いつの間にかVANMINIのキャンペーンから、スキーの話になってしまったが、販促部としてもアイスホッケー部員中心に何度も北原スポーツが経営する山田高原スキー場へ行った。
時には元々スキー競技選手だった北原輝久氏がアドバイザーとして、スキースクール教師を担当してくれた。一度などスキーを回して斜面を下るのにレースの時のようにポール、つまり旗門を立てて其処を回りながら下るという練習をした。みなそこそこポールを滑って転ばずにコースを滑り降りて上達したようだった。
山田牧場、山田高原、名前が替わってきたスキー場だが、今はYAMABOKUワイルドスノーパークというらしい。バックカントリーには良いかも知れない。
ところが、さて全部が終わって、ポールを片付け、少しは滑れる我々がポールの束を肩に担いで降りようと思ったら、皆が降りてこない。皆思い思いのルートで宿のホテルに行くのかと思ったら、斜面の目印のポールがなくなった途端、斜面の傾斜にビビッてしまい、怖くて降りられないという。ポールがあれば目の前のクリヤすべきポールだけ見ているので斜面の傾斜が気にならなかったのに、ポールを抜いた途端斜面の下まで見通せてしまい怖くなるというのだった。この意外な面白さは今でも良く覚えている。
ポールをとってしまうと、斜面の傾斜が怖くなるそうだ。
夜になると、食事も終わり疲れ切っているので眠たいのだが、軽部CAPがまたまた面白い仕掛けをしてくれる。「怖い話をしようぜ」と皆に持ちかけるのだった。それぞれに怖い話をさせるのだが、特に女子社員がキャーキャーいいながら聞いている中、いよいよ軽部CAPの出番になった。「あのな?夜遅く、皆が寝静まった頃、トイレに行くとギシーッ、ギシーッと廊下の床板が不気味に鳴るんだよ・・・。」もうこれだけで、女子社員同士体を寄せ合って、お互いにしがみつき合いながら怖がっている。「でなっ?便所の個室のドアをキキーッという音と一緒に開けると・・・自分自身がしゃがんでこっち見ているんだよ!」 もう山田高原の全山が雪崩を打つような大声でキャーッ!という叫び声が全館にコダマするのだった。女子社員たちはその夜、勿論誰一人トイレには行けなかったらしい。
雪山に行かずとも、この手の話はヴァン ヂャケット社内では日常茶飯事の事として転がっている。
ヴァン ヂャケット入社後、一番驚いたのが朝は勿論、夕方になっても社員同士の挨拶が「おはようございます」である事。得意先の百貨店で売り場に行く際はエスカレーター、エレベーターは一切使わず階段を上がることだった。メンズ売り場は4階にあることが多かったので、さほど苦にはならなかったが、ついつい仕事でなくても百貨店に行く際には階段を上がり降りする習慣がついてしまった。
社員バーゲンは勿論アパレル系のメーカーであれば何処でも行う社内行事だが、ヴァン
ヂャケットの場合はQ物バーゲンというのがあった。これはキズ物・旧物など色々掛言葉では在るが、時には試作品などが出る場合もあった。
ムートンのダッフルコートなどは、40年経った今も家族が大切に使用している。とても重たいが非常に暖かい。これなどもQ物バーゲンで購入したが、1万円しなかったような気がする。元々の価格は当時の価格でも10万円は下らなかったろう。
非常に重たい存在感のあるムートンのダッフルコート。VAN社員でもQ物バーゲンでなければとても手に入るものではなかった。何処がキズモノ?と思うが、左の袖内側のムートンの毛の向きが袖口に向かって生えているため、気が付くとコートの中に着て居たウエアの袖がドンドン出てきてしまうという事だった。これは中の毛の長さを短くすることで解決した。
この織ネームは相当苦労して取り付けただろうと思う。毛皮製品でVANの織ネームは大変珍しいかも知れない。
2年に一度程は宣伝部から撮影に使った海外取材のサンプル品などの出品もあった。これは品数が少ないため全社員には告知されなかった。一度はソレル社のメインハンティング・ブーツなども出た事があり、サイズもぴったりだったので筆者が手を回して数日前に早めにリーチしておいた。後にこの靴は我が父が晩年冬季雪深い秋田の工場へ出張の際に散々履いて行った。大変感謝され、親孝行な息子と言われて鼻が高かった。都会で自慢しながら履くのではなく、その靴本来の目的に沿った履かれ方をしたので、そのブランド品も本望だろう。
SOREL社 Main hunting boots.
米国にもL.L.Bean社など、多くのメーカーがある。
倒産後、VANに関する雑誌の特集が沢山組まれ、ムック本が出たりした。元社員や得意先のメンズショップ・オーナーに訊きまくってVANとはこういう会社だったのだ!石津謙介社長は世の中にこういった影響を与えたのだと、さも訳知りに書いた出版物が出たが、どれもBeatlesの伝記物と同じような、外から観た途切れ途切れの情報、ネタを繋ぎ合わせたものばかりで、元社員から視ると別の会社の物の様に見えてしょうがない。そういう意味からすると、我が大学の同期、同時にヴァン
ヂャケット同期入社の管理人が主宰するウェブサイト=VAN SITEこそVANの姿を正確に伝えている唯一のメディアではないだろうか?勿論その中核をなす元Kent営業マン横田哲男氏の青春VAN日記こそが内部から見たヴァン
ヂャケットそのものの姿といって良い。
次回はそんなごく普通の日のヴァン ヂャケット販売促進部内の様子などを回顧してみたい。
非常に重たい存在感のあるムートンのダッフルコート。VAN社員でもQ物バーゲンでなければとても手に入るものではなかった。何処がキズモノ?と思うが、左の袖内側のムートンの毛の向きが袖口に向かって生えているため、気が付くとコートの中に着て居たウエアの袖がドンドン出てきてしまうという事だった。これは中の毛の長さを短くすることで解決した。
この織ネームは相当苦労して取り付けただろうと思う。毛皮製品でVANの織ネームは大変珍しいかも知れない。