2020年7月4日の球磨川豪雨災害は実に酷かった。
あと十日余りで4年が経つ。あれ以降人吉の街並みは球磨川氾濫でズタズタになった。
行政の首長は「被災者の住む場所は96%確保・復興したと胸を張る。しかし、それは住んでいる人に関するだけの事。人吉市の財源は?観光が背負う所は非常に大きいのではないだろうか?
人吉市内で観光客相手にビジネスを行っている「人吉市の財源」を背負う民間ビジネス、宿泊業、飲食業、アミューズメント提供業(決して球磨川ラフティング業だけではない)への長期復興戦略は存在するのだろうか?アイディアはまとまっているのだろうか?もう4年も経つというのに・・。
かって山奥の小京都と持ち上げられた人吉の街は洪水でやられて建物が歯抜けになってしまい、もはや小京都と案内された街並・佇まいは無くなってしまった。街の佇まいと景観ではもう観光客は呼べない。
特に街の中心部が実は殆ど洪水ウォーターハザード3mエリアの危険地域の人吉市。同じ場所に同じものは復興しない。
同じもの(洪水を回避する方策・措置をしない)を同じ場所に復元するという事は、それを許す官・行政、復元者の民間そろって専門家が示したウォーターハザードを無視することであり、再び洪水に見舞われ(可能性は100%存在する)被害を被った場合、税金をベースに保障や補填をしたらメディアに叩かれよう。
高台に移住したり、2階建てを3階建てにして洪水被害を回避した人々から文句も出よう。不公平だから・・。
目立って以前のように活気があるのは、せいぜい客の途切れない上村鰻店程度だろうか?全国で朝10時から店を開けている鰻屋など、此処しか無かろう?それだけ人気店なのだ。「美味しさ」だけでここまで来た民力を筆者は毎回尊敬している。
いわゆる観光地として、お金を落としてくれる観光客が来るには、人吉市はまだまだ相当な年月が必要だろう。そういう意味での各界有能な人材を入れ込んだ復興プロジェクト、十年計画、二十年計画が立ち上がったという話は全然聞こえてこない。人吉市という新たな復活理念も復興コンセプトも「売り文句」もない。
もともとクルマ文化が早くから発達した山奥の都市人吉市。
球磨川河口の八代市や、その先の熊本市へ行くにも、はたまた逆に鹿児島の小林市や霧島エリアへ行くにも、人吉市民はクルマで済ませ地元を走る鉄道・肥薩線などろくに利用しなかった。
そういう人々が、今頃になって躍起になって自分たちは乗りもしない「肥薩線復旧」を懇願アピールしている。それも沿線住民が積極的に利用活性化するという本来の乗車利用促進案や乗車運賃支払い覚悟も示さず、「かって在った鉄道が無いと寂しい」だの観光資源として欲しいという情緒的理由でJRや関係各所に「お願い」するだけ、まったくの他力本願。
人吉駅からループ線で有名だった大畑(おこば)方面、鉄橋は残ったが線路がない!
人吉駅から八代方面 昨年2023年の撮影
万一十年後に肥薩線が復旧しても、決してそれだけでは観光客は戻って来やしない。NHKの朝ドラじぇじぇじぇの「あまちゃん」でさんざんPRされた三陸鉄道とは訳が違う。広告代理店的試算で言えば、三陸鉄道をはじめ東日本大震災被災地への復興宣伝PR費(効果)は広域だけに数百億円以上の規模だという。
それが肥薩線復旧となれば、かってのSL人吉号は引退して、既に無いとはいえ、一時的に撮り鉄や乗り鉄と言われる限定された鉄道ファンだけは来るだろうが、観光ビジネスの規模から言ったら、決して沢山お金を落とす「上客」ではないだろう。泊ってまで・・の客ではない気がする。
これがハチロク型SL(=旧SL人吉)が動態保存で架線の無い人吉⇔湯前駅を日に一往復でもするのであれば、まだ「人吉盆地」として広域観光戦略も立てられよう。人吉市だけで観光復興はもう無理。錦町のツクシイバラ自生地や白髪岳展望台、市房ダム湖、水上町などを巻き込みながら人吉球磨エリアで観光活性化しなければ・・。
鉄道史跡、人吉城址、コースに急流が無い街中コースだから全然スリルの無い球磨川下り。両岸は洪水の後のビニールゴミや流木が引っかかったままの球磨川。いつまでも豪雨災害の傷跡をシンボルのように残したまま・・・。今の人吉市には残念ながら「周りのライバル温泉地(雲仙、霧島、阿蘇、菊池など)に勝てる観光のネタ」が何一つない。
観光客が来てくれることで地元にお金が落ちる・・・この観光ビジネスの基本的戦略を立てきれないまま、もう4年が過ぎた。
時の流れは速い、地元の価値観、地元の考える「人吉の魅力」だけではもう来るはずの観光客の心は掴めまい。メディアを如何に味方につけ、外から人吉球磨の価値と魅力を知っている人材(人吉に住んでいてはダメ)の情報を集め、知恵をしぼり長期戦略を立てねば周りの競合観光地の客を取り戻せまい。
「観光客へ、伝えたつもりと来てくれるはず・・」で大失敗しているのが「地元の論理」だけで行う全国各地の観光行政・PRだろう。箱モノと短期イベント(祭りや花火など)では通年で観光客は来ない。人吉市には実は良いアイディアがいくつも在るのに、誰も気づいていないようで、残念。
良いイメージ、行ってみたいと思わせる魅力を造り上げるのは時間とそれなりのお金が掛かる。数十年かかる。しかしこれが消滅するのは一瞬だ。公害水俣病で有名になった水俣市に観光客が戻り始めるのに行政と民間が協力して努力しても50年以上掛かっている。
ヤマセミの生態観察と資料・証拠写真収録で2010年以来10年間通った人吉市。野鳥や川魚の種類と量が抜群で、それ以外の自然も非常に豊富な人吉球磨の中心地。実は判る人にだけ、今その自然の世界の魅力だけは戻りつつある。
筆者は東京から10年以上300日を超える滞在期間の経験値で、豪雨災害以後の現状を見て厳しい言葉を羅列しているが、あくまで自分にとって散々お世話になってきた人吉市だからこそ「何とかしなきゃ!」の思いを吐露しているのだと思ってほしい。
こういった逆境の中、二階の天井まで洪水に迫られ、ほぼ全滅に近い状態から「自力」で復活を遂げた老舗旅館のオーナーの話を聴き、このブログを書かねばと思ったのが1か月前のヤマセミの生態現状チェックのための人吉球磨訪問だった。
…という事で、今日のヤマセミ・ブログは日本有数の人気老舗旅館が復活した話。
地元行政の観光復興長期計画がロクに動き出さぬ間に民間の力だけで復活している。オーナー、経営陣の努力と必死の根性、そうしてエネルギーの源はそのたぐいまれなる素晴らしいセンスだろう。
復興からまだ全然立上がれていない人吉市にとって、一番うれしいニュースが「たから湯の復活」ではないだろうか。
このヤマセミWEBブログでもその存在に感動し、8年前2回に分けてこの「たから湯」をご紹介した。
団塊世代の「旅」の満足とはいったいどのような事? Exactly what it is the satisfaction of the baby boomers?
https://yamasemiweb.blogspot.com/2016/05/exactly-what-it-is-satisfaction-of-baby.html