昨日のフジフィルムスクエアでのトークショーに参加して思ったこと。
団塊世代以上の高齢者はそのほとんどが昭和時代に成人しているから、写真と言えば銀塩フィルムが記録媒体のカメラ時代に育っている。21世紀に入る頃デジタルカメラの洗礼を受けるが、言ってみれば使いまわしのできるフィルムとして初期のスマートメディアから始まり、SDカード、CF(=コンパクトフラッシュ)をPCで再生・保存できるという変化に付いて行けない人々が生まれてしまった。
SmartMediaが記録メディアになった直後のデジカメ初心者にはメディアの中身をパソコンに取り込み保存しカラにしたら、再利用できるというのを知らず「2001年11月日光紅葉、2002年孫七五三祝い」などと書いたスマートメディアを昔の切手帳に切手の代わりに並べて自慢する友達がいたほどだ。
見せようと持ってきた切手帳を躓いて取り落とし、床に切手よりはるかに重たいスマートメディアが散乱したのを覚えている。
「最近のカメラはフィルムの時代より高い記録装置になってしまったよ、何が進歩だ?」とぼやいていたのも鮮烈に覚えている。
IT用語で言えばdigital divide(=デジタルデバイド)が生じた訳だ。いまフィルム写真こそ見直すべきだと言っている人の約半分は、このデジタル変化に乗り遅れた人と、本当に写真として真空管アンプでドライブする昔のレコードの音が懐かしくて良い・・・に近い感覚でメリットと推奨する者に分かれると思う。
後者であればデジタルと銀塩カメラを両刀使いできる器用な人だろうし、写真を深く愛し、その可能性を広く知って駆使している人だろう。前者はデジタルを使いこなせない言い訳に「フィルムが最高!」と言っているような気がする。
しかし時代はもう一段ブーストが掛かって先へ進みつつある。スマホの登場だ!
インスタ映え!・・の言葉がSNSやネット上でバイ菌のように広がる中、観光地でもレストランでもスマホで景色や料理を撮影し、その場で「~なう!」とか言って自慢し合い「いいね!」で褒め合うイージーで妙な流行りがはびこった。
一時はそれがトレンディで新しい事だったが、今はもう当たり前でこうして紹介や指摘をすると「今頃何言ってんの?」と言われてしまう。
平べったいスマホのレンズで無限大固定焦点の写真から、今は先日の彗星も撮れるような(技術やアタッチメント等の機器は必要)撮影機能を持った機種も出ている。
普通のデジタル一眼のような多機能カメラは面倒くさくて判らないし、駆使する脳力も無い者たちは普段使いなれたスマホでの撮影行為は他の便利な機能に比べればはるかに簡単(だと思っている)、撮影スキルはお手の物なのだろう。
一気に「写真はスマホで撮るのが当たり前・・」などと言う昔の雑誌POPEYEの特集タイトルの様になってしまった。
同時にスマホで撮影した明るい風景画像(撮影者のドアップの笑顔が一緒に入っていたりもする)と、朝早くから場所を選んでしっかり三脚を立てて、メーカーのフラッグシップ機種でその一瞬を撮影した写真の違いが判らない人々が全人口の90%以上を占めるように成ってしまったような気がする。
例えば奇麗な風景を記録に残すという行動そのものが、部厚いリング綴じの写真アルバムからスマホの中のLINEやインスタやFacebookだけになってしまった現在、写真アルバムや写真集というものがすでに一般人においては時代遅れに成りつつあることを写真業界・カメラメーカーの間ではどのように捉えられているのだろう?
吸音材で囲ったリスニングルームで大きなオーディオ装置でレコードを聴く時代から、まるで補聴器のようなコードレスイヤホンでデジタル音楽を聴きながら歩く時代・・まるでそっくりなような気がする。
昨日のトークショウで一番気になったのがここらの変化に業界自体がTOPを含めて付いて行けてないような気がした。
次のチャンスに「じゃ、どうすれば良いのか?」のアイディアなどを投稿してみたい。