2026年2月7日土曜日

団塊世代は35 年前とウインドサーフィンが殆ど変わっていない事に驚いた。The baby boomer was surprised to find that windsurfing has hardly changed since 35 years ago.

  明日が投票日という衆院選2026の投開票前日、外は雪模様なのでFacebookウオッチをしてたら、何とウインドサーフィンの高速ライディングの動画が目に入った。

https://www.facebook.com/reel/1798099704220287

スイスの湖だろうか、楽しそうにカッ飛んでいる動画。これを見てすぐに頭に浮かんだのがセイルのメーカーNeil Pride社のデモ動画、Moving Target(1989年)だった。

https://www.youtube.com/watch?v=ObOMbRkJ0V8&list=RDObOMbRkJ0V8&start_radio=1

この2つの動画を見る限り、この間に37年間という年月が流れているとはとても思えない。


 今週末のこのブログの最重要部分は、ウインドサーフィンに関してこの37年間の基本的な変化が殆ど無いという驚きの部分だ。

 ウインドサーフィンを原点として、フォイル(=水中翼)、ウイングセイル、カイトセイルなどスピンオフした新しい道具と遊びが発達した一方で、基本的にボードとセイルで直接波と風を受けて楽しむWSF(=ウインドサーフィン)そのものがほとんど変わっていない事に感激したのだ。

 江戸末期、慶応年間坂本龍馬が暗殺された頃と明治37年日露戦争の間の物事変化に比べれば、その変わらなさがイメージできよう?

 筆者がウインドサーフィンを最初に覚えたのが1981年のウインドサーファークラス世界大会「沖縄海中公園で開催」の前年、1980年に同じ場所で予行演習を開催した際だった。

 そこでハマったウインドサーフィン!

 当時日本で唯一ライセンスを持ってギヤ(セイル、マスト、ボードセット)を作っていた会社を得意先クライアントにしてウインドサーフィンというマリンスポーツ創成期のモロモロに関われたのだった。

1980年名護の沖縄海中公園で初めてウインドサーフィンに乗った日の記録写真。

 1980年に初めて沖縄の海で乗れて、1983年にはファンボードという風速15ノット(≒8m/s)のやや強風以上の風でしか乗れないショートボードで湘南葉山森戸の神社裏から毎週末カッ飛んでいた。

日本でのベースは神奈川県の葉山。森戸神社裏から出入りしていた。

 それから2009年勤めをリタイヤすると同時にウインドもリタイヤしたが、約30年間現役でマリンスポーツにハマっていたわけだ。

 ただ乗って楽しむだけではなく、道具が急速に発達する創成期だった1980年代、仕事で日本とハワイのマウイ島を40往復もしている事がパスポートを見返して判明した。

 簡単に40往復というが、全部仕事での出張だった。

① 1983年 カナダKingstoneでのウインドサーファー世界選手権大会

② 1983年 マウイ島へウインドサーフィンJapan社のカタログ製作

③ 1984年 マウイ島へ同上2冊目制作出張

④ 1985年~90年 マウイグランプリ 出場選手へのスポンサード+取材、記録収録、撮影

この頃はウインドサーフィンの大会のデッドヒートを盛んに撮影した。このカットはマウイグランプリの決勝ヒート、左マイク・ウオルツ、右マーク・アングロ

⑤ 1987~1994年 AWSP Hawaii Wave Sailing Championships企画・実施・運営

リクルート、フロム・エーが大会スポンサーで年間ハワイで6戦シリーズを実施。2年続いたこのシリーズ前大会の運営に携わったため、この2年で24回ハワイを往復した。

これ以外にもウインド関係でヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドへ幾度も出張。雑誌ポパイ、ターザンのウインドサーフィン特集のスタッフとしても取材出張が多かった。

 これらの記録をブログ化すれば圧倒的な量になるため、それだけで十分毎日更新しなければならないが、実は自分で撮影した画像はあまり残っていない。手元に残っているのは数百カットに過ぎない。

 仕事で出張の際の撮影なので、公務でもあり私物化できず、すべて所属していた広告代理店のプロジェクトロームに置いてきた。所属上司がこの貴重さを全く理解していなかったので全部廃棄したと思われる。

 仕事の一部はNHKのBSへ売却したのもあるので、どこかに残っているかもしれない。


 37年前辺りの残っている画像で当時を思い出してみたい。

1972年初めて英国へ渡った時からのパスポート群(一部欠損)。初期の3冊は合体されている。USAのビザが4年で5年有効の日本国パスポートとのズレがこうせざるを得なかったという・・。

マウイのカナハビーチ沖のジャンプ

AWSPファウンダーのグレイグ・イエスターとの乗り合い

カタログ用の航空写真撮影シーン。上・マイク・ウォルツ、中・マットシュワイツァー、下・筆者。
公務で出張して、保険もかけずにある意味サメがウヨウヨの危険なモロカイ海峡をこうしてウインドに乗って撮影のため何度も往復するって・・・天職と思えるほど、とっても美味しい仕事だった。

 目の前がビーチという一軒家を2週間もレンタルし、スタッフと共に(時にはクライアントさんも)共同生活が何度も繰り返された。オアフのカイルア、マウイのスプレックルスビルで一軒家自炊生活が多かった。ホイチョイの「気まぐれコンセプト」でも此処まではしなかったろうと思う。

 ちなみにこの家、冒頭のニール・プライドの動画撮影ロケにも使用した家(※マーク・アングロがセッティングするシーンなど)

オフの日はもちろん風さえ在れば沖に出ていた・・・って広告代理店の大事な出張なんだけど。

 オアフのカイルアでは毎朝風でヤシの葉がバラバラと音を立てると、芝生の上にセッティングしたままのウインドのセットを抱えて海に出てルアーを引っ張ってウインドトローリングをやったりもした。表層回遊魚しか掛からなかったが結構釣れた。

主に釣れるのは地元の漁師に言わせるとボーンフィッシュの色々なタイプばかりで、パピオだのマヒマヒなど白身の美味しい魚は掛からなかった。ウインドのプロのマイク・ウオルツなどはマウイでバショウカジキを掛けたりしたそうだ。

 こうしたマリンスポーツとしてのウインドサーフィンが1989年から今まで37年間ほとんどその基本が変わっていないという事は、1981年に沖縄の世界選手権大会で初めてファンボード(短いボードでセイルアップできない強風用)を会場に持ち込んだマットシュワイツァーとピーター・カブリナから1989年までの8年間の発展と変化がものすごいものだったという事の証だろう。

 まさにその間8年間、広告代理店に籍を置きながら自分でも体を張ってテストライダー的な事(ボードやセイルをメーカーさんから提供されていた)をやりつつ過ごしていたというのは今思えばとてつもなく幸せだったのだと実感した。