2024年4月30日火曜日

奥日光戦場ヶ原で飛ぶ野鳥たちの撮影にチャレンジ。 Challenge yourself to photograph wild birds flying in Okunikko Senjogahara.

  筆者は野鳥を撮影する際に一つのルールというか心構えを持っている。これは野鳥を撮影し始めた2006年頃からだから既に18年は経っている。

 三脚を使いなるべくブレないようにとか、極力近づく努力をするとかいう事ではない。

 「野鳥と航空機は飛んでいる時こそ美しい!」という考え方だ。これはずーっと変わらない。だから野鳥撮影に基本的に三脚は使用しない。飛んでいる野鳥を三脚使用で撮影するのは営巣中の巣穴の出入りなどを100m離れた車の中から一日中行う場合に限られる。

 もちろんその際にも手持ちで撮影可能なサブ機を横においての撮影だ。

 今回の奥日光の4月訪問時にはこの飛翔中の野鳥撮影が結構多かった。なお戦場ヶ原での撮影と日光東大植物園での撮影画像両方が入っている。

 ノビタキ、サンショウクイ、ツグミ、アカゲラ、ノスリ…など。

ノビタキのオスはもう顔が真っ黒、夏羽になっている。


ノビタキはフライングキャッチなどで飛翔中の撮影は幾度も経験済み。

数が多くなった気がするアカゲラは幾度も飛翔中の撮影チャンスをくれた。

ツグミはまとまって繁殖地のシベリアへ戻っていく

サンショウクイの白いお腹を何度拝んだことだろう

ピリリリ鳴きながら樹木の梢付近を飛び回っている。

ノスリはサーマルに乗ってドンドン高度を上げていたが

このカットの後翼をつぼめて急降下していった。

2024年4月29日月曜日

三浦半島でタイワンハクセキレイらしき個体に遭遇! We encountered an individual that looks like a Taiwanese white wagtail on the Miura Peninsula!

  本州では迷鳥扱いのタイワンハクセキレイ、九州の長崎で10年ほど前に遭遇したきりだったが、2日前逗子駅からバスで移動した先の電線に留まっている個体が、どうやらタイワンハクセキレイではないかと思う次第。

 大きな胸の黒い前掛け部分がそのまま伸びてくちばしの付け根まで伸びているのは明らか。同時に胸の黒い部分の縁が長崎で撮影した個体同様くっきりしていないように見えるのも同じだ。

 最近の地球温暖化で、東京湾入り口にテーブルサンゴが育ったりクマノミが数多く視られたりするのと同時に、本来南に多い野鳥が北上しているような気がする。リュウキュウサンショウクイの北上など野鳥の動きで、地球環境の変化を知るのも面白いかもしれない。

2024年4月27日三浦半島での撮影(コンデジ)



大きな声で囀っていた。

2012年4月7日長崎半島での撮影


こちらも人が結構いる長崎市から野母崎へ向かう途中の川原大池公園だった。

2024年4月28日日曜日

団塊世代は動物学的に視て今の少子化問題を非常に危惧している。 From a zoological perspective, the baby boomer generation is extremely concerned about the current declining birthrate problem.

  1945年の8月15日以降、日本の戦後色々なそれまでの常識が覆った。我々1947~50年に大量に生まれ育った「団塊世代」は、もろにその大きな変化の中で育ち、「自由・平等」という事を学校でもいやというほど叩き込まれている。

 教える方の親や学校の先生は、それまでの常識=修身の授業で学び、親・先輩・年寄・先生・上司を敬い戦前の古いどちらかというと封建的な秩序をもって生活してきた。

 それが敗戦の混乱、戦勝国アメリカを中心とする当時の西洋の「自由平等」が一気に入り込み、今までの常識や生活基盤が逆転し、それまで正しいとされてきた事(法律・ルールや身分の上下・マナー・一般常識)が180度覆ってしまったのだ。

