2018年7月27日金曜日

団塊世代のジジ放談! 終活・断捨離はまず人間関係から。 For the end of life and disposal, it is better to start disposing of human relations first.

  台風12号が直ぐ接近しようとしている土曜日の朝、週末特集「団塊世代のジジ(時事&爺々)放談!」は今週からちょっと真剣な領域に入らせて頂こうと思う。

 団塊世代にも色々な方が居て、人間関係が幅広く常時数百名とのコミュニケーションしている(=出来ている)人もいるだろうし、逆に一桁の数で充分という方も居よう。十人十色、千差万別、これは決してどれが良い悪いという話ではない。

 SNSを駆使し、勢いに任せてFacebookで数千人の友達と繋がってしまい、誕生日のメッセージを送ったり、受けたり、返事をしたりで、自分の意に沿わぬまま、限りある残された時間をそれだけの為に過ごしてしまう人が居ると思えば、スマホどころかガラ系の携帯すら持たず、昭和時代の郵便と固定電話によるコュニケーションスピードで、少ない友達と共にマイペースな生き方をしている方も居る。

 筆者は広告代理店時代、本業の広告・各種イベント、行幸啓催事関係、ウインドサーフィン関係、スノーボード関係のお陰で2万枚を超える名刺が集まってしまった。2009年末に定年で広告業界の現役を引退した際にその70%は処分したものの、その後のビジネスで広がった航空業界、美術業界、野鳥業界、所属した早稲田大学理工学術院関連で新たな人間関係が増えているのが実情だ。
年代・ジャンル別の名刺BOOKは10冊にまで取捨選択した。

これに加えて、Facebookに加入したため、名刺交換は無いが大学時代、かって所属した企業同僚などとのSNS再会コミュニケションで、日常情報・意見交換したり実際にランチしたりで、ビジネス企業引退後の方が多忙になるという妙な具合に成っている。年賀状の数が現役時代の1.5倍になってしまうのも、単に歳を取ったからという理由だけでは無かろうと思う。

 しかし、最後に定年退職した大手広告代理店関係のFacebook友達は78名中9名しかいない。これは、あくまで仕事の場であった広告代理店の社内で友達になるだけの人物が居なかったことが最大の理由だろう。
 上司、共同部署の同僚などなどは、あくまでビジネスで繋がっているだけで、逆に言えば個人的に「こいつは面白い!」と思え尊敬できるような人間が殆ど居なかったという事に過ぎない。
 
 退職後、暫くしてアイツはどうしているだろう?その後どういう活躍をしているだろうとGoogleで繰ってみてもほとんど出てこない。業界の人事異動や関連公式会議のメンバー名簿程度に見受けられるだけで個人レベルでユニークな事をしている人間が殆どいないのだ。
 むしろゴシップネタや”2ちゃんねる”などという裏チャンネルで悪事が暴露される記事に名前が露出する方が多かったりして、大手広告代理店人間の意外な(勿論在職中から判ってはいたが)つまらない素性が垣間見えるのだった。

  逆に、その広告代理店の仕事で知り合い懇意になり、今だに年賀状やメールのやり取りをさせて頂いている全国各地の行政マン、つまりお役人さん、首長(くびちょう)と呼ばれる市長さん、議員さん、更にはご縁が出来た皇族の方々などなどの方が多い。

 筆者は営業担当ではなくスタッフ部門・プロデュース領域なので、仕事のメインは単に伝言ゲーム、売上勘定ではなく、クライアントの「本音・希望」を親身になって考える職種であったため、一つの仕事に携わる際も相当多くの方々と長い時間接する事になる。
 クライアントの本音を掴み、たとえ得意先担当者が大喜びしても、広告代理店の売り上げに繋がらない提案をすると、代理店に戻ると白い眼で見られるような摩訶不思議な職場環境には幾度も抵抗してケンカをした。

 例えば静岡国体業務の場合など、国体局準備室の室長(今でも年賀状のやり取りがある)以下のメンバーにスキー(構成員は主に静岡県内高校の体育専任教師が多い)に誘われ、それなりにスキー業界関連の人脈を生かして段取りをセッティングし非常に効果的な共有時間を過ごした。これが広告代理店の社内的「営業部門担当者のヤッカミ」に繋がり、営業のクレームを真に受けた無知無能の上司にやいのやいの言われ途中で外されてしまった事があった。直後に県庁のプロデューサーやトップに近い筋からその上司に物凄いクレームと罰が来たのは勿論だ。

