世の中で多くの新型コロナウイルス患者が生死の境をさまよっている中、感染者が重い後遺症に苦しめられている中、更にはいつ自分が感染するか判らないと数多くの国民が恐怖におののいている中、歌舞音曲の極みのようなTOKYO2020が多くの国民の非難の中、強引に開幕した。筆者自身は高円宮久子妃殿下の素晴らしいプレゼンテーションと「お・も・て・な・し」とで誘致が決まった当時から今回開催には反対してきた。
理由は簡単、安倍首相の「福島原発は完全にコントロールされている」「夏の東京は暑くない」などの大ウソをついての誘致だったからだ。福島原発の放射能禍から国民の眼、世界メディアの眼を逸らす狙いであることが明白だからだ。これは今も変わらない。
バッハが金の亡者でぼったくり男爵で酷すぎるだの、コロナ禍で行う事が感染拡大に火をつけるから危険だ、純粋なアスリートを猿廻しの猿がごとく見世物にして金を稼ぐ現在のオリンピックそのものが良くない、ブラック電通やオリンピック貴族・特権意識階級への反発以上の根本的反対理由を筆者は持っている。
1948年生まれの筆者は、1964年の東京オリンピックを生で体験、それも普通一般の国民以上に近い所で肌で感じた。筆者が通っていた都立広尾高校はあの「東洋の魔女」を率いる大松監督の直前練習会場だった。バレーボール部に所属していた筆者はその事前練習に球拾いで参加した。たった二日間だったが体育館の中は紛れもない「東京オリンピック関係会場」の一つだった。東洋の魔女たちの汗で滑る体育館の床を拭き、飛んでくる次元の違うスピードの玉を拾い続けた。
本番は、クラスにたった1枚廻って来たチケットに当たり、丹下健三氏設計の代々木の屋内プールの最初の観客となり、田中聡子選手の一挙手一投足に見入り、突然現れた天才スイマー、ドン・ショランダーの肩をピチャピチャ叩いて触れた。
そういった1964年の東京オリンピック生体験組の団塊世代と、それを知らない世代では今回のTOKYO2020に対する想いも、感動も全然違うだろうと思う。この件に関してはまたこのブログでテーマとして取り上げたいと思っている。中身は濃いはずだ。
で、2日前7月21日の予行演習を経て、昨日TOKYO2020開会式当日のブルーインパルスの五色スモーク飛行を撮りに行ったレポートをご紹介したい。これは混とんとしてすべてが何でもありの「ゆるい」現代社会にあって、整然と規律に守られた「キチンとした美しさ」を持つブルーインパルスへの感動から生ずる「撮ろう!」と思う純粋な行動から来るものだ。
今回は前回のような渋谷スカイ屋上からではなく、東京副都心の高層ビル群を背景に飛ぶ姿を収めようと、Google Mapを観て、新宿副都心の西側で電線などに邪魔されずに上空を飛ぶ、五輪の輪を描くブルーインパルスを撮影出来る場所を探した。
そうしたら、公園がいくつかあったので地図をプリントして調布から幡ヶ谷まで京王線で目的地へ向かった。結果からすると五輪の輪自体は諸条件で上手く描けず、撮影も不十分な結果に終わった。しかしこれはプロカメラマンも一緒だったようで、今朝の朝刊を見ても五輪の輪の画像は無く、五色のスモークの帯を牽くブルーインパルの画像ばかりだった。
航空自衛隊の公式SNS Twitterで飛行時間が12:40~12:55と出たので、2台のデジタル一眼を準備をして待ち受けた。デジタル画像を見る限り実際の飛行は12:52~13:07くらいで行われている。
しかし生で現場で視ていて驚くべき事実を発見した!
なんと!上空にブルーインパルスは2編隊飛んでいたのだ!
誰よりも先に編隊に気が付いて、和光市上空で旋回して隊列を組んで旋回しているシーンを偶然住宅街の隙間から撮影出来たのだが、16秒くらい置いて同じブルーインパルスがまた来たのだ。しかし如何に高性能のジェット機が高速で飛びながら旋回しても、たった16秒で同じ編隊が同じ場所を通過するのは物理的に不可能だ。二編成あると瞬時に思った。
その証拠画像がこの二枚だ。このショットの間隔はたったの16秒。画像を観る通り左の電柱電線の位置と編隊の位置を確認すればこの編隊が違うものであることがお判りいただけよう。現場で思わず「えっ?2編隊飛んでるの?」と声を出してしまったが、周りの人は呆れたような目で筆者を観ていた。
史上初の2チーム・12機体制の構築 (※注・ウィキペディアより)
2020年3月20日、松島基地での東京オリンピック・パラリンピック聖火到着式典においてブルーインパルス史上初となる2チーム・12機体制の飛行[注釈 3]が行われた。A(アルファ)編隊が「五輪」を描き、B(ブラボー)編隊がリーダーズ・ベネフィットを披露した。