう?SDGsってどこかおかしくないか?
SDGsに同意しなければ、「非国民!」と言われたり、SDGsに何らかの形でかかわっていれば「私は普通の人たちと違って良い事をしている人なんです」と優越感を感じる現状に何か不自然なものをたくさん感じるのだ。SDGsの根源をきちんと理解し「誰がそうすべきなのか?」をきちんと解説紹介しないメディアは一番悪いと思う。今のSDGsは単なる宗教に近いと思う。
また一方ではプラゴミ処理のため、「ペットボトルはキャップとボトルのラベルを別ゴミで出さないと処理できません、そうやって捨てないと地球環境に良くない・・。」などと言っているが、一体そういうスタイルにして売っているのは誰なのだ?企業だろう?
消費者の側からいえば、ペットボトル1本の価格があと10円高かろうが20円高かろうが欲しけりゃ買うって!体に良いと宣伝している値段の高い黒ウーロン茶など、欲しけりゃ高くても買っているだろう?
ボトルの素材や生産システム変更に資金投下が必要であれば、売る側も1本あたり10円高くてもいいから捨てる際に面倒くさくない素材にしろよと言いたい。こう思うのは筆者だけだろうか?
価格競争でわが社の製品が売れるため1円でも安くするため、環境の為にそのまま捨てても良いような素材を使用せず、買った側に分別させる素材で製品化する企業を何故諫めないのだメディアは?
もうお分かりだろう?飲料メーカーほどTVコマーシャルを出す企業はそうそう無いのだ。つまりメディアにとってのスポンサーを攻撃・非難するような報道は絶対にしないのが偽善メディアの社会システムなのだ。
SDGsの美辞麗句の陰に、企業の利益追求システムが隠されていることを判ってしまうとSDFGsの裏側の「偽善」が目に付いて仕方がない団塊世代なのだ。