10月4日の熊本地元の地方紙・熊本日日新聞朝刊に今回球磨川豪雨水害発生時7月4日の降水量データが非常に判り易く掲載された。これは画期的な事だと思う。多少地学や地理を学んだ者であれば、計算機一台で今回豪雨水害の概要がつかめるだろう。
国交省が唐突に「川辺川ダムさえあったらば・・」などと蒲島知事に白紙に戻された腹いせのような意図的水量発表をする前に、本来関係者全員が知らなければいけない「何処でどれだけ、どう云う降り方をしたのか?」を知るべき非常に重要な資料だ。何とか全国紙に転載できないものだろうか?
その辺りは、この解り易いデータを一覧表にしてみてすぐに判った。降り始めから4日の正午までの総降水量を色分けしたデータ表と、洪水に直接的に影響が強いと思われる4日未明午前0時から明け方8時までの集中豪雨時の降水量を両方一覧表に並べてみて解った。
3エリアの観測地点の数が違うので、そのまま総降水量を足してはいけない。総降水量を観測地点数で割って3つの流域の観測地点平均を出してみた。
そうしたら、降り始めからの総降水量、7月4日の朝8時間の降水量ともに一番降ったのは何と!人吉から八代市坂本町附近の球磨川峡谷部だった。
要はこのブログの10月1日(今回の記事3日前)の投稿通りに近い事が起こっていたという事ではないのか?「緊急投稿!新・肥薩線の復旧を考える。その3.(ダムの是非しか考えないのか?) Consider restoration of the New Hisatsu Line. Vol 1. (Is it only the pros and cons of the dam?)」
http://yamasemiweb.blogspot.com/2020/10/consider-restoration-of-new-hisatsu.html
これに次いで、人吉市から球磨川上流の湯山~水上エリアで、しっかり降水量を計測できるはずの市房ダム付近ほか6か所では計測不能と言う豪雨が降ったようだ。これも計測不能な量が降ったという事であれば3流域の数値はもっと広がる可能性があるし、別の意味(ハード面の国と県の不備・責任)で大問題だ。だからこそ、7月4日の朝、あと1時間豪雨が続いたら市房ダムは支えきれずに緊急放流せざるを得なかったという事なのだろう。
一方、この3グループの中で一番数値的に低いのが、川辺川ダム予定地より上流の川辺川エリアだった…という事は、川辺川ダムが在ったとしても今回の洪水は防げていないという事に成るだろう。逆に言えば線状降水帯が今回より北にシフトして降水量が一番多ければ、在ったとしての川辺川ダムが緊急放流せざるを得ない事態が起きて、更に甚大な被害を招いた可能性が非常に高い。
これらのデータを筆者のような素人ではなく、その道の専門家の方に判り易く分析解説して頂きたいし、地元の熊日新聞は是非今回のように一般人にも判り易い情報開示をお願いしたいところだ、手を揉みながら期待したい。
つくづく、今回の情報開示を得て国交省がまず最初に唐突に川辺川ダムが在ったら・・などと言う発表を行ったことに作為的な嫌らしさを感じる次第。
最近になって、このあたりの不自然さに疑問を感じるメディア記事や、地元有識者の意見が増えてきたことに、判っている人もちゃんと居るんだ!と、安心感を覚えた。
空から降った水の殆どは川となって海にそそぐ、小学生でもわかる話だ。つまり降った雨の降水量と河川の流量とは比例しない訳が無い。
この降水量を分析しさえすれば国交省の発表した水量や、川辺川ダムが在ったら減らせた水量が妥当か否かすぐに判ろう?河川の専門家の方々は降水量と川の流量の比較をしながら、是非一般の我々にも判り易く解説をして欲しい。
こういった情報を詳しく分析して専門家が発表し、すべての政治家・議員さん、各自治体の首長さんが同じレベルでこれを勉強し数値的な認識・洪水の起きるメカニズムを理解をした上で、この先の防災を議論し生き抜く術を考えねばいけないのではないだろうか?
今のままでは意見を述べる方々の頭の中のレベルがあまりに違うので、このままではダムの有る無しという、低次元の部分的な論戦だけが大きくなり、混乱に拍車をかけるだけのような気がする。
このブログでも繰り返して言うが、「自然の脅威を人間の力で治められる『治水』などと言う驕った言葉は、もう既に意味なさない地球環境の時代に入った。」と早く皆が認識すべきだろうと思う。
色々被害を軽減する方法はあると思うが、洪水を全くなくすのは不可能だと早く悟るべきで、次世代以降の住民の命を守るためにも、今すぐ取り掛かれる危険地域からの移住・早期予知・予防・住民啓蒙・避難訓練・人命救助の方をまず先に考えるべきではないのか?
それに、ダムさえあればと建設を推進する者は、ダムが完成した後に今回と同等以上の被害が生まれた時の責任の取り方を各人共に考えておくべきだろうと思う。