銀座の数寄屋橋に1966年オープンしたSONYビルが明日3月31日を持って終わる。1966年と言えば、まだ銀座通りに都電が走っていた頃だ。筆者は高校2年生。団塊の世代にとっては自分たちと一緒に大きくなった銀座のシンボルだ。
新宿駅ビル、新宿西口地下街と同じで常に団塊世代と共に昭和の歴史を育んできたランドマークと言って良いだろう。銀座でデートとなればこのソニービルに行き店内を回り、上層階のスパゲッティ屋でランチを摂って、音の出る階段を上ったり降りたりしながら地上に出て洋書屋のイエナでカッコつけて洋書をめくるのがお約束だった。
1970年頃からは中古レコード屋・ハンターで何枚中古レコードを買い込んだだろう。我が家のレコード棚に在るレコードのうち50枚くらいは此処で手に入れたものだ。
珈琲は晴海通りを渡った帝人メンズショップの2階に在った喫茶VANで、晴海通りを見下ろしながら飲むのがお決まり。勿論たばこは洋モクで、VANのロゴの入ったブックマッチをポケット一杯ねじ込むのが楽しかった。
このソニービルの角のイベント宣伝スペース、ソニースクエアは我が旧友・倉橋和雄君の父君、倉橋正雄さんのアイディアだと聞く。その倉橋和雄君と銀座の広告代理店で同僚となり、ソニープラザストアのバレンタインデー・キャンペーン・プロデュースをやったのが1981年頃。大当たりだった!
そのソニープラザ・ストア社員で活躍していたのが、VANで一緒だったアメラグ・ヴァンガーズのメンバーだった金替氏。何から何まで御縁の深かったソニービルだ。
ついには、ソニープラザ・ストアのサッカーチームに外人部隊助っ人として参加、1得点して勝利に貢献したのが昨日の様だ。
とにかく団塊世代なら一度は彼女と言った事が有るだろう、銀座のソニービル!最期にもう一度行ってみたら?明日までは入れます。
この号はよく覚えている。このジープ、ソニプラの社員・島森さんの私物だったという記憶が・・・。ソニービルさん、長い間ありがとう!