 会議の途中で「別件が在りますので・・。」とかいう無責任な中抜けや会議への遅刻などは有り得ない上、本番の際の「立ち合い」などという広告代理店にしか有り得ないバカのような出張理由は筆者には存在しなかった。山ほどあるこの手の話はまたいずれ・・・。

 勿論、仕事を通じて広がった領域ウインドサーフィン、スノーボード、航空宇宙関連、植物・自然環境の人脈は相当数に上る。
 例えば、ウインドサーフィンで言えば、大会運営を行った各地、沖縄、鎌倉、三浦、ハワイ・オアフ島、マウイ島の地元関係者、更にはハワイ在住の世界のトッププロ・ウインドサーファー達。

 スノーボードで言えば、先日25年振りに再会した牛山基樹プロ、フィリップ・イモフ、ピーター・バウアーなどの時代を切り開いたパイオニアたち。長野オリンピックで一緒に競技役員を務め、今やドローンの日本における先駆者請川博一氏、ハーフパイプの魔術師・阿部幹博プロ、いずれもEメールやFacebookで繋がっている。


つい先日信州の富士見でのカンファレンスで尊敬する写真家の佐藤秀明さんと20年振りに再会した牛山基樹プロと3人が繋がって、またまた「友達の輪」が広がった。

1998年頃の牛山基樹選手の名刺と盟友世界のトップライダーフィリップ・イモフの名刺。

 筆者のFB友達79名というのもFacebookを活用している人間としては最も少ない部類に入るだろうが、基本的に一緒に仕事をしたり、実際に逢って相手がどんな人間か判っている場合しか友達に成る気が無い。ましてや何のコメントも無くFB友達申請する失礼な人にも一切反応しない事にしている。理由は以前からこのブログでも何度も主張してきたとおりだ。

 忘れてはいけない写真関係でも、ウインドサーフィンを通じて知り合いFacebookでも繋がっているわが師・スティーブ・ウイルキンスさん、佐藤秀明さんなど、我が人生でそれこそ半端でない影響をあたえられた方々が居る。

デスクのすぐ左にはその時々に一番関係の深い本(写真集など)しか置かない。いわゆるこれ見よがしの大きな本棚は置かない主義だ。それ以外は別室のBOOKストレージに保管。

 郵便局と固定電話しか無かった昭和の時代だったら、ここまで広く深い知り合い・友人関係が広がったとは思えない。PCインターネット・Eメール、携帯電話(ガラケー、スマホを問わず)の端末アプリ経由で良い意味でばい菌のように伝染・拡大したこれらの人脈・お友達関係をどうやって「終活」と結び付けて「断捨離」するのが良いのだろうと考えたのがこのシリーズの原点なのだ。

 間違わないでほしい、このブログは決して友達の多さやジャンルの広さを自慢しているのではない。いずれ遠くはないうち来る自分の「終焉」を予測して、今まで人生を豊かにしてくれているこれらの方々との「別れ」を念頭に、どうやって終えるかを模索したものなのだ。

 自分が死んでしまえば、後は残ったものが適当に処理するから、そんな余計な心配をする時間があったら別の事に使えよ・・・、と言われるかもしれないが。自分はそういういい加減で無責任な人間ではないと自負している。
 少なくとも最後くらいは、残った人に迷惑をかけず、きちんとしたいと思うのがまっとうな人間ではなかろうか?生前葬では無いが、江戸時代含めて日本人は礼節をきちんとして死に臨んだという。今年の師走に古希を迎える身としては是非古人の良い面に習いたいと思うのだが如何だろう。

 鉄道にだってちゃんと終着駅というものがある。行先表にはどこどこ行きと書いてあろう?行く先も告げずどっか途中の駅で運転打ち切りのような死にざまはみっともないと思うだけだ。

 この後は、じゃあ、どうやって友人関係を整理し断捨離を行うか!に関して述べて行きたいと思う。