 特に子供を教える教育者・先生たちは精神に狂いを生ずる者が続出したと聞く。だからこそ集団心理を使って合宿・強制的に洗脳する後の1970年初頭に発生したBE研修などに近いものがあちこちに生まれたと聞く。参加者の話は聞いたし、自殺者が出たという情報も聴いた。筆者自身1970年代~80年代初頭に所属していた企業の命令で参加したこともあった。

 しかしあまりにその高圧的な内容、上から目線の強引な指導法が納得いかないので講師をつるし上げ散会させてしまったが、決して尋常な場ではなかった。

 価値観や人生観が終戦と共にひっくり返った事で、それまで鬼の様だった上司・上官・先輩・親兄弟に対する恨みを込めての反撃・仕返しなどが全国で横行したという。

 これは秩序を重んじ人間的に穏やかな日本人だったからこそ、当時それほど大きな暴動や内乱が起きなかったのだと世界の学者が後に述べている。「血のメーデー」や「闇市での混乱」など新聞やラジオといった当時のメディアを賑わす事件もその程度で終わったのが世界中で驚きをもって受け入れられたようだ。

 団塊世代はその騒ぎがある程度収まって、「さあ、子供を産んで増やして国の力を増強し、国を再建するのだ!」と国を挙げて前へ進んだ時代に生まれている。

 街中には子供が氾濫し、学校のクラスはあっという間に二桁迄増えた。筆者が親の仕事の転勤都合で通った4つの小学校では国立大学の附属小学校の2校を除けば、それぞれ10クラス12クラスもあった。中学に入っても変わらず、当時住んでいた熊本県八代市の市立中学校では11組、(のちに12クラスに増加)もあった。

 単身上京して世田谷の区立中学では6組だった。今時、そんな中学校どこにある?

 

 要は何を言いたいのかといえば、戦後日本再建の時代に”生めよ増やせよ!”と国を挙げて進んだ我が国日本が、なぜ今それを出来ないのかという事への疑問を言いたいのだ。

 政府の少子化対策、昨日の読売新聞の様な堤防の水漏れ箇所を応急措置で埋めるような程度の対策では全く無理だろうと思うのが筆者の意見だ。

昨日の読売新聞朝刊

 子供の頃から一対(=2人)の男性(=オス)と女性(=メス)が2人の子供を作り育てるだけでは、「自然淘汰・病気や事故によりその種(=人口)はどんどん減少してしまう」という事実を教育し「常識化」しなければいけないのではないだろうか?

 産みやすくするとか、費用負担の便宜とか、人間としての繁殖条件を整えるのももちろん重要だが、子供を作り育てるという行為そのものが「自由に生きる=自分の好き勝手な都合を軸にする生き方」という事などよりもっと根本的な人間として最低限の生きている責務・義務であることを子供の頃から教えない日本の教育が間違ってたことの証明では無いだろうか?今の日本の現状は。

 我々団塊世代は女子24歳まで独り身だと親類縁者が「行き遅れ・恥ずかしい・世間体が悪い」とかいう事も一般常識としてあった。高校の1967年卒業・同級生女子は殆どが合法的・非合法であれ事実上の結婚(=繁殖活動を含む)をしている。

 それが21世紀に入ってメディアを含めて本人の自由を尊重しすぎたが為、いま日本は結婚をしない、あるいは結婚しても子供をもうけない風潮が高まっているのではないだろうか?

 今、親や親類縁者が「早く嫁に行きなさい!」などと言うと、メディアなどが火が付いたように即ハラスメント扱いで騒ぐが、その結果が今の日本だという事、メディアや当事者はどう思っているのだろう?気が付いていないのだろうか?


 自由平等の考えが入ってきて、あっという間にメディアの力、学校教育の力で「人間は皆平等、自由なんだ!思う通りに生きて良いんだ!ちょっとでもその自由を邪魔する言動・行為はハラスメントだ!」が日本人の新しい常識として定着して久しい。

 しかし筆者は思うのだ「自由平等という事と好き勝手していい・・」は違うのではないだろうか?動物の一種として「子孫を残さないと絶滅へ向かうんだぞ?」というのは間違いなのか?現在のメディアや社会は公平にモノを考えていないのではないだろうか?

