昨日のカッコーは撮影する筆者のほうへ飛んできたので、カッコーそのものの姿はあまりはっきりと捉えられていない。
今日の画像は、八島湿原の盆地の縁から縁へ飛んだ姿を追ったので、わりに判りやすくその雄姿を捉えられている。この時期繁殖期に入っているためか、カッコー同士の追いかけっこが盛んに展開されるので観察に良い時期の様だ。
昨日のカッコーは撮影する筆者のほうへ飛んできたので、カッコーそのものの姿はあまりはっきりと捉えられていない。
今日の画像は、八島湿原の盆地の縁から縁へ飛んだ姿を追ったので、わりに判りやすくその雄姿を捉えられている。この時期繁殖期に入っているためか、カッコー同士の追いかけっこが盛んに展開されるので観察に良い時期の様だ。
霧ヶ峰の周辺では、5月に成るとホトトギスとカッコーの声で高原中が賑やかになる。特にホトトギスは暗いうちから鳴きながら高原や湿原上空を飛び回っている。
カッコーは撮影しやすい方だが、ホトトギスはなかなか声と姿が一致しないので撮影が難しい。慣れが必要のようだ。
3年前、九州まで車で遠征した帰りに寄った際は良く晴れていたので、幾度も頭上を越えて飛んでいくカッコーを撮ることが出来た。今回は早朝5時半頃の撮影だったので、残念ながら横からの朝陽であまり良い色で撮れなかった。しかし、気に入った画像が数カットあったので満足!
テレビも新聞も既存のメディアはNHKを先頭に「新型コロナウイルスのファイザー社製・モデルナ社製いずれかのワクチンさえ打てば、罹らない、発症しない、人にうつさない」と報道している。此処半月はオリンピックをやるやらない・・の情報と相まってメディアの半分以上は、ほぼこの2つの話題で占められている。
TVのニュースやモーニングショーなどの報道でのみ新型コロナ感染症を理解したつもりでいる人々は、とにかく早くワクチンを打って安心したい…と思っているのだろう。「俺はもう打ったぞ、良いだろう!お前はまだか?・・」などと次元低いレベルで自慢しあったりしているようだが、筆者からしてみれば本当の怖さを何も知らない「知らぬが仏」状態なのだろう。
政府は海外データをそのまま信じ込み、医療関係者(上からの指示で無理やり打っているような気もする)に続き、高齢者から順に「ワクチン投与書類」を送付し、ワクチン投与をどんどん進めている。
大阪中心の関西では「コロナ死亡者」が多いという報道の影響か、我先にワクチンを打ちに殺到して列をなしている様だ。
その様子はあるメディアの表現を借りると「沈みゆくタイタニックの甲板で救命胴衣を奪い合う様」と表現した。これはもう一種のパニックだろう。しかし首都圏東京ではこういうパニックは起きていない。
東京中心の首都圏では予約はすぐには一杯に成らず、打たない人が続出で隣県3県へも大規模投与会場から予約開始のニュースが出ている。
これがどういう理由か判らないが、高齢者にとって大規模投与会場の大手町まで遠いだとか、階段が多いだとかの理由だけではないことは一目瞭然だ。「もう少しワクチンの安全性や副反応の状況を見極めて納得したら打つことを考える」という人が多い様だ。
この大阪と東京の差は、幕末に「ええじゃないか!ええじゃないか!」の狂い踊りが流行り始めた関西と、そういう事が発生しなかった江戸中心の文化・人情・生活習慣の差がコロナワクチン投与に関しても影響しているのかもしれないと勝手に思った。
これは付和雷同型の群集心理が発生しやすい地元育ちの多い関西と、全国から文化・風俗・常識・価値観が違う種々雑多な地方出身者の集まりで「多様性」に富んでいる東京・首都圏の地域性の差かもしれない。
あるいはTVのモーニングショーや午後のワイドショーで、感染者数(PCR陽性者数も感染者数も発症者数もごちゃごちゃに報道している)の増減のみで一喜一憂するのを鵜呑みにしてしまう人の数の問題か?
