カリフォルニア州のアナハイムRoute 5脇にある1955年開業のディズニーランドしか認めない団塊世代は多いと聞く。やはり園内には英語をしゃべる茶色髪の係員が居て、USドルでないと通用しない世界・・・という子供のころの夢を壊してほしくないのだという。筆者の場合も同感だ、決してジェットコースターが怖くて嫌いだからというだけの理由ではない。
登録住所で言えば群馬県嬬恋村にあるのに「北軽井沢別荘地」だったり「軽井沢おもちゃの王国」などの呼称で客を騙すのと同じなのだろうが、どうも日本という国はこの手に関して甘いようだ。
この「東京ゲームショウ2018」ではVRだのEスポーツだの、椅子に座って楽をしてスポーツっぽいことを行うのがカッコいいと言わんばかりにアジテーとしているようだが、あんなもの絶対にスポーツと言って欲しくない。
もし仮想空間で指先だけ動かすゲームがEスポーツなら、敵を殺すゲームをE殺人、E戦争と名付けるべきだろう?ゲーマーの業界も耳障りの良いモノだけEスポーツと名乗るのは卑怯だろう?
実際はワシントンや西海岸の軍施設からネットでつながったドローン攻撃機で砂漠の敵を殺している軍用オタクと何ら変わらない。そのうちEオリンピックとかいうのが出来るのだろうけれど、見たくもない。
こういうのに夢中の奴らって本物の女性を口説かず、VRを観ながら色々する(道徳上具体的描写は遠慮します)のだろうか?これって女性に失礼だろう?
ここ数年、大手広告代理店がブランディングと称して、いかにも新しい提案事のように得意先をその気にさせ、商品ネーミング文化をごちゃごちゃにして混乱させているのも、このあたりと大きな関係があると睨んでいる。
ひと昔前、観光地のお土産で「○○に行ってきました」というクッキーや饅頭があって一時つられてそれを買ってきた者がいた。東京駅の地下の全国のお土産を売っているお店で「△△へ行ってきました」「□□へ行ってきました」という中身が全く同じな土産物を買って見せたことがある。製造会社や工場まで同じなのを見て相当ショックを受けていたようだが、そうやって現実を見せないと消費者や観光客は軽く騙されてしまう。
これに似たような感じで、著名な海外ブランドがカジュアルなTシャツに○○SPORTSとプリントすると、主力の本物は十万円以上する価格なのに1万円程度で買えるものだから、虚栄心の強い消費者がこぞって買い、街に溢れたことがあった。
その昔、釣りの乗合船で沖釣りに出た際、船長さんがBoat House のブルーのトレーナを着て、腰にFILA(フェイク物だと思う)の白いポーチを下げていた。これで同じ色のBoat House の二ットキャップを被っていたら褒めてあげようと思ったが、阪神タイガースの野球帽だったので黙って釣りを続けた。
断っておくが、このボートハウスの創始者、下山好誼さんの板張りのお店がまだ渋谷のファイアーストリートにあった頃、VANの社員だった筆者は毎週の様に伺って、彼のミッキーマウスやUSA玩具コレクションに囲まれながら、お話をしたもので大ファンだった。今でも当時のトレーナーやニットキャップは3種類大事に使っている。
本当はVANが作らなければいけない商品群だった。
10年掛けて信頼と伝統を築き上げた有名ブランドも崩れるに1年は要らない。あっという間だ。そういう時代にありながらもうファッション業界含めて商業の世界はめちゃくちゃだ。あの虎屋が全国の盛り場にCafeを出せば、スポーツ用品のadidas(アディダス)が普通のメンズのパンツを造り、尻のポケットにロゴを入れている。入れなきゃ何処の商品だか判らない。あのユニクロが女性のブラを造って売り、今やワコールに迫り業界トップの売り上げになろうとしてる。筆者が1年間宣伝課長代理として在籍して本国西ドイツの親会社と大喧嘩をして辞めたあのトリンプが第2位の位置から滑り落ちて業界4位だという。時代は変わったのだ。
そのうち紀文がサンドウィッチやおにぎりを出し、大塚製靴リーガル・ブランドの眼鏡や下着が出来、お茶の山本山のミルフィーユや佃煮なんてのが幅を利かせるようになっても驚かない日が来るだろう。もう専門領域だの、老舗などの定義が無くなって世の中は滅茶苦茶だ。
情報過多の時代にあって、余計混乱させるのが情報端末(主としてスマホ)の進化・拡散と消費者の非人間化だ。発想能力の退化、選択能力のみに特化する不完全人間の大量生産だ。
ずいぶん前にもこのブログで紹介した海外のアニメを今一度ご紹介。
https://www.youtube.com/watch?v=yJk0RyXVW5I
これを観て何も思わなかったら、その方は既にずいぶんスマホなどの情報端末に毒されていると思っていいだろう。
外出する際、筆者はデイパックにラップトップPCを入れて背負って出るので、音声通話とショートメールのみガラ系携帯電話で行い、歩数計や時計などのネット環境に繋がなくても活用できる機能だけ使用している。
あとはノートPCを動くデスクとして活用しているので、作業は365日フルタイムでできている。外出時持ち歩かないのはランニングと野鳥撮影の時だけだ。
団塊世代の就活・断捨離で、友達仕舞いや、年賀状仕舞い、疎遠な知り合いとの縁切りを勧めたが、まず一番効果が上がるのは、意味のない「いいね」など空しいコミュニケーションツールとしてのスマホやFacebookの店じまいだ。このFacebook内にしか友達がいない場合はちょっと問題だが、リアルのコミュニケーションを行っている友達・知人が20名以上いる場合は、もうそろそろFcebookで広がりすぎた友達との義理コミュニケーションで取られる不要な時間を断捨離すべきなのではないだろうか?
持つことでの弊害より社会事象としてのスマホ問題の方が大きくなっている現在。
TVも見入ってしまうと手足と目と耳、脳まで完全に取られてしまうが、AMラジオなどであれば耳から入ってくる音声・音楽だけなので、団塊世代も残された時間を有意義に使いながら、いちどに二つ以上の事が出来る。昔取った杵柄ではないが「ながら族」の本領を発揮できるのではないだろうか?
しかし早朝、住宅街の道路で腰に下げた携帯ミニラジオから流れるNHKのラジオ体操をイヤホーンで聴きながら、ラジオ体操をしていて、手を振り上げた瞬間横を通った配達の車と接触してしまい、手の方が壊れた御仁を知っている。よっしゃ!と即実行に移すにしても時と場合を考えねば命にかかわるのだ。
またもや話が流れてしまったが、スマホ頼りで、お財布機能やプリペイドカード機能を入れた情報端末をトイレに落としたり置き忘れたりして紛失し、人生が終わった人も2名ほど知っている。
全ての動作を今までの70%程度に落として、焦らずスローダウンしながら生きていかねばトラブルに見舞われる団塊世代。そろそろ入ってくる情報も今までの70%に抑えて本当に必要なものだけを取捨選択しながら身辺整理をしたら如何だろう?