 朝太陽が東から上り、満月の時期はそれに対応して月が西に沈む。雨が沢山降れば川になって流れ洪水をおこし、山肌を崩し谷が切れたところから先は扇状地になる。火が発生し火事になれば皆燃えて灰になる。

 これら天変地異と同じく動物の世界では「繁殖力が低下すればその種は絶滅する」これはまぎれもない事実なのだ。動物である限りオスとメスが存在し繁殖して種の保全を保っているのだ。メスとメス、オスとオスでは子は生まれない。またどちらか単独でも子は生まれない。この真実を生物学者たちは何故声を上げて訴えない?

 動物学的にオスメスの区別がつかないミミズや、基本はメスながら繁殖期においてだけオスに転じ子どもを産む爬虫類がいる。しかし全生物の中でこれは異端なのだ。絶対数も全生き物の数の中ではノイズ程度しか存在しない、さらに哺乳類では非常にマイナーだと聞く。

 当然ながらそういった種は絶滅危惧種だ。


https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64461000R01C20A0000000/

 お断りしておくが、あくまでこれは動物学的に証明されているそういった「非常に珍しい生き物」すべてに共通する特徴を述べている。決して動物本人たちは好きずきでそういう機能を持っている訳ではない。生物学的にそういうDNAの元、細々と生きてきたのだ。

 しかし人間の場合は全くこういった特殊な生殖機能を生理的・物理的に所有している希少稀な種ではない。他のほとんどの動物・アニマル同様完全に性格も生物学的外観も裸にすれば全く異なるオスとメスの二種から成り立つきわめて標準的な動物だ。もちろんオスとメスの生物的機能も違えば本能的性格も違う。

 

 今、人間・人類は「自由」という名の元に精神的理由で動物学的性別を自由に自己申告出来る・選べるという方向へ進んでいるように思える。

 前出の動物的先天的繁殖(生殖)機能を無視して「精神的理由」のほうを尊重し、勝手に性を替えたり、オス・メスあって初めて成り立つ繁殖を回避し始めている。

 夫婦で家を空けて稼がねば生きていけないからという理由を盾に、子育てで泥まみれになる苦労を嫌がり、子供を設けない男女の生き方が増えている。メディアもまたそういった生き方を新しい男女のカタチと称して後押ししているような気がする。

 これって共稼ぎしながら、苦労しながら立派に子供を育てている多くの人達に失礼だと思わないだろうか?

 人間は他の生き物とは違うんだから良いんだ・・という考え方は「驕り」以外の何物でもない。自分個人の自由勝手のお陰で種の滅亡へ突き進む人類・人間としての少子化問題、少しは考えても良いのではないだろか?当事者とメディアの諸君!

 東から上る太陽を「気分が違うから、精神的にストレスを感ずるから西から上げたい」と言っているに等しいと筆者は思う。生き物の先天的機能を「自分の気分や考え方の自由」を盾に無視する生き方をして良いものだろうか?

 筆者は大変疑問に思いながらここ10年の世の中の動き、メディアの報道を憂いてきた。

 昨今のメディア報道はそういった生物学的な裏付けのない、新しい個人の自由をベースに動物学的に決まっている性別を無視した考え方・生き方を、さも「今や一番新しい生き方なのだ」と後押ししているような報道を続けている。

 これは決して社会的な地位、職に就く際の男女差別、賃金格差の問題とは根本が違う。此処で筆者は昨日のブログに出てくる幕末会津の教訓「ならぬものはならぬものです。を取り上げたい。

 こう言った新しい動き・行動に少しでも自分の考え方・意見を出せば、セクハラ、パワハラ、マタハラと火が付いたように騒ぎ立てるメディア報道にも辟易している。

 きちんとした秩序や常識をもって生きている大半のサイレント・マジョリティは、今はまだ余裕をもって無駄な反論をせず秩序を乱すことなく生きているが、「ならぬものをならせよう」とする動きが目に余るようになった時点で反動が起きるのではと筆者は懸念している。

