2020年10月31日土曜日

日本人は何故そんなに人の眼を気にするのだろうか?不思議。 Why do Japanese people such care about people's eyes? Strange.

  最近、ネットで調べ事をしていて、やたら目につき見出しが引っ掛かる記事があったので読んでみた。どれもこれも「ホントかよ?」というような各種ランキング記事なのだ。

 我が国は世界で何番目に「人気の在る国か?」、「安全な国か?」だとか、国内47都道府県で一番餃子の消費量の多い所は何処だ?、沢山観光客が訪れる所は?などの類だ。

 どうやってその結果をはじき出したかなどはほとんど触れていないので、どこまで信用してよいのかもちろん判らない。筆者的にはテレビのクイズ番組の元ネタの様なものだと思っている。

 日本人は何故こういったランキング、成績、いわば人が「自分、あるいは我が国をどう観ているか?」が気に成るのだろう。

 昭和の時代から、外タレ(古いなぁ!)が公演などで訪日すると、テレビのニュースなどで判で押したようにインタビューアーが「日本の印象はどうですか?」あるいは答えを押し付けるように「日本は好きですか?」と訊きまくるのを不思議に、同時に恥ずかしく見ていた。


 実は随分前からミシュランの「星の数」に一喜一憂する日本のレストランの様子をメディアで見て呆れていたのだが、評価、ランキングに異様に反応する日本人の姿を観ながら「何だかなー?」と思っていたのだ。「星」が付くだけで有頂天になる関係者に呆れていた。

 何で一生懸命日本人の味覚に応えようと頑張っているレストラン(和洋中華共に)が紅毛碧眼の西洋人のタイヤ屋にランクをつけられなきゃいけないのだ?すべてのお店で味を試した訳でもあるまいし、それに一喜一憂なんて、・・・何でよ?だ。

 ミシュランの調査員(日本人だろうがフランス人だろうが)人吉のチャンポン屋「ま心」へ行ったのか?それでミシュランはちゃんぽんの味が判るのか?やるなとは言わぬが、ミシュランてフランス人なんだろ?フレンチだけのランキングにしときなよ。本場フランス人が日本のフレンチ料理を評価するなら納得だよ。

 ミシュランは銀座のひょうたん屋(鰻の老舗)へ行ったのか?北九州の田舎庵(鰻の老舗)へ行ったのか?蒸して焼く鰻の蒲焼と、生から炭火で焼く蒲焼の差が判るのか?どっちが良いかは好き嫌いの問題だろう?星の数の問題じゃないだろう?

 寿司屋も評価している様だが、何様だ?ネタは季節で変わるのだし、ネタがその美味さの90%以上を占めるのだから、時差や季節の要因の少ない卵焼きだけで比べるってのが本当だろう?ガリの味まで判るのか?

 それも寿司屋に限らず、我々庶民がそうしょっちゅう行けそうもない店ばかり。広告代理店現役時代は義理飯でいくつかの星印のお店に行った事はあるが、決して「星三つです!」の堺正章の様な納得は出来た例が無かった。

 この頃の笑い話がある。ミシュランなどに載らない日本の飲食店協会のお店連合で世界中の車のタイヤランキングを発表したらどうだという話。パロディでも面白いじゃないかという事だったが、当時自分で勤務していた広告代理店内で没になってしまった。ミシュランの扱いをしている部門から「俺たちを殺す気か?」とクレームが入ったらしい。

 高い料金を払って、最高の食材を経験豊富な料理人が造ったものを、演出たっぷりのスペースで最高の食器にのせられて目の前に出されれば「美味くない」とは言えないだろう?

 でも、日本人は己の味覚に自信が無いのだろう。余程無いのだろう。だからスマホの「食べログ」などの書き込みや、TVのグルメPR番組を参考に混んだ時間に混んだ店に並ぶのだろう。長時間並んで腹が減っていればなんだって美味しく感じるのではないだろうか?

 広告代理店時代お昼のランチに皆を誘って「何を食べたい?」と訊いた時の話。「美味しいものが食べたい!」と手を上げて叫んだ若い女性スタッフが約2名いた。おじさん(筆者)は如何にそれが可笑しいかはくどくどと説明しなかった。しても判るまい。日本人の味覚なんてこんな程度なのだ。

 味覚・美味しいと思う感性は各個人個人で全然違うのだ。だから筆者は公にレストランの味にランキングをつけるなどというのは大嫌いだ。信用しない。私的に各個人が思うのはもちろん自由だ。各個人個人でランキングが異なるのが当たりまえだと思う。

ミシュランに鰻の微妙な差異が判ってたまるか。しかしどうしてこうも並ぶのだろう?