筆者は思う。99.85%(=1000人に998人以上)の人が罹らないCOVID-19新型コロナウイルスに、0.15%(=1000人に2人以下)の罹る可能性を恐れて、打ったあと1年後2年後、妊婦と胎児がどうなるかまるで判っていない人体実験に近いワクチンを打つべきだろうか?
新型コロナで死亡した人数も、本来末期ガンで亡くなった方、老衰で無くなった方を後からPCR検査して陽性だった場合、すべて新型コロナ死としてカウントしているので、本来の新型コロナ直原因死は発表数の1/10が妥当な線だという話もある。このあたりは既存メディアでは一切発表していない。実は志村けんさんも岡江久美子さんも新型コロナが直接の死因では無かった様だ。これも既存メディアでは報じない。
ネットで色々な角度から見た専門家情報を得ている人の数の差が表れているような気もする。高齢者ジャンルに入る団塊世代も今ではけっこうネット情報に詳しい人が多いのだ。
副反応死亡者が季節性インフルエンザのワクチンの80倍もの死亡率、なおかつろくな治験も行わず、副反応が相当な割合で出る人体実験に近いコロナ・ワクチンを急いで打つべきか否か・・・じっくり考えるべきではないだろうか?
一方で・・・。
メディアでは報道されないが、今現在新型コロナワクチンに関してファイザー社製で10万回に一人、季節性インフルエンザワクチン880万回に1人という88倍もの副反応死が出ている事実を知った人は、いくら無料でもまず投与を控えるに違いないと推察する。
インフルエンザワクチン投与に寄る死亡者数=880万回に1人 2017年データ https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11120000-Iyakushokuhinkyoku/0000189772.pdf
ファイザー社製のCOVID-19ワクチン投与に寄る死亡者数=10万人に1人 2021年データ https://www.yomiuri.co.jp/national/20210526-OYT1T50327/
あの王貞治選手がホームラン記録を破った、米大リーグのハンク・アーロン選手が黒人のワクチン投与促進の為元気にTVに出演、スタジオで視聴者の前でCOVID-19ワクチンを打った17日後に急死した事実も、日本のメディアでは大きく流れていない。https://karyukai.jp/column/3778?fbclid=IwAR2rdz9h40d3XLykJpTbJCNnu5S_IC0-N0-CSmZZttY4nlzGFMSoRi_GRjw 画像もこのサイトから拝借。
似たような話が英国でも起きている。健康だった44歳のBBCのキャスターがアストラゼネカのワクチンを打って亡くなったという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9c3388ad58b135ed927d172cc138d161f2a29f35
この「5-ALA」に関してはネット情報で、長崎大学の研究チームの成果を知ったのが最初だった。此れには相当驚いた。
https://www.youtube.com/watch?v=R5DnS9jKua8
しかしよく考えてみたら、この「5-ALA=アミノベブリン酸」という言葉は、筆者がかねてより非常に身近に接してきた言葉だったのだ。
2005年の愛知万博「愛・地球博」で185日間コスモ石油さんのブース出展を企画・運営・実施したのがきっかけだった。万博が終わって以降も地球環境に関して植物のジャンルで色々コスモ石油さんの研究のお手伝いをした。
コスモ石油さんとの最初の作業は「植物が空気中の二酸化炭素を吸収して酸素を出してくれているのをリアルタイムで視認する・・という内容で、この実験装置を2年掛かって発明・製造(特許出願)し、愛知万博の「地球市民村」にあるコスモブースで185日間運営・展開したのだった。あの「もったいない」で有名になったケニアの環境副大臣・故ワンガリ・マータイさんがケニアに欲しいまで言って非常に高く評価してくださった実験装置だ。
当時、コスモ石油・広報室長の鴇田穂積氏の元、数々のサポートをさせて頂いたのだが、その中で環境エコプロダクツ展という毎年11月に東京ビックサイトで行われる大きな環境展への出展が数年続いた。
その展開の中で、筆者も植物が厳しい環境下(乾燥・低温など)でも生き抜けるように細胞組織を強化する素材として、この5ーALA=アミノベブリン酸に接する事に成ったのだ。
この時期コスモ石油さんも数多い関連会社の一つで植物への効果と同時に、人間に対しての効果も期待できるとして、専門の別会社を立ち上げ研究を進めていったのだった。
その成果が、15年経って「5-ALA」として具体的に現れてきたようだ。それが長崎大学の研究成果につながったという事だろうか?
