博報堂のプレゼンは午後2時頃から窓の無い奥まった会議室で始まったと記憶している。筆者が博報堂入社後に同期でディレクターになる大柄の円谷君(博報堂マーケ局・東宝映画特撮円谷監督の親類)などがメンバーに入っていた。そうしてプレゼンが始まった。まずメンバー紹介、博報堂は8名以上の大デレゲーションが来社していた。しかしメンバー紹介が終わった段階でプレゼンを始めたのは何処かプロダクションの人だった。なんとその人はマドラの天野勇吉氏だった。奥沢中学校・広尾高校1学年下の故・小池隆一君が就職した新光美術・マドラのプロダクション部門のトップだった。まだ広告批評を創刊する前だったが、個人的にはその存在を小池君通じて知っていたのだ。
雑誌「広告」あるいは「ブレーン」を欠かさず読んでいる軽部CAPが天野さんを知らない訳がなかった。しかし高い費用(一説には千三百万円という話だったが本当かどうか知らない)で調査・提案を依頼した博報堂に対して、ボソボソ聞き取れないような声で説明を始めた天野さんでは困ると言う必死さと真剣さが言わせたのだろうと思う。
テレビの番組に出て無責任に広告に関する四方山話をするのではない。生きるか死ぬか、潰れるか再生出来るかの瀬戸際の企業に対するマーケティング・プレゼンテーションなのだ。これは受ける側のヴァン ヂャケット販売促進部社員としても至極当然のクレームだった。
天野さんに代わって博報堂のマーケ部長らしい年配の人、他現場のメンバーが後を引き継いでプレゼンを行ったと記憶している。要約するとヴァン ヂャケットは今のままで販路を整理するだけで充分やっていける。特にKentブランドの商品はコーナー展開を止めて、ダーバン(アランドロンがTV・CMキャラクター)、マッケンジー(刑事コロンボのピーター・フォークがTV・CMキャラクター)と同じ売り場、つまり紳士服売り場・プロパーに進出し、マネキン(=プロの販売員)による販売に徹する事などを提案してきた。
※プロパーとは行政の組織などでは生え抜きの正社員を指すらしいが、アパレルでは値引きも 有り得るコーナー展開に対する品目別・正価販売品の売り場をプロパーと呼んでいた。
一番耳に残っているフレーズが此れだ!「VANさん!大丈夫ですよ!今のままでそう大きなシステムを変えずに充分今後やっていけるはずです。広告費をレナウン・ダーバン、オンワード・マッケンジーの半分で良いから使って、一般消費者に宣伝する事です。」今でも恩い出すと笑ってしまうが、しっかりと自社の利益機会を盛り込んでの提案だった。むしろそちらのほうに全員の顔が向いていたのだろう。あー恥ずかしい。
博報堂に続いて富士経済研究所(不確実)だかが如何にもマーケティング的なデータ表を出席者全員に配った。しかしそれは調べれば誰でも入手できる日本のメンズ・ファッション市場の売り上げやブランド毎の数値だった。自信ありげに業界の動向や今後の展望をプレゼンする矢野経の人の説明を聴きながら、ヴァン ヂャケット側のメンバーはしらけきっていた。なぜなら口端に泡を溜めて喋ってくれる経済研究所の人が最新版と言っている業界データは一番新しくても2年前のデータなのだ。
ヴァン ヂャケットの係数管理部門や販促部門には、その年の業界各社の月毎の売り上げデータや蓄積データが最新情報として入ってきている。競合他社の様子や業界全体の状況等1ヶ月前の状態を把握して新商品の売り場投入や生産調整を行なわないで、やっていけるほどアパレル業界はやさしい世界ではない。どのような業種でも二次産業の製造業であれば命掛けて数値を管理把握しているマーケティングセクションが在る。アパレル業界のある程度の企業であれば当然の事だった。
その上、社員のほぼ全員が知っていた生産工程・サイクルが長すぎる問題。市場ニーズに企画・生産が追いつかないという永年ヴァン ヂャケットが抱える根本的な問題には一切触れていない点で、このプレゼンは素人の提案と判ってしまった。これはプレゼンを聴きながら同席している我々社員同士が眼を合わせた瞬間、「こりゃ駄目だ」と思っているのが良く判った。ヴァン ヂャケットは頼む相手を間違えたのだ。
この時はっきりと解った、博報堂、電通等の大きな総合広告代理店は、自社で全てを実施処理しているのではなく、社外の専門家集団に下請け・二次発注(最近ではアウトソーシングと言う)して実務をやらせ、本当に代理しかしない中味が空っぽの集団なのだ・・・・と。
いわゆるTVシリーズ「スパイ大作戦」のフェルプス君まがいが沢山居るだけで、専門領域のプロ・実務メンバー等居ないのだ・・・と判った。そうして事が終わると、「あの仕事は俺がやったんだ!」と自慢する・・・。
肝心なことを言ってしまえば、大手広告代理店という所は、自社だけでは何も出来ない企業集団なのだと言う事を強く感じた。地に足が着いていないというか、理念もなければ責任感も無い。当事者意識と言うものがまったく無いので、リスクを絶対に負わない「実務・現場」から非常に遠い集団だと感じたのを覚えている。実は残念ながら、その後奇遇にも博報堂に転職した後も、この考えは間違っていなかったと思った。
だから、サントリーが自社内に腕扱きの実務者を必死で求めていた理由がこの段階になって良く理解できた。大手広告代理店に丸投げ等したらエライ事になる!と知っているからこそのアクションだったのだと後になって納得した。
如何にこの時の大手広告代理店のプレゼンがいい加減で中味のない精度に欠けたモノであったかは、直ぐに証明される事になる。
「VANさん!大丈夫ですよ!今のままでそう大きなシステムを変えずに充分今後やっていけるはずです。」と博報堂のマーケ局が大見得を切った3週間後、4月6日ヴァン ヂャケットは会社更生法を申請し、事実上倒産したのだ。