 これは佐原の駅の傍の鰻屋なのだが、数軒あるのに観光客はどうしてもネット評価で高いポイントの店に集中する。車のナンバーで大体分かるが佐原に来るGOTO観光客ばかりなのに・・・。これはあくまで筆者の経験値だが、佐原で鰻を5軒のお店で食べたら、残念ながら列をなしているお店含めて、どれも東京のB級のお店並みだった。もちろんこれは好みの問題だとは思うが。

こういう洋食屋をきちんと評価対象にしなきゃうわべだけのランキングだ。

 食べ物だけではない。最近笑ったし呆れたのが日本国内の47都道府県をその魅力でランキング評価した結果、最下位に成った栃木県の知事がランキングを発表した会社にクレームをつけに行ったという話。

 それまで最下位を続けてきた茨城県の知事は達観して、決してそんなことはしなかった。むしろどうやったら評価を上げられるか努力したと聞く。栃木県の県民は恥ずかしい知事を持ったものだ。

 百歩譲って栃木県の知事は、知事選の直前だったのでメディア狙いのパフォーマンスだろうと思うが、逆に相当評価を落としたのではないだろうか?「あまりに大人気ない」

 これに係わらず、日本のメディアはランキングがお好きなようだ。ネット上にも数々の世界ランクがあって、「我が国は一体どのあたりだ?」という日本人の「気にする心」を見透かしたような記事にする。

 大体この手のランキングは評価基準や算出方法がいい加減なモノばっかりだ。その昔米国のエスクワイアという雑誌にあらゆるスポーツをブレイン・レベル(=頭脳力)とフィジカル・レベル(=肉体・運動神経)の必要性を両面で評価したものがマトリックスグラフで出ていた。

 頭脳・肉体双方でトップなのがアメラグだった。で、自分がやっていた(1973~76年)アイスホッケーはと見たら肉体・運動神経ではアメラグ同様トップなのに、頭脳は最低レベルで良いと出ていた。無性に腹が立ってそれ以後エスクワイアは二度と見たことが無い。

 このデータの出どころは西海岸UCLAのスポーツ学科だったような気がするが、偏見がありすぎだと思った。これが東部のアイスホッケーの盛んなエリアの大学、例えばハーバードやM.I.Tでのデータだと変わるような気がした。ランキングなんてそんなものだろ?

ご参考に、こういうブログにした理由はこのランキングネタ記事をお読みいただければ判るだろうと思う。

https://news.yahoo.co.jp/articles/05c8cc3b0f6aa7749fb18b317ecade81e8d22392?page=1

http://life.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/06/18/2020061880110.html

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/10/28/2020102880058.html

 

2020年10月30日金曜日

晩秋の霞ヶ浦で野鳥探索レポート! Wild bird search report of Kasumigaura in late autumn!

  朝3時半に起きて、車で4時に出て東八道路からやっと繋がった首都高4号線で一路真東へ。夜明けの東関東自動車道はいつもの朝散歩の時間と同じ状況だった。

 目指す霞ヶ浦の湿地帯は地上付近はまだ濃い朝霧に覆われ、霧の層より上空に上った朝陽が青空を照らすという摩訶不思議な状況だった。 

まだ地上は朝霧でまだ暗く、野鳥の声はホオジロ程度。

 1か月前、同じ場所で観られたコジュリンやオオセッカは全然居なくて、ホオジロが数羽囀っているだけだった。トイレの有る駐車場は完全な真逆光なので、その場はそこそこに何とか湿地を順光で観られる場所へ移動。今日はその後2時間で見かけた野鳥の総合レポート。

 此処の野鳥に関してはこの後追々レポート予定。

逆光の葦原で囀るホオジロ。

独特V字飛行のチュウヒA

体の柄が非常にくっきりとしたブチのチュウヒ。

でっかいニゴイらしき獲物を下げたミサゴが目の前を飛んで行った。

湘南の浜辺の横取りギャングも霞ヶ浦では立派な猛禽類。トビの若鳥。

水のある所必ずカワセミが居る。

カンムリカイツブリは10羽ほど居た。これは縞模様が残る幼鳥だろう。

今やどこにでもいるオオバン。

2020年10月29日木曜日

東北・米沢市内、最上川河畔の野鳥たち。その4.アトリ. Wild birds on the banks of the Mogami River in Yonezawa-city, Tohoku. Part3 . The Brambling.

