今回の写真展期間中、幾度か目の前の八代駅から肥薩おれんじ鉄道の日奈久駅(現・日奈久温泉駅)へ鉄道移動した。この肥薩おれんじ鉄道は旧国鉄⇒JR鹿児島本線を経て、九州新幹線部分開業時(2002年10月31日)以来~現在第三セクターで営業しているものだ。
筆者が鉄道の話をし始めると長くなる。
休業中のJR肥薩線のような全国でもトップクラスの大赤字線ではないが、経営状態は低空飛行の様だ。しかし乗った時間にもよるが通学の高校生らしき諸君も多数利用していて、地元民が乗りもしないのに復活・復興を叫ぶ肥薩線とはずいぶん状況が違う様だ。時間によっては席の殆どが埋まっていた。
筆者は八代で生活していた1960年10月~62年3月の間、それに単身東京へ出た後も夏休みなどに帰省した際、釣りや海水浴で当時の鹿児島本線に乗って阿久根、日奈久、肥後二見へ移動した。
もちろん八代ー東京間は特急はやぶさ、急行霧島などで10回以上往復している。最後のハヤブサは2003年(浜松ー熊本間乗車)の事だった。
鉄道の話になるとブログ何百回分以上分にもなるネタが在るが、このブログはあくまでヤマセミを中心とした野鳥ブログがスタートなので「撮り鉄」のような非常識でマナーの悪い連中の仲間とみられたくないから、抑えめにしておきたい。
で、今回その懐かしの八代駅前や鹿児島本線/肥薩おれんじ鉄道の移り変わりに関するコンデジ画像などをご紹介してみたい。
今回2月5日大雪の日のこじんまりとしてしまった八代駅
2001年、25年前の八代駅は鹿児島本線の特急がすべて停まる駅だった。
2001年の駅前、今回写真展会場の珈琲店ミックさんも右に見えている。
25年前にはまだ駅前にお店が幾つか在った。筆者中一の頃は本屋さんも・・。
今の八代駅構内 日奈久方面から
25年ほど前の八代駅構内
35年前1990年頃の八代駅構内
2002年頃の日奈久駅構内
2002年頃の鹿児島本線、特急つばめ
2005年頃の肥薩おれんじ鉄道
2005年頃の肥薩おれんじ鉄道、古麓神社が見える。