2020年11月8日日曜日

鋭い夕陽の中、ヤマセミのホバリング! The Crested kingfisher's hovering in a strong and sharp light of sunset sunshine!

  ヤマセミのホバリング画像の前にニュースが入ってきた!まずそれを先に。

 やっとバイデン氏が大統領当選確実に成ったと全米の主要メディアが一斉に報じた。

 これは筆者思うに選挙管理委員会がまだ最終結果を正式に発表しないのに報じた理由は、投票前にトランプの大規模集会をライブなどで盛んに報じたことが対立候補のバイデン氏に対して不利益ではないかとの突込み(ネット上で非常に多かったという)に「公平」を信条とする大手メディアも少し反省して「お詫び」の意味もあって早めにしかも一斉に報じたような気がする。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0dfe68305c96f0aaf21c1f90c4fa87b23c1e8e73?page=1


バイデン氏、事実上の勝利宣言・演説。


 一方で熊本の球磨川豪雨洪水の跡処理含めて今後どうするかの民意聞き込みのニュースなどは「ダムの建設要請・容認という声が・・・」という地元新聞の見出しが目立つ日が多くなっている。

 メディアの情報だけで物事を考えてしまう一般民衆は、どうしてもメディアの誘導する方向へ民意を持って行きがちだ。国・国交省が考えるレベル・思惑、河川の専門家が考えるレベル・警告、県レベルが考えるレベル・対策、市町村レベルが考えるレベル・内容、それにそれぞれのクラスの議会・議員が考えるレベル・内容。そうして被災者、非被災者が考える立場の違いを含めての内容・要望・・・どれをとっても専門性・重要性・決定性でレベルや内容・実現性が全然違う。

 メディアは、どのレベルの人間がどういった内容で何を主張をしているのか詳しく解説・論説する必要があるはずだ。例えば、為政者と今回の洪水被災者が「ダムが必要か不要か」を主張する場合、その立場、状況、知識・知恵、実現力の面で同じ影響力である訳がない。

 しかし新聞の見出しは玉石混淆、悪く言えばクソ味噌一緒、同じレベルで見出しにこうしたダム容認・反対‥と言った文字だけを掲載する。読んだ読者がどう受け取るかは考えもせずに・・。

 しかし新聞の見出しに「ダム容認・必要」などが太いゴシック見出しで連日出れば、さも世の中の意見がそちらへ動いた、あるいは大多数がそう考えているかのような影響・印象を読者に与えてしまう。

 民衆はメディアの報道を良く考えずに鵜呑みにしがちだ。トランプ支持者対バイデン支持者の暴動の例を見れば明らかだろう?日本のメディアもそれを判っていて、どうも意図的に出しているような気がしてならない。

 ハリウッド映画「ペンタゴンペーパーズ」や「大統領の陰謀」あるいはヘレンミレンが編集長を演じた「消されたヘッドライン」の新聞社が舞台の映画を見ても良く判る。新聞の見出しは非常に重要なのだ。朝の通勤電車の車内吊りにある週刊誌の見出しだけで大体の情報が判ろう、それと一緒だ。贅沢に車で移動できる地方の人には判るまいが・・。

ヘレン・ミレンが口泡飛ばして見出しに関して怒鳴る「消されたヘッドライン」

 それだけ、新聞の見出しは重要なインパクトを一般民衆に与える。今の新聞はそれが判っているのだろうか?はなはだ疑問だ。球磨川の水害回避の方法は決してダムの有る無しだけでは無いのだ、他に住民としても自分達自身でいくらでもやるべきことがあるのだ。トランプかバイデンかの二者択一で済む大統領選挙のように簡単では無いのだ。

 しかし球磨川水害後の地元新聞の見出しはその二者択一の方向へ持って行ってしまっているように思えて仕方がない。
 もうこの先はぐちゃぐちゃにダム推進へ進み、利権と金の力、川辺川ダム建設特需で一時期だけ潤う地元経済に沸くだろう。しかしその代わり過去最高の連続水質日本一を誇った清流川辺川・球磨川は失われ、球磨川流域の人々は大きな失敗に20年後気が付くのだろう。荒瀬ダムや瀬戸石ダムとは規模が違いすぎるので、造ってしまったら壊せない。

 日本一の清流(宣伝で有名な四万十川などとはレベルが違う綺麗さ)、日本一の尺鮎、日本でここだけの街中を飛び交うヤマセミ・・全てが無くなる。観光資源が非常に重要な人吉市を中心とした球磨川・川辺川流域の人々にそれだけの覚悟があるのだろうか?

 川辺川ダムが出来れば、球磨川や川辺川があの静岡県の大井川や天竜川、はたまた安倍川の様な砂利の河原のごく一部にチョロチョロと流れが見える(時には殆ど干上がる)死んだ川に成ってしまう可能性は非常に大きい。

 今日のこのブログはその清流川辺川だからこそ観られる、ヤマセミの鋭い夕陽を浴びてのホバリング。








昨日までの曇天の球磨川ヤマセミではなく、夕暮れの川辺川ヤマセミ。