  最上川河畔で出遭った野鳥の中で一番傍で長く観察出来て、逃げなかったのがこのアトリ。大群で居る所は球磨川河畔でもさんざん見てきたが、今回は10羽ほどの小群だった。

 松ぼっくりの様な実がたくさんついた針葉樹(ドイツトウヒらしい)に群がって、タネをほじくり出して食べるのに夢中だったようだ。

 くちばしが互い違いに交差しているイスカなどはこのドイツトウヒの実はこじ開けにくいのではないだろうか?

 しかしやはり8万人の都市のど真ん中でアトリの群れに出遭えたには驚かされた。



極めて小さな種を啄んでいる。

こちらも松の実のようなタネを咥えている。



もう夢中で食べ漁っていたところを見ると、渡ってきて腹ペコだったのだろうか?

2020年10月28日水曜日

東北・米沢市内、最上川河畔の野鳥たち。その3. カシラダカ. Wild birds on the banks of the Mogami River in Yonezawa-city, Tohoku. Part3 . The rustic bunting.

  東北米沢市内の最上川河畔の野鳥たち、今日はカシラダカ。さすが東北、首都圏よりカシラダカの飛来が早い様だ。冬鳥の飛来時期はその年によって随分異なる。

 今朝、日の出の頃の愛犬散歩でジョウビタキ♂の初鳴きを目撃した。三鷹の住宅街にジョウビタキは非常に多い。都心はどうだか判らないが三鷹・武蔵野は冬になると野鳥の数が多くなる。

 付近を流れる野川から直線距離で5~600m有るか否かなので流域の一部に入るのだろう。野鳥であればひとっ飛び。

朝陽を浴びてヒッヒッヒッ、カタ、カタ、カタと独特の鳴き声が久しぶりだった。

熊本ではこの鳥をヒンカチという、面白い名付け方だが納得する。

三鷹の住宅街の民家の屋根。毎年同じ場所に居るので去年の個体と同じか?


 最上川のカシラダカは木の実が沢山成っている場所を行ったり来たりしていたが、その実をほお張った場面は目視出来なかったが、間違いなく餌場ではないかと思う。他のヒヨドリ、ホオジロなども盛んに出入りしていた。
一瞬、ミヤマホオジロかとも思ったがカシラダカだったようだ。

周りの赤や黄色の木の実は食べごろなのだろう。



画面右がオス、左がメスではないだろうか?この2羽しかいなかった。

この後、最上川を渡ってこちら側へ飛来した。

2020年10月27日火曜日

東北・米沢市内、最上川河畔の野鳥たち。その2 アオゲラ. Wild birds on the banks of the Mogami River in Yonezawa-city, Tohoku. Part2. The Japanese Green WoodPecker.

  米沢市のど真ん中で遭遇した野鳥、第2弾はアオゲラ。ちょうどサシバが南西方向へ去ったあと、偶然北へ眼を転じた際にこちらへ向かって飛んでくる中型の野鳥を発見!

 飛びながら声は発していなかったが、その前にずいぶん遠くで「キョッ!」というキツツキ系の声を聴いたような気がしていたので、ひょっとしてとレンズを向けた。

 結果、やはりアオゲラだった。キツツキ系の飛翔を撮影するのは三鷹でも結構チャンスが多かったが、こういった遠隔地で前からの画像は初めての事。

 最上川の対岸の河川敷の樹に留まったアオゲラは、1分も経たないうちに川上方向へ飛んで行った。人口8万人の都市の真ん中でアオゲラにサシバ、来て良かったと思った次第。

 この後2時間ほどして、同じ最上川河川敷でアオゲラの声を聴いたが、同じ個体のような気がした。


アオゲラの空中羽ばたき回数はパパッ、パパッとヒヨドリより少なく軌跡は一直線。

余り減速せずに樹木にピタッと留まる。足の指の掴む力が強力だからだろうか?





やはり飛んでいる時は鳴かず、飛ぶ前に予告鳴きをしていた。

2020年10月26日月曜日

東北・米沢市内、最上川河畔の野鳥たち。その1. Wild birds on the banks of the Mogami River in Yonezawa-city, Tohoku.