 


幕末会津の子供教育における「子どもへの什のルール」

 1990年代、「フリーター」という言葉と共に「好きな時に自由に仕事して、好きな時に自分の都合で自由に辞めて、自分らしい生き方を!」と個人の自由を尊重した就職の方法が流行った。リクルート社のFromAや他社のAnなどが全盛の頃だ。

 しかしこれは狭き一流企業の就職戦争を勝ち進んで社員(正社員)になった多くの者たちの権利と仕事への誇りと相戦う事になる。

 当然だろう?苦労して努力して狭き就職競争を戦い抜いて晴れて自分が目指す会社の正社員になったのに、好きな時に入り好きな時に辞めるという勝手な考えの社員(不定期・不正規採用)が増え、なおかつ自分と同じ給与・就労条件を主張するに至っては納得する訳がなかろう?

 入社時の就職戦線で何かが足りず「残念ながら選ばれなかった」者が不定期採用で入社し、後出しジャンケンの様な物言いで「不平等だ!」と主張するのは何処かズルいしおかしいと思う。

 国会議員や市会議員の選挙を考えてみれば判ろう?選挙で負けて落ちた候補者が臨時議員とかで後追いで議員資格を得られるか?得られまい?「落ちた」のだから。

 オリンピックでメダルを取れなかった敗者が後追いでメダル獲得者と同じ栄誉を貰えないのと同じで「ならぬものはならぬものです」なのだ。

 自由とはタダではないのだ。自由を主張し得るには大きなリスクと責任が伴うし、利益追求という最低限の目的を持つ企業の一員(社員)になるには、それなりの雇い主の条件に従うべき常識と心構えがあってしかるべきなのが世の習いではないだろうかと筆者は思う。

 人類の繁殖において「ならぬものをならせよう」とする動きは、まさにこれに近いものではないだろうか?

 メディアはもっと大きな目で、正しく世の中を理解し一部の偏った方向性のみを後押ししないように切に願うしだいだ。

2024年4月27日土曜日

団塊世代は日本の「少子化問題」の方向性を憂えている。 The baby boomer generation is concerned about the direction of Japan's declining birthrate problem.

   今から10年余り前NHK大河ドラマ「八重の桜」を御覧になった方、団塊世代では結構多かったのではないだろうか?

 このドラマを未だに覚えている。それは主演の八重を演じた綾瀬はるかに惹かれた訳ではない、その兄覚馬を演じた横浜国大の後輩西島秀俊の縁でもない。

 江戸末期の会津藩で子供たちに対するしつけ「什の掟」の最後に出てくる言葉「ならぬものはならぬものです。」という教戒だった。

子ども自らによる幼児教育グループ―「什」

六歳から九歳までの会津藩市の子弟(男子)は町ごとに十人前後でグループを作っていた。
この集まりを「什(じゅう)」と呼んだ。会津藩では、藩士の子弟は十歳になると、藩校・日新館に通った。九歳以下の子供たちが集まる「什」は、日新館入学前に、会津藩士の”心構え”を身につけさせるための、ある種の幼児教育の場、だった。

毎日順番にグループの家に集まり、そこでリーダー什長(什長)がお話をした。

なぜ突然このような事をこのブログで書き始めたかというと、昨日の読売新聞一面の

記事が非常に気になったからだ。

いわゆる日本における少子化問題に対する対策を詳しく書いてあった。

4月26日付読売新聞全国版朝刊より出典

別の記事面では見開き全段で詳しく読売新聞の主張が書かれていた。まっとうだと思った。

同上

我が国のメディアでこれだけ突っ込んで詳しい内容を書いたものは未だに知らない。

つまりは、日本における「少子化問題」は一番重要な部分をねぐって解決しようと

しているのでは無いだろうかという疑問がわいたから・・。

この続きはまた明日。「ヤマセミの生態」を研究しながら、「生き物の最低限の義務を

果たさず自由な生き方、自由な考えを主張しメディアがそれを後押しした結果の日本人

が今の姿」だと思うから・・。

2024年4月26日金曜日

奥日光戦場ヶ原はキツツキ系の数がぐっと増加した。 The number of woodpeckers in Okunikko Senjogahara has increased significantly.