試しに、既にサプリとして市販されている「5-ALA」を購入してみた。
これがどのような効果をあげるか、非常に興味津々だ。既に市販されている点で副反応はあり得ないし、即効性は非常に高いだろう。
SDGs・・・という四文字がメディアに流れ、企業キャンペーン、最近企業宣伝に嫌というほど付随して出て来る。またSNS上でもSDGsに関して個人で運動・作業・イベントに参加したり、具体的ミーティングに参加する事で、いかにも時代の最先端を進む意識高い系の人間であるかのように発信をしている人達が沢山いる。もちろんそれを責める気は毛頭ない。
しかし、このSDGsって本来個人がどうのこうのするのではなく、利益追求の企業が、金儲けの為に地球環境を破壊してきたツケを是正すべきテーマだろうと思う。
17件あるテーマの殆んどは個人ではどうしようもない抽象的な目的だ。数値目標が全く無いので、決して「目標のあるゴール」ではない。単なる希望的スローガンの集合体だ。ゴールに達すれば世界がどうなるのか?それとゴールしたらどういう弊害が起こるかなどは明記されていない。
筆者は決して、個人レベルで良いと思って活動に参加している人達を非難したり、あげつらってチャチャを入れるつもりはない。
しかし、改めて詳しく訊きたい、SDGsって何なの?今更漠然とした継続的な開発目標スローガン?しかも提案しているのがあのいい加減な国連なのだ!
筆者は此の国連という組織自体が曲者だとかねてから疑問視している。小学校の時から国連とはアメリカのニューヨークに本部が在る、世界の平和のための国々の連合体だと教わった「良い所、正しい事をする場所」という教育的擦り込まれで・・・。
地球温暖化の危機感を唱え、二酸化炭素排量を減らし、化石燃料の撲滅を唱えたのも国連の一部だ。背景にヨーロッパ諸国の金儲けをヨロイの下に隠した環境ビジネス群の存在が判っているにもかかわらず。
しかし、筆者も大人になってよく考えてみれば、国連という組織は第二次世界大戦の戦勝国側の主要国が作り上げた世界コントロールの団体ではないのか?だからいつまで経っても敗戦国側のドイツや日本は巨額な協力金を払わされながらまま子扱いだ。これはこのまま未来永劫続くのか?
繰り返すが、我が国日本は国連の存在意義に賛同し、協力負担金を米国に続いて世界で二番目に多く支払って(払わされて)きた。しかし戦後半世紀以上長年に渡りそれだけの協力・努力をしてきているのに、今まで我が国は何か此の国連から印象深い恩恵を得ただろうか?
韓国発の言いがかり慰安婦問題にしろ、第二次世界大戦後条約締結で国際的にも既に終わった処理問題にしろ、日本の立場・主張に耳を傾けることなく、良く調べもせず逆に日本を非難する側にまわって来た。我が国の腰抜け外務省はこれらに全然対処も出来ず、国民のストレスは増すばかりだ。
日本の問題にかかわらず、つい先週までのイスラエルとパレスチナの争いに関しても全然役立たずで、子供を含め多数の犠牲者を出している。結局米国が主導する裏ルートの交渉成果で停戦合意が成立。本当にFOXテレビの人気ドラマ=マダム・セクレタリーが動いているのではないだろうかと思わんばかりの状況だ。
話がわき道にそれたが、このブログではこのまま国連の問題点をあげつらうのではなく、SDGsに関してのおかしな話を進めてみたい。
若い人々は知らないだろうが、団塊世代の我々が小学生中学生の時代、つまり昭和の時代の社会生活、一般生活を思い出してほしい。今よりはるかにSDGs的世の中だったのだ。
主婦たちは買い物に出かけるときには買い物かごを下げて出かけ、戻ってくるときにはそのかごが一杯で重たくなり、大根やネギの穂先が見えていたのを覚えているだろう?