  中途半端だったがGO TOキャンペーンを活用して、東北米沢市に行ってきた事はこのブログでも既報の通りだ。本来の目的が野鳥探索ではなかったのでAPSCサイズの一眼デジでズームも手持ち用の70-300mmを「念のため」持って行っただけだった。

 何せ、米沢駅から直線で片道2㎞程を往復するだけの目的地だったので、PCなど荷物を駅のロッカーに入れて、予定の時間まで基本的に歩きを主体に最上川河畔を行動をした。

 山形新幹線つばさで米沢に降り立った時点、1週間前の10月19日(月)はGO TOキャンペーンの真っ最中なのに列車内にいた乗客は1両辺り4~5名で、米沢駅に降り立ったのは10名程度しかいなかったように思う。本当にキャンペーンってやっているのだろうか?が正直な感じ。

 駅のロッカーにデイパックを入れてカメラだけたすき掛けにして歩き始めて2時間半。17,000歩が今回の地方都市ど真ん中の河畔探鳥だった。

米沢駅前から中心部に伸びる主要道路、人が居ない、車が居ない。寂しさ人吉市以上。

最上川の河川敷。何もなく公園状態。ジョギング、散歩の人に3名遭遇。クマも出る。

色々分かれて流れている様だが、地図上で最上川と表示のある河川。

東北の主要道路の分岐点が近い。

突然ヒヨドリの群れがザーッと上空を飛んだ。渡りとは違う飛び方だった。

暫くすると遠くに猛禽類独特のシルエットが見えてきた。2回旋回してこちらへ。

タカ斑が見えるので鷹の一種だろうと思ったが・・。

今まで見たことの無いタイプだったが悠々と米沢市のど真ん中を東から南西へ。

夜、宿舎へ入ってネットで調べたらサシバのような感じだった。



九州ではサシバはタカ柱になる渡りの時期に山のてっぺんに撮影者が集まるらしいが、こういった街中で見られるのは聞いた事が無かった。東北では普通の事なのだろうか?

2020年10月25日日曜日

人間、住む所に関する利点とリスクは理解しなければいけないと思う。 I think we have to understand the benefits and risks of places of residence.

  今回の球磨川豪雨水害で色々考えさせられることが多かった。個人的に知っている、あるいは非常に懇意にして頂いてきた方々が大変お気の毒な事態になるなど、被災された方が多いので未だに球磨川の洪水に関してのあれこれが頭から離れない。

 このブログでも幾度か述べたが、単にダムの有る無しで球磨川の洪水に対する防御を行っても、必ず豪雨はこの先も襲ってくるし、球磨川は氾濫するだろう。問題はその際どうやって人命を救うかが重要な問題なのだと思う。

 熊本県の蒲島知事さんが県内を巡回して被災者含めて「民意」を聴いて廻っている。しかし、「民意」は殆どTV報道、新聞報道、ネット記事などメディア・マスコミから得た情報だけで出来上がっていると言って良い。もしくはそういう情報を丹念に拾っている「物知りの友人」からの解説で出来ている。

 したがって、今回の球磨川洪水のメカニズムと本当の原因を知って理解した上で「意見=民意」を持っているとは到底思えないのだ。行政の人たちですら「本当の真実」を理解しているとはとても思えない。専門家たちですら色々な意見で対立・混乱しているのだから。

 その意味からすると、実質的に今ある「民意」の中身・方向を決めてしまう地元メディア・マスコミの責任は非常に大きいと思うが如何だろう。

 必ずまた来る豪雨、洪水氾濫への不安、日常生活の復活へ向けての自己資金の悩み、また来る洪水への自己防衛方法を考えた時、国や行政への不安に駆られた「ダメ元で、言うだけは言う」陳情・要請・意見は今後も途切れなく出てくるだろう。

 聞いてもらえたと思えば、民衆は期待するに決まっている。果たしてその後は?

 一方、今まで住み慣れた所に戻って住みたいという意見が大半だとメディアで紹介されたが、「住み慣れた所に住みたい気持ち」を実現するために、我々が支払った血税が注ぎ込まれるのは、筆者としてはお気の毒だと思う気持ちとは別に、いささかモノ申したいという気持ちだ。

 理由ははっきりとしている。

 「住み慣れた所」に天災の危険リスクがどれだけある所か理解して住んで居られるのだろうか?という事だ。「先祖伝来の場所だから・・」「ご先祖様のお墓があるから・・」「小さい頃から育った場所だから愛着があって・・。」理由は色々あろうが、元々天災・洪水・崖崩れを受けやすいという事を棚に上げて感情的・気分的に「此処に住みたい、他へ行きたくない」という方が一番多いのだろうと推察する。

 こういった理由だけで全国民の税金を使った公共事業で、そういう一部の危険地域にお住いの限られた方々をサポートして良いものだろうか?

