今朝の新聞は一斉に「政府のコロナマスクに関する見解」が発表になった事を報じた。既にこのことは2~3日からTVなど色々なメディアで報じられてきていた。決して大新聞の一面トップを飾るニュースではなかろうと思うが。国民は新聞の一面トップにでかでかと報じられないと己の行動を変えないのだろうか?
筆者はずーっと不思議でしょうがなかった。昨年6月に政府厚労省と環境省は「夏場熱中症のリスクもあるので屋外ではマスクを外すことを推奨する」との広報を出している。しかしほとんどメディアがこれを報じなかったのでほとんど知られていないし、守られていない。
今回の政府見解はこの昨年6月に厚労省・環境省から出されたお達しの内容と何一つ変わらないのだ。「熱中症を防ぐために」の理由以外何も変わらないのに何なんだ今回の発表は?
根本的にどんな不織布マスクであってもその繊維の網の目の大きさの1/40ほどのウイルスは網の目を通り抜けてしまうのでマスクではほとんど防げないことを説明もせず、同調圧力を利用して半ば強制的に付けさせた国や都は、今外していい理由を「論理的に説明せよ!」が今日のブログなのだ。
1/40のスカスカ感を運動会の障害物競争の梯子の枠くぐりで考えてごらんよ?10m四方の枠を人間が通り抜ける感じでしょ?防げると思い込んでる医者も厚労省もメディアも「バカじゃね?」状態だと思うが如何だろう?
更には世界のすう勢を鑑みて・・、だの国民の要望・不満を聞いて・・・だのであればとんでもない事だと思うが如何だろ?
大体において日本の政府の腰抜け体質は昔から世界的に有名だという。富山県出身のノーベル化学賞受賞の田中耕一さんの例を見るが良い。日本初の学士(博士号を取得しない)、現役サラリーマンで世界にその研究が認められノーベル化学賞を受賞された筆者は非常に尊敬している方だ。
要は我が国の為政者なり官僚は日本人の価値を評価する「評価力」を全く持っていないのだ。世界での流れに「そうなんだ、じゃぁ日本でもそうしなきゃ・・。」のノリで評価をする悪い癖がある。高い評価も低い評価も・・。
ここで持論だが、筆者は昔から評価というものには「良い評価・高い評価」と「悪い評価・低い評価」があってしかるべきと思っている。学校の成績がその一番わかりやすい例だろう。これを政治家やメディアが良い場合だけを「評価に値する」だの「評価する」だの偉そうに言っているのが気になって仕方がない。悪い評価を「評価しない・・」等と訳の分からぬ言い方をしたりする。もう一度国語を学んだら如何だろう?
ノーベル賞は置いておいて、要は世界が認めたので慌てて我が国でも・・・の我が国の行動基準、きっかけが今回の「マスク外し号令!」と全く同じではないかと言いたいのだ。
大谷翔平選手のMLBでの活躍を毎日TVで観ている日本国民は、スタジアムに居る観戦者・応援者が誰一人マスクを着けていないのを知っている。
同時に、「あれだけ感染者が多く、死者も多くて大問題になっている米国や英国の国民がほとんどマスクをしていないのは何故なのだ?各国政府がマスク規制を撤廃した理由は何なんだ?マリウポリその他でさんざんな目に遭っているウクライナ国民がマスクをしていないのは何故なのだ?
それに対して、渋谷のスクランブル交差点、学校の登下校時、街中で、あるいはランニングや自転車に乗って疾走している際もマスクをし続けている日本人っていったい何なんだ?
少し前のこのブログにも書いた。
http://yamasemiweb.blogspot.com/2022/05/3the-baby-boomer-generation-now-thinks.html
今朝の新聞報道はこうだ、何処か間が抜けていないだろうか?今までマスク推奨の先頭を走っていたメディアは、今までの己の報道をどう考えているのだ? テレ朝のモーニングショーであれだけマスク・マスク!と国や都の代弁者を任じていた玉川徹ほかコメンテーター。大体昨日のモーニングショウーではまったくこのマスクに関しての報道を行わなかった。今まで行ってきた事がウソになるのでどう取り上げていいか分からないのだろう?
TVや新聞の報道をみて、その通りに行動する我が組の国民。あの戦争中の「大本営発表」を報じるメディア(当時はラジオと新聞)をうのみにする体質、何一つ変わっていないという事だろう。今のロシア国民を非難できるか?笑えるか?