  2日前、片道3時間、往復6時間運転し6時間滞在した奥日光戦場ヶ原と日光東大植物園。暫くはそのレポートをお届けしたい。

 まず最初はキツツキ系、アカゲラ、アオゲラの数が増えたような気がする件。

 もともとこの戦場ヶ原ではアオゲラよりアカゲラ、オオアカゲラの方が遭遇のチャンスは多かった。それは過去のこのエリアの画像ホルダーをチェックしても明快だ。

 今回は朝5時半に赤沼から入ったが、ずいぶん多くのアカゲラに出逢った。赤沼から湯本へ行く国道120号線沿いで唯一1回だけアオゲラに遭遇、木道上ではアケゲラにしか出遇えていなゲラしか出遇えていない。

 それも画像を見る限りメスの方が多いのは何故だろう?単なる偶然なのだろうか?

この日最初に出逢ったアオゲラ

国道沿いに飛んで標識の向こうの遠い樹に留まった、あくまで証拠画像。

湯川を挟んで木道から対岸のアカゲラ

同じ個体だろうか、15分後のより近くで観たアカゲラ


20分後に遠い木に留まったアカゲラ、しばらくして飛んで木道を横切った。

2024年4月25日木曜日

奥日光戦場ヶ原の湯川で初めてカワセミを見て撮れたのだが・・。 I saw and photographed a kingfisher for the first time at the Yukawa River in Okunikko Senjogahara...but.

  今日早朝2時に三鷹を出て、日帰り特急往復で奥日光戦場ヶ原の野鳥を観察・撮影してきた。

 今年は、春が無くていきなり初夏のような感じの戦場ヶ原。特に今日の朝は寒かったのに突然暖かい風が入り込んで霧が出来た。前日の雨の湿気と共に妙な朝だった。

 そんな中で、すでに夏羽になったノビタキやオオルリの姿も観られていつもの4~5月の佇まいだと思ったのだが、湯川で朝6時頃いきなりカワセミに出逢って驚いた。

 今まで30回以上入った戦場ヶ原の湯川沿いだが、カワセミの姿を観たのは実は今回が初めてだった。

 しかし自宅に戻って画像を確認しつつ拡大して愕然とした。カワセミが写っている川中の倒木に何と釣り糸と仕掛けが引っかかったままであるのが見て取れるではないか!

 これは放っておけない。釣り針や釣り糸は決してカワセミだけの問題ではないはずだ。

スポットライトを浴びて奇麗に目立つカワセミ・・・までは良かったのだが・・。

上部の画像の拡大、カワセミの留まっている倒木をよくご覧いただきたい。


 九州の球磨川でもアユの友釣りの囮鮎に仕掛け針を付けたまま捨てるとんでもない遊漁釣り人が居るという。刺し網漁にかかったアユにこの手が居るという。証拠写真も撮影した。野生の動物にとって人間の作った仕掛けは命取りだ。

 釣りを楽しむ人同士でぜひ湯川の釣り仕掛け残の除去を願いたいところだ。遊漁料金を徴収する権利漁協の責任も少なからずあると思うが如何だろう?

昨日の朝5時半頃の戦場ヶ原

もう30回以上入った戦場ヶ原自然研究路

いつまでも貴重な自然はKEEPしてほしいと思う

2024年4月24日水曜日

穴掘り作業途中のヤマセミ採餌シーン The Crested kingfisher foraging scene between digging a hole.

  昨日のシラスの壁の柔らかさを御覧になったろうか?