 人間、自分や家族が住む場所に関しては住む者自身が防災リスクを考える責任が在ると思う。特に国土が狭く、梅雨・台風・豪雨・地震・大雪など天災が非常に多い国の国民としては我が家の自然に対するリスクを理解し、「少しでもリスクの少ない場所選び」をする責任が在ると思う。

 風光明媚な球磨川が見えるから、川にすぐに降りられるから、桜の時期や紅葉の時期の景色が良いからそこに住みたい・・等という事を含め、一方で豪雨災害で洪水氾濫の危険、崖崩れ、肥薩線の普通、国道219号線の寸断などリスク面も検討し、我が家の場所を決めるにあたり、他人や地元行政に迷惑をかけない様、各人責任を持って優先順位を付ける必要があるだろうと思う。

 スキーの好きな御仁がスキー場の傍に住みたいけれど、大雪・雪崩・寒さ対策、クマの危険などリスクで、泣く泣く街中住まいする。風光明媚な観光地に住みたいが、観光客の多さ、物価の高さで生活するには無理と諦める。

 高層マンションに住んだら住んだで高い月の共済費・修繕積立金、駐車場代などの支払い、高層階火災の恐怖、大地震でエレベーターが止まった際の階段の上り下り、リスクは想像を絶する。東横線武蔵小杉の高層マンション地獄はメディアでも報道をはばかるような生活困難地域に成ってしまった。

 一次はブームになった武蔵小杉の高層マンション群。元川底後に建った棟もあり、昨年2019年豪雨で地下室の発電機に浸水し停電で大問題になったケースがあった。

 筆者を例に取れば、武蔵野の台地で地震が来ても地盤がしっかりとしている為、周りの地域での震度より必ず1段階低い。なので調布が震度3でも三鷹は2なり1の場合が多い。

 超大型地震が来ても家の西側が直接大学のキャンパス(指定広域避難所)に接しているので安全。更には急激な集中豪雨があって排水溝がオーバーフロウしても、200m離れた場所が3mほど低くなっているので、そこに水が溜まり我が家の周辺は水が溜まらない。

 しかし景色に関しては全くメリットはなく、コンビニ・バス停まで500m以上というデメリットもある。何を優先するべきかを自分なりに考えての場所決めをした。

 勿論、ウインドサーフィンに狂っていた30歳台には友人たちの強い引きで風光明媚な湘南~葉山エリアに住もうと思ったことは幾度もある。候補は友人紹介の昭和初期の別荘だったり、富士山正面の相模湾を臨める、映画に出てくるような丘の中腹の白亜のハウスだったり、チャンスはいくらでもあった。当時は物件もまだ安く資金の工面も充分ついていた。

 しかし、相模湾の地震・津波、塩害で洗濯物が乾かない環境、都心までの満員電車の通勤、週末の観光客の大混雑、道路渋滞。風が強い絶好のウインド日和にも都心へ向かわなければならないストレス・・・。色々なリスクを考えて諦めた。

 球磨川で言えば、筆者の友人の先々代が荒瀬ダムなどが出来る際に山の中腹・高台へ集団移転し、今回の洪水災害には合わなかったと聞いた。やれば出来るのだろうと思う。

 そこに住みたいという生活者の心を尊重し大切にするのはもちろん大切な事だ。しかしそれが災害を発生させる原因の一つに成ってしまえば「我儘」に見えてたりもする。このあたりの微妙な状況をメディアは公正・公平に報道しきれるだろうか?

2020年10月24日土曜日

東北 米沢市の最上川で洪水への備えを視てきた。 This week I researched at preparations for the Mogami River flood in Yonezawa, Tohoku.

