江戸時代から武士の秩序とは異なった商人の秩序で発展した大阪・関西で半世紀ぶりの国際イベント「万博」開催。大阪・関西の方々にはお喜び申し上げたい。しかし、どれだけの団塊世代が生き延びてそれを直接あるいは間接的に観られるか?
今ですらマスコミ・メディアはA.Iだ!車の自動運転だ!電気自動車だ!いや水素・燃料電池車だ!とかまびすしい(喧しい)が、その手の最新技術内容に関してはまったくの素人ながら、実際に普及した際使う側の自称コメンテーターとしては相当な抵抗とストレス感があるのは否めない。
「2001年宇宙の旅」原作者のスタンリー・キューブリックの企画をスピルバーグが奇しくも2001年に世に送り出したというA.I。印象深い作品だ。
A.I、コンピュータとプロ棋士が闘って勝った負けたとメディア上で騒いでいるが、あんなものコンピュータが勝つに決まっていると団塊世代はずいぶん前から思っていた。
今でこそコンピュータだのそれをベースにしたA.I(artificial intelligence=人工知能)だの日常で具体的に使われるようになったが、元は1956年に出来た言葉だ。
コンピュータは元は電子計算機だ、高度の集積回路を混ぜくり合わせて出来た「記憶装置=機械」の一種だ。だから将棋の手は一度覚えたらデータとして機械が壊れるまで忘れない。なおかつ、同じレベルの記憶量をコピペして何万と同じ分身を造る事が出来る。忍者の分身の術など足元にも及ばない。白土三平のカムイ外伝でも追いつかない。
これに対して人間は「忘却」をもって人間性を高めるという摩訶不思議な生き物だ。嫌な事はいつしか自動的に記憶から消え去り、子供の頃の嬉しい記憶、例えば生まれて初めて釣った20cmの魚が70歳古希の頃には40cmの大魚となって自慢話になるという、何とも勝手で都合の良い生き物なのだ。
これによく似たよい例を皆さんだってご存じだと思う。昭和の時代、いわゆるハンディの電卓が登場した際、そろばんの有段者の暗算と一般の人が電卓で競走したNHKのTV番組があった。単純な足し算以外、圧倒的に普通の人が打った電卓の方が正確で速かったのを観て驚いたのを覚えている。複雑な加減乗除、利率計算・ルート計算など・・・。
だから羽生さんにしても、藤井君にしてもこのコンピュータと対局しても勝てる訳がないと思うのだ。どうしても勝ちたければもちろん本意では無いが、桂馬駒をまっすぐ進めたり、角駒を真横に動かして違反をして相手を混乱させるしか無かろう?これはたぶんルール違反の駒の動きをコンピュータは指摘して文句を言ったりできないだろうと思うからだ。
それでもダメな場合はコンセント抜いてしまえ!なにせ相手は電気で動く機械だ!
A.IにしろV.Rにしろ電気がなきゃ動けまい?福島原発事故で散々迷惑をかけている東電がどれだけ偉そうにI.Hクッキングの宣伝をしても、地震や台風で電気が止まれば料理が全然できまい。今年はその手の被害が全国で発生したのを覚えておられよう?身を持って体験した友が8名もいる。
エネルギーは電気だけではだめなのだ。災害天国日本において電気自動車の未来は決して明るくないのだ。
1968年封切られたスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」以来、コンピュータや人工知能=AIに関する映画は数多く制作公開されたが、メディア・マスコミも一般の人々もそれらの影響を相当強く受けていると思われる。
映画アイ・ロボット
映画「サイレント・ラン二ング」1972年
リアルな植物を育てながら宇宙を行く温室宇宙船の中で水遣りロボットが、管理する人間同士殺し合って誰もいなくなった後も無人の宇宙船の中で働き続けていくというSF傑作映画。1972年に既に人間とA.Iロボットの相いれない関係を予告している。
実態A・I.は、そんな便利で素晴らしい夢のような事ばかりでは無いような気がしてならない。極めていい加減な人間の「考え方・生活習慣・生理的な反応」を余程吟味して進んでいかねば、この先結構大きな混乱を生み出すに違いないと筆者はみている。皆さんは如何だろう?