一方でコカ・コーラでも三ツ矢サイダーでも酒屋さんで買った、あるいは配達してもらった瓶は返すのがアタリマエだった。コカ・コーラの黄色い木箱(角々を金属で補強した奴)は自分で大学時代、横浜の西久保商店街の酒屋で配達をして毎日運んでいたので良く判っている。リサイクルなど今よりはるかに頻繁に行われてきたのだ。地方の中学校で廃品回収が校内行事の一環で定期的にあったなど、今の人間は少しも知るまい。
http://yamasemiweb.blogspot.com/2014/09/blog-post_20.html ご参考。
https://ameblo.jp/hondacp77/entry-12506133441.html 参照
もちろんキリンビールも黄色いプラスティックの箱に入ったものを二段で肩に担いで横浜の高台を配達して回った。勿論空箱空瓶は回収した。個人的に言えば、この時の鍛錬がいま72歳になっても腰痛が一切無いという幸運に繋がっているのだろう?
八百屋に買い物に行っても買った物は新聞紙にくるんでくれた。魚屋の魚も油紙もしくは薄い経木に入れて、それを新聞紙にくるんでくれた。要は新聞紙でも紙袋でも溜め置いて、再利用して使い回したものなのだ。それが当たり前の時代だった。
1972年英国に短期語学留学し、地元の家(一般の労働者階級の家庭)にホームステイした際も、そこの奥方がスーパーの紙袋類を綺麗にシワを伸ばして大切そうに戸棚に仕舞っていたのを覚えている。新聞紙や紙袋は使い回しし、世界中で出来るモノはすべて再利用が当たり前の時代だったのだ。
勿論レジ袋などと言うものは存在せず、買い物かごに買った物を直接入れて、持ち帰ったのだ。それが常識の世の中だったのだ。今でいうSDGsなど当の昔から国連に提唱されずともやっていたのだ。
それが今の世の中はどうだ?
コーラやビールは消費者が頼みもしないのにメーカー都合で缶入りに成り、町中至る所の自販機で購入できるようになった。全て企業・メーカーの売り上げ増=金儲けの結果だろう?
未成年だってビールや缶酎ハイを24時間無資格で買える。こんなルーズな国、世界中で日本だけだろう?
あのジョージ・ルーカスの初期の映画・アメリカン・グラフィティで、卒業したての田舎の町の高校生が年齢を詐称してドラッグストアからビールを買うシーンなど、日本では有り得ない。
モノを買えばレジ袋に入れたり過剰包装でカサばかり大きくなったものを、地球環境に悪い物質(=プラスティックカバーのコンビニ弁当など)で包んで渡されるように成ったのだが、これって消費者の我々が頼んでそうなったのか?
違うだろう?売ってなんぼ・・の企業・売り手が陳列し安く売り易いから、他メーカーより売れるだろうと競争しながら、我々が頼みもしないのにそうしてきたのではないのか?
何でそれを我々消費者が、今に成ってレジ袋にまで金を払わねばならないのだ?しかも売り手の店の宣伝が入った袋を・・・。同時に紙製の袋まで便乗で有料にして買わせる。これって長い目で見れば詐欺だろう?メディアも何故それを暴いて情報拡散・問題提起しない?
高原の佇まいに暫く感動していると、やはり野鳥の囀り、鳴き声だ。どうしても動くものや音に反応してしまうのは、小学校の頃から落ち着きがない自分の性格というか本能だから仕方が無いのだろう。野鳥と同じで遠い先祖は猿ではなく直接恐竜だったのかもしれない。
昨日の高原・八島湿原の佇まいの中で動き回っていたのは、やはりノビタキ。繁殖期の初めの生態・佇まいは今後にするとして、まず今日はノビタキのフライングキャッチの行動。
幾度も言うが、野鳥の綺麗な画像を撮るのではなく、その生態・行動を証拠画像として収録するのが筆者の流儀なので、ピンボケ、ブレは在ってアタリマエであることをご容赦願いたい。
2018年に車で九州・熊本・人吉へ遠征した際、時間が有ったので中央道を北上、八島湿原へ立ち寄ったのが5月27日だった。ほぼ同じ時期なのに1週間~10日ほど今年は春の訪れが遅い様だ。下界では桜の開花含めて2~3週間もすべてが早いというのに、どうした事だろう?
ノビタキとホオアカのレポートをアップした昨日の八島湿原は、いつもの佇まいながらまだ湿原の木道沿いは茶色い枯れたフィールドだった。