前回の最後の部分で東京オリンピック選手村か表参道でカッコいい男女のアスリート・カップルらしき写真が脳裏に焼き付いていると述べた。同時にその画像を捜したいとも述べた。そうして、5月連休最終日に神田の古本屋街に繰り出した。冷たい霧雨が降っていたが、九段下から小川町までいつもの古本屋街を勘だけを頼りに探しまくった。大体記憶をたどって、毎日グラフかアサヒグラフだろうとは思っていた。大きな版で紙質はあまり良くなかったような気がした。3軒ほど店内を捜したがスポーツ雑誌をまとめているお店にも無かった。4件目で映画のパンフレットを沢山集めて売っているお店に「オリンピック関連」と云うブロックが在って其処に毎日グラフもアサヒグラフも有った。セロファンで覆われているのを外してもらい、1頁ごとに視て行った。結果、アサヒグラフの84頁「憩いのひとときー代々木選手村―」にその写真が在るのを発見!50年振りのご対面となった。
これが、当時高校1年生男子の間で「凄くカッコいい!」と話題になった写真。
アサヒグラフ 1964年東京オリンピック特集号 より
男性が左、女性が右に立っていたと50年間思い続けていた自分のイメージと現実は少し違って逆だった。さらに女性は白っぽいツーピースだと思っていた。ツーピースは合っていたし男性のジャージの上着は合っていたが色や立ち位置が違ったという記憶違いが判って非常にいい体験をした。思い込みというものは怖いものだと思った。そうなると自分の昔の記憶は結構違っているかもしれない。
アサヒグラフ 1964年東京オリンピック特集号 より
2020年東京オリンピック開催決定を受けて2013年暮れに完全保存版として再発行されたアサヒグラフ。
中の広告ページが完全にグレー一色でつぶされている部分があった。すでに無くなったブランドや会社がこれほど多いとは思わなかった。50年間の時の流れは大きなものだ。
オリンピックの開催中、全国各地で参加各国の国旗をあしらった記念商品が売られていた。コインや切手はもうあたりまえの感じだが、まだ喫煙者が非常に多かった当時は灰皿だのライター、マッチが多かった。トレーナーやTシャツだのは今でもまだ着られる感じでヤフー・オークションなどでは結構出品されているのではないだろうか?1960年代はまだ電通・博報堂といった大手広告代理店がこの手の大型イベントに活躍する場面がなく、マーケティング力もなく、ぼろ儲けを狙って色々な記念品を造るような事は無かった。
記念切手小型シート、切手帳の片隅で50年間一緒にいたわけだ。
この4枚は1枚づつバラバラでもっていた。
我が家にはこの1964年頃の東京オリンピック記念品としては記念切手と1000円記念コインと、朝日ソノラマとビクターのソノラマが有った。ビートルズ関係の記念品や資料などに比べるとはるかに少ない。ガイドブックも入場券も残っていないというのだから・・・トホホだ。
ソノシートもレコードプレーヤーがなければ再生できない。
これだけではなく100円硬貨もあった。両方とも結構まだ持っていたのには自分でも驚いた。
話は少し戻るが、テレビで日清食品提供のオリンピックに関するユニークなクイズ番組が有った。1964年東京オリンピックが開催される2年前の1962年に開始された番組で、タイトルにもあるように日清食品の一社提供で放送された。一回ごとの出場者が100人、優勝賞金が100万円という当時の貨幣価値としては超高額のクイズ番組だった。クイズは15問で、その方法は聖火リレーのコースにちなんだ設定のもの。最初の設問はアテネだったように記憶している。ラングーンやクアラルンプールという都市の名が今も頭に焼き付いている。司会は本来落語家の桂小金治、その昔NHKの番組「ポンポン大将」に出ていた俳優だ。しかし、なぜかこの桂小金治が落語をやっている所を聴いたことがない。
一方でこの頃テレビ朝日でやっていた大宮デン助の「デン助劇場」で伝助が東京オリンピックに出るんだと頑張ってねじり鉢巻きで走りまわったり、ステージで逆立ちをするっていうのが面白かった。舞台のそでから娘を呼びながら「スミちゃーん?」 と出てくるお笑いの元祖までオリンピック一色だった。