あれから1か月経っても球磨川の流れは完全に戻っていないという。初めての事らしい。筆者が2010年から毎年ヤマセミの観察・撮影で通った限りでは、最長でも14日(=2週間)もあれば完全に元の清らかさに戻っていた。今回は余程の事なのだ。2012年の九州北部豪雨の際も川辺川上流部に相当の雨が降ったが、その際の川辺川の濁りは14日程で元に戻っている。
筆者はヤマセミそのものの観察だけではなく、その生息する自然環境も学ぶため球磨川・川辺川のほぼ全域をレンタカーで動き回り、球磨川水系の4つのダム(市房ダム・瀬戸石ダム・内谷ダム・油谷ダム)にも行った。2010年からの人吉滞在日数は300日を越える。
ヤマセミを中心に撮影した野鳥画像は15万カットほどになるが、風景・地形・球磨川水系の画像も相当なカットな数に上る。あくまでヤマセミの生息環境のための画像なので治水・防災目的で撮影されていないが、その方面でも少しは何かの役に立つと思う。
川辺川ダム計画で高台に移動した五木村や、まだ営業中だった頭地資料室「やませみ」にも顔を出したし、高台に移転後のPRセンター「ヒストリアテラス五木谷」へも行って、「人吉市の山翡翠」の写真集をお渡しした。
要は、今回の7月豪雨による球磨川の氾濫・洪水災害を考える時、
①何故それは起こったのか?
②どうすれば洪水は防げたのか?あるいは防げないのか?
③今後はどうすればいいのか?
の3部門に関しての裏付け資料・画像付き推論(=あくまで筆者は素人なので断言はできず推論でしかない)をまとめてみようと思ったのだ。
そのために、筆者がどの程度球磨川と川辺川及び大小合わせて150近くになる支流部の状況を見て回っているかの裏付け画像、その他資料を出しながら話を進めたい。そうでないと「何も現地を知らないくせに勝手な推論をするな!」と言われてしまうので、あらかじめ筆者にどの程度の現地の土地勘・基礎知識があるかを述べておこうと思うのだ。
回数から言えばヤマセミを探しつつではあるが、市房ダム湖~湯山~市房神社辺りは延べ20回以上訪問し、水上村には4泊している。市房ダム湖は超渇水時から満水時まで、あらゆる段階の姿目視をしている。これはある特殊な珍しい野鳥の繁殖を毎年定期的に行っているからだ。
一方、川辺川上流の五木村へは計6回ドライブし、一度は一番奥の五木小川最上流部の内谷ダム湖へ行っている。今年の3月には八代市坂本町から球磨川右岸を上った油谷ダムまで行った。実はこの二つのダムは球磨川~川辺川~五木小川経由で車で遡っていくと99㎞もあるのに直線距離ではたったの3㎞もないというとんでもない環境に存在するのだ。