今朝起きて、いつもと違う状況にすぐ気が付いた。まったくセミの鳴き声が聴こえない、シーンとしている。昨日までのような熱帯夜の連日は夜間都心の明かりが雲に反射して三鷹の大学群のキャンパスでは夜どおしセミが鳴き続けている。
時にはカラスまで騒ぎ続けている。まるで最近若者たちが深夜新宿歌舞伎町や郊外のコンビニ店頭で騒いでいるのに等しい。でも今朝はまるで違う。
天気予報を見て驚いた!今日の三鷹市の最高気温予想が26℃しかないのだ。これじゃ標高1,600m以上の霧ヶ峰・八島湿原と同等ではないか。
一方で被災から1か月経った熊本地震被災地の八代市のそれを見ると、最高気温37℃となっている。その差は10℃以上!いくら何でもこれは酷すぎる。何で熊本県ばかりこの10年貧乏くじを引かされるのだろう?気の毒で仕方がない。
昨日も3名の友人(いずれも八代在住の被災者)から電話が来た。暑中見舞いと地震見舞いに常温保存食の築地の佃煮をほんの少し送ったお礼でもあったが、気が付くとそれぞれ15分以上、普段3分と電話しない自分としては超長電話だった。
それが今回の地震後は皆と話す時間が長い、ほぼ一方的に話が飛んでくる。もちろん筆者は聴き役だ。皆さん被災状況をTVのコメンテーターや解説者以上に判りやすく説明してくれる。電話を聴きながら様子が目に浮かぶのがつらかった。言葉を返せない。
皆さん、憂さを晴らすように状況を説明してくれて、被害状況を話終わると一様にホッとするようだ。地元だとどんなに話を聞いてもらっても、相手も被災者だから遠慮もあるし嘆いても「うちとこも同じタイ」でストレス解消にならないらしい。
現地に知人・友人がおられる方々は、ぜひ電話して話、嘆きを聞いてあげて欲しい!遠く離れている人に出来ることは現実的にはそんなことが一番かもしれない。
昨日の一人は踊りの師匠さんを長年続けてきた八代二中のクラスメート女史。お茶の先生もやっていて家の水屋の棚が皆ひっくり返って数百枚の皿・器が全損したという。一枚も残っていないというから可哀そうだ。
数日前のこのブログで書いた通り八代市は不知火海(=八代海)沿いの干拓・埋め立て地を除いて、遙拝の瀬から広がった球磨川の扇状地に立地している。
したがってどこでも地下数メートルに地下水が流れているので、ほとんどの家では昔から井戸を掘っている。筆者も昭和の時代=小中学校時代八代市では井戸の水で育った。
浅井戸で5~10m、深井戸で30m以上。知人友人の多い萩原町、田中北町付近でもこんな感じで2種類の井戸が普通だそうだ。今回地震でも一時枯れたようだがもう復旧したと電話では言っていた。麦島や植柳、高田、宮地と言った球磨川の南は断層がどのように作用したか不明なのでもっと時間が掛かるかもしれない。
しかし筆者がその前に住んでいた北九州の小倉市では全くそうはいかない、地下は皆炭鉱の坑道が走っていたから地下水はあるものの鉱毒や鉄分過多で飲料には不向と言う・・・。
話はつらいが、今日はヤマセミのペアの飛翔シーン、逆光だが球磨川本流の連写もの。
多分前が幼鳥で後ろがオスの親鳥。幼鳥教育の後半で高速飛翔訓練の時のもの。例年子育ての後半6月末~7月頭に球磨川では親子のものすごいスピードでの二羽タンデム飛翔を観られる(過去形かも)
猛禽やカラスの追われた時の練習、水中退避訓練への前哨戦なのだろう。








