別に雨だからという訳でもなかったが、この雨が続いた8月はずいぶん美術館で過ごした。東京都美術館(=ボストン美術館の至宝)、国立新美術館(=ジャコメッティ展)、損保ジャパン日本興和美術館(=吉田博展)、東京ステーションギャラリー(=不染鉄展)。
いずれも自分で是非行きたいと思って、あるいは何となく「良いんじゃないだろうか?」と勘を頼りに行ったわけでも無い。確証を持って行ったのだが、その確証を持たせてくれているのが、大手広告代理店で同僚だったH氏(武蔵野美術大学卒)の毎日2~3カ所を巡った美術展レポートFacebook投稿だ。物凄いエネルギーで東京近郊~千葉から横須賀の外れまでくまなく回っている。
この方はもちろん美術系大学を出て美術全般に関する知識は生き字引と言って良い。各作家の生い立ち、世の中からの評価、作家同士のグループ事情、売買の際の価格など。
もう一人北九州門司区在住で1960年小倉市(現北九州市小倉北区)に住んでいた時代の小学校クラスメートが居る。絵画収集家なので、美術界・収集家の間での評価・価値やオークションの落札価格を良く知っている。
それぞれ審美眼は凄いのだろう、お二人ともとても筆者には無いモノを持っている。的確な批評・評価をしてくれる。しかし随分筆者の見方とは違うようだ。それはそれで全然気にならない。これは良い悪いではなくあくまで嗜好の問題で、自分的には食べ物の好みと同じだと思っている。
多分美術界で通用している一般的な評価の物差しは自分にはこれぽっちもないと思っているのでとても気楽だ。好きなものは好き、そうでもないモノはそれなりに観ている。ましてや、その作家の作品は他の誰々より優れているだの、劣っているだのは言わない。「じゃあお前にそれ同等の絵を描けるのか?」と問われれば判ろう?無理に決まっている。
画商の付ける値段だって好きな人が多ければ需要と供給で高くなるだけだろう?宝石・ジュエリーやコレクターズアイテムのレコードのオークションと何ら変わらない。
一時期自分の元に置きたいが為、高いお金を払って自分の手元に置くだけだろう?コレクションなんてそんなものだ。
これは自分がオールディズのオリジナルレコード(米国盤・英国盤)を数千枚コレクションしているから良く判っている。
例えばどんなに美味しくても、有名な料理家や美食家が「この美味しさが判らなければ駄目だ!」と言っても筆者はアボガドを絶対に美味しいと思わないし、食感が気持ち悪いし食べたくない。
流行のパクチが大嫌いで「何であんな青虫みたいなもの食べられるの?」という多くの人達と同じだろう、気持ちはよく判る、と言いつつ筆者はプランターで沢山パクチを育てる程大好きなのだが。
筆者は永年自分で写真を撮り続けているし、時々は水彩画も描く。従って人の絵画作品を観る時は、どんなに有名な画家の絵であっても、どうしても構図だとか意図する演出だとか、描きこみ方だとか、どういうプロセスで完成まで持って行ったのだろうとか、自分が描く場合を考えて観てしまう。
自分で絵を描かない人がいくら良いの悪いの、好きだ嫌いだ言ってもしょうがないと思う。だからその絵画・その他作品の一般的な評価などは気にした事もない。
これは、自分で楽器を一つも弾けない方が、オーケストラその他の演奏やバンド演奏を上から目線で偉そうに良いだのいまいちだの批評するに等しい。前にもこのブログで述べたが、テニスの松岡修造が錦織選手を批評するのは当然だし、筆者もじっくりと解説を聞く。しかし同じ松岡修造が世界水泳やサッカーで日本チームを解説するのは納得いかない。逆にサッカー選手や水泳選手がテニスの批評や解説をしたら松岡修造やご自分でテニスをおやりに成る一般の方々はどう思うだろう? 判りやすく言えばそれと一緒だ。
だから展覧会も、決して有名な画家、評判だから行く訳ではない。「お前行った?まだなの?」と言われたくないから行くのではない。好きな展覧会は同じものに何度も行くことがある。変わり者かもしれないがそれで良いのだ。そういう観点からすれば、H氏の連日の美術展レポートはもの凄いと思う。誰にも真似出来得ない彼だけのモノだろう。ある意味展覧会評論家という新しいジャンルを確立した美大出のパイオニア・プロだと思う。
団塊世代も、少しでも絵心が在るのであれば美術館へ行こう!
事情通によると大変重要な展覧会らしい・・・・・が。
江戸時代のポスターにあたる絵看板は初めて知った日本の文化。
こちらは新宿副都心の美術館で。BOSTONより遥かに混み合っていた。
左、吉田博。右、浅井忠。左の吉田博の画を観た途端、頭の中に在った浅井忠の似た様な街道筋宿場を思い出してしまった。まさか二人で一緒にスケッチ旅行にはいかなかったと思うが、似た様なシーンを描いているのに驚かされた。ただこの二人、調べたら深い交流が有ったのだった。
なんと!ヨセミテ公園の1000m絶壁もモチーフに。英語力と行動力を駆使して、日本人としては数少ない西洋人に受け入れられる「作品」と「演出」は何であるかを知った人物の様に思える。
鈴木英人や永井博など、1970~80年代のトロピカルブームで売り出したイラストレーターたちがヒントを得た様な気がしないでもない。
展覧会レポーターとしてプロ級のH氏(左)北九州から日帰りでジャコメッティ展を観に来た幼馴染・小学校クラスメート(中央)と筆者(右)
最後の部屋は撮影可能になっていて非常に良いと思った。
この日、本来は高校の同窓生ファミリー同伴上野集合で、国立科学博物館へ「深海しんかい」を観に行くはずだったが、上野附近豪雨!で身動き取れず。
集合メンバー一同、上野文化会館で雨宿りの図。急遽東京駅ステーションギャラリーへ予定変更・・・。
H氏のレポートが無かったら知るすべもなかった極めて面白い発想をする日本人作家「不染鉄」。午前中は横浜の煉瓦造りのレストランで打ち合わせ、午後は東京駅丸の内駅舎。結局この日は煉瓦の建築物のはしごだった。
東京ステーションギャラリーは東京駅の建物そのもの自体重要文化財だし、赤レンガの壁の美術館として非常にユニークで趣がある。同行したメンバーの中の一人、高校時代のクラスメート美大出の女性は「何で美術館の壁ってこういう個性的な所が少ないのかしら?」と言っていた。
個人的には沖合に出た者にしか判らない、沖の海の表情を見事に表現していた。もうそれだけで作品の前に釘付け!(画像は作品の部分)
絵を入れた額装の部分にまでいろいろと描き込んでいる。発想とユーモアのある作風は美術的には高く評価されないかもしれないが、人間として非常に共感を覚えた。