  今週、東北の米沢市で写真家の佐藤秀明さんが中心になって開催されている写真展(10月20日のこのブログで既報)のセッティングに顔を出した。10月20日のブログで既報の通りだ。

 10月20日のブログ= http://yamasemiweb.blogspot.com/2020/10/exhibition-of-origin-of-photography.html

この際、市内のど真ん中を流れている最上川の周辺を野鳥観察兼ねて洪水対策をどのように行っているか視て回った。3時間ほどだが2万歩は歩いてみた。

 この米沢市は山形県南部に位置し、最上川で言えば上流部にあたる。球磨川で言えば多良木~あさぎり町辺りに相当しようか。あるいは支流の川辺川であれば相良村より上流部にあたるのだろう。

 福島から山岳地を抜けて米沢盆地へ入る直前、峡谷部を流れる最上川(支流)上流部も撮影出来た。球磨川と基本的には立地条件が良く似ている。

球磨川で言えば市房ダム湖より上流部にあたるのではないだろうか。

砂防ダム、堰は多い様だ。

 米沢市中心部を流れる最上川。日本三大急流の一つとはいえ、此処ではまだ球磨川のような速い流れは見当たらない。

カモ類が居て、アオサギが樹上に居るのは球磨川と全く同じ。

 以前このブログでも投稿したが、実はこの7月4日の球磨川豪雨水害の数週間後、7月28~9日頃、この最上川が同じく豪雨で氾濫した。

 支流の白川の氾濫などは本流の最上川の水位が上がり合流できずに逆流した結果の氾濫で、バックウォーター現象が此処でも起きているという事らしい。今までの洪水と現在の洪水はメカニズムが全然違うようなのだ。

http://yamasemiweb.blogspot.com/2020/07/a-flood-similar-to-kuma-river-occurred.html

 もはや現在の雨の降り方(線状降水帯の集中)では、ダムの有り無しで洪水氾濫を防げない時代に入った、と全国的に認識しなくてはいけないのだろう。

 洪水は球磨川だけの問題ではない。球磨川より支流が多く、はるかに数多くのダムが上流部に造られている最上川でさえ、このような新しいタイプの洪水・氾濫が起きているのだから、今や「ダムの有る無しが「治水」に意味をなさない事実」をすべての人々が知るべきだろう。

球磨川と同じくバックウォーターで氾濫した最上川支流の白水川。

 しかし、今年の最上川の洪水氾濫では、死者・行方不明者などの命に係わる犠牲者は出ず床上・下浸水程度で被害は治まっている様だ。その理由を現地で調べようと思ったのだ。・・・で、実際行ってみて驚いた。

 7月29日のこのブログでも書いた通り、昭和42年の羽越水害で米沢市でも犠牲者を含め、多くの家屋が被害を受けた。その後各居住者たちは自宅のかさ上げや移住を積極的に行ったのだという。その努力が今回の洪水に反映できたのだと地元メデイアやネットが報じている。

http://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/river/uetsu50/photo/yonezawa.html

 今回はこの昭和42年羽越水害の後かさ上げをした家屋の写真を幾棟か撮ってきた。不確かなデータや情報に振り回され、国や自治体に「治水」を請願・要請する前に、この「まず住民自身で行える対策」を実践している最上川流域住民に学ぶ事は多いはずだが・・。この地域差を深く考えさせられた米沢市を流れる最上川だった。
 住居をかさ上げし、氾濫してもクーラーの室外機が水没しない様上の方に設置。洪水はあるものと覚悟した自然を受け入れる生き方が印象的だった。

 右の草地が最上川の土手。それに合わせてかさ上げ、生活関連機器(灯油タンク?)もかさ上げしている。

この土手沿いの家も同様、クーラー室外機や灯油タンク?も2mかさ上げ済。

集合住宅は2.5m以上のかさ上げを行ってある。

こちらは3m以上のかさ上げを実施してあった。

 こうした他の洪水災害地の防衛手段などを見て回り、学び、良い点を取り入れる行動を行政・自治体やメディアもどんどん行うべきではないだろうか?

 連日、民意を聴いて廻るような集会報道ばかり目立つ球磨川流域の地元メディアだが、民意を聴いても「被害者としての要望・期待」あるいは「川底掘削・穴あきダム建設」などの「専門的数値データに基づかない素人考えの提案」ばかりで、事実データを元にした根本的・建設的な具体的提案などは出て来まい。

 ダムの有り無しなど、ハード面ばかりが洪水防災の様に思えてくるメディア報道だが、事前の各住民の備え、避難方法、避難訓練などのソフト面は一体どうなっているのだろう?その辺りの報道は何故なされないのだろう?ハード面50%、ソフト面50%がほんとうの防災では無いのだろうか?

 地元メディアに全国の洪水被害地域の工夫や対策、その成果などを調査して報道する技量は無いのだろうか?是非今後に期待したいと思う。そういう報道こそ地域住民の洪水対策に対する具体的な「希望」に繋がるのではないだろうか?「否定や非難」ばかり繰り返し、言い合っても何も進まないように思うのだが・・・。