 あの柔らかさであれば、2~3日で巣穴は掘れるのではないか?と思われるかもしれないが、実際は飛びながら壁にアタックし、安定した巣穴を掘るのは容易ではないようだ。

 あまりに穴掘りに夢中になり、そーっと近づく四つ足の肉食獣に気が付かないとヤラレテしまう。同時にハヤブサやオオタカの様な猛禽類に襲われることもあるだろう。

 テンやイタチが意外に人吉の崖沿いに生息している。これは2014年の5月、約1か月間ヤマセミの営巣繁殖を車の中から毎朝日の出前から観察していて幾度も巣穴の下を行きかうテンやイタチを目撃・撮影しているので間違いない。

 きわめて清潔を保つ野鳥類がくちばしに泥や砂が付いたまま長い時間放っておくことは無い。水に入り身づくろいを盛んにする。普通の野鳥は浅い水たまりでバシャバシャ水浴びをするが、ヤマセミやカワセミはもちろんいつもの様に水中にダイブを繰り返して一気に身を清める。

 今日の画像は、そうした水浴びを終えて奇麗になった体でダイブして獲った獲物を丸のみするまでの接近画像。川辺川での撮影。もう2年間も観察している個体で地元の観察者の間では「川辺川太郎」と呼ばれている胸のさび色が非常にはっきりとしたオス。

採餌してわざわざ見せびらかすように傍の岩まで来てくれた

一旦、途中の岩に留まって、すぐに更に近づいてきた。


明らかに撮影者を意識している。

撮影者の方を向いて大きな獲物を誇る様なしぐさに見えて仕方がない。

頭から丸呑みして、10分程度居ただろうか。こうして間近で採餌を観察できるのもヤマセミの生息密度が高い人吉市界隈の自然が素晴らしい事と、ブラインドなどを使わず数日通い時間をかけてヤマセミとの距離を縮める方法で接した事が功を奏するのだと思っている。

2024年4月23日火曜日

ヤマセミの巣穴掘りシリーズ 第5弾、古い穴の再利用。 The Crested kingfisher burrow digging series Vol.5 reusing old holes.

  しばらく間が空いたが、ヤマセミの繁殖・巣穴掘りシリーズ第5弾は古い巣穴の再利用のパターン。

 人吉盆地エリアは、鹿児島の桜島の大爆発で南九州が火山灰で埋まった大昔から火山灰大地が発達し、ほぼ市内中心に15mほどの高さの火山灰シラスの壁が点在している。

 これは南へ行けば行くほど高くなっている。鹿児島空港付近では30m以上になるようだ。

 シラスの壁は砂岩の壁よりはるかにもろく、ボールペンやスプーンでほじくればすぐに穴が掘れて行く。

2018年、人吉市でヤマセミが巣穴を掘ったシラスの壁を拾った木の枝で穿ってみた。ヤマセミのくちばしの様に先が尖っていないのに、1分突くだけで深さ5㎝ほどの穴が開いた。先をとがらせれば、ヤマセミと同じ口径の巣穴もどきを開けていくのは、そう難しい事ではないと思う。

シラスの壁は毎年風雨にさらされ30㎝ずつ表面が剥がれ崩壊していく。その証拠現場の画像がコレだ。したがってヤマセミの巣の再利用はせいぜい1~2回程度だという事が判った。

 今日の画像は、昨年使用した巣穴を秋口10月に調整なのか確認なのか、たまった砂や泥をかき出すところを撮影したもの。






ほぼ30分間に3回出入りしてこの日のかき出しは終わった。


2024年4月22日月曜日

上野不忍池でウミネコの繁殖行動に接した。 I got a glimpse of the breeding behavior of black-tailed gulls at Ueno Shinobazu Pond.

  一昨日強風の上野恩賜公園不忍池でウミネコの繁殖行動の一端に接する事が出来た。

 他のウミネコなりユリカモメは低気圧通過後の強風で不忍池の貸しボートも全面休止の中、ほとんどが地べたや裏返しのボートの上で羽を畳んで強風に耐えていたが、あるウミネコのