2026年6月5日金曜日

あのウインドサーフィンの父ホイル・シュワイツアァー氏が亡くなった。 Hoyle Schweitzer, the father of windsurfing, has passed away.

  団塊世代には知らない者はいないだろうと思われるウインドサーフィンというマリンスポーツ。日本では1970年代後半まで影も形もなかったモノだ。

 それを作ったのはアメリカ人のジム・ドレイク(ヨット乗りで流体力学エンジニア・2012年没)とホイル・シュワイツァー(サーファーでコンピュータ・エンジニア)で、製造し商業ベースに乗せたのがホイル氏であることはあらゆる書物で確認ができる。

 で、そのホイル・シュワイツァー氏がとうとう亡くなった。93歳だった。

 ヨット乗りとサーファーが一緒に海で楽しめる道具を作ろうと発想し作り上げたウインドサーフィン(セイルボード、ボードセイリングなど色んな呼び方が存在する)

 この恩恵に与った団塊世代は非常に多いのではないだろうか?この筆者も1981年の沖縄での世界大会時に初めて乗って、2006年頃まで葉山森戸神社裏の岩場にあるほんの20mほどのビーチから出て散々乗りまくった一人。その26年間海と潮風で鍛えたおかげで何とかまだ人並みに動ける健康を保持できていると感謝している。

 ところで、このホイル・シュワイツァー氏の訃報がSNSで盛んに飛び交ったここ数日、気になる事があったので資料をひっくり返してみたら凄いことが分かった。

 此のウインドサーフィンを作り出したホイル・シュワイツァー氏とジム・ドレイク氏両名に直接会った日本人はいったい何人いるだろうという話。

 多分、あまり居ないんじゃないだろうか?

 筆者は確実に彼ら二人に会って話もしている人間を二人だけ知っている。それは筆者自身とあのマガジンハウスで長いこと編集ライターをしているレジェンド内坂庸夫氏(1973年VANの宣伝販促部同期入社)だ。

 ホイル氏には1980年頃からウインドサーフィン・ジャパンの広告・PRの仕事で何度もマウイへ渡り西海岸カハナに在るホイル氏の家をベースに散々撮影をしたものだ。

 長男のマットシュワイツァー氏は当時創世記のレジェンド・プロウインドサーファーの一人で、今では当たり前のジャンプ空中回転を世界で最初にやった数名のうちの一人だ。

 ホイル氏とは’82年新島でのJAPAN CUP賞金レースでも散々話をし、ご夫妻の記念写真も撮っている。

1982年伊豆新島でのホイルシュワイツァーご夫妻

 一方のジム・ドレイク氏には1982年マガジンハウスのポパイの姉妹誌「オリーブ創刊2号」の編集に筆者も参加しハワイロケに随行、2週間のハワイ、オアフ島取材の際、カイルアビーチで会っている。これがその時の記事。

 今考えると、流行り始めているウイングセイルの原型・試作品を取材していたのだからとんでもない時に出会っているのだ。この時の雑誌オリーブでの誌上ではカイトサーフィンと呼んでいた。

1982年6月18日号100ページに記載

今製品化されいろいろな名で売られているウイングセイル

 あれから44年後2020年代になってのウイングサーフィンの動画 ※現在は水中翼(フォイル)を持ったウイングフォイルの方が一般的に広がっている。※下のURLをクリック

https://www.youtube.com/shorts/SKlAdWHa7dc

この時の雑誌オリーブ創刊2号はいろいろな意味で筆者にとっての記念すべき雑誌だ。アマチュアであるカメラマンとしての筆者の撮影した画像がハワイ特集のカイルア特集扉ページに使われたのだ。

ワイキキなどとは違うカイルアっぽさを探した1カットだった。

超拡大してみた。アマチュアのカメラマンにとってこういうのは非常に嬉しいのだ。


 こうして、ウインドサーフィンを作ってくれた恩人二人がいなくなってしまった。ウインドサーフィンというスポーツは非常に下積み時代が長いスポーツなので今は人口が減ってしまったようだ。

 海の風は一定ではない、無風もあれば2日前の台風のような時もある。強風であれば初心者は乗れないし、初心者に最適な微風であればベテランは楽しめないから海へ出ない。ビーチであれば砂がまとわりつくし、岩場であれば足を切る。
 それでも最適の風で海へ出さえすれば4~50代の人間がキャッホ~!と言いながら海の上ですれ違うのだ。

 素晴らしいウインドサーフィンを作ってくれたホイル氏とジム氏に感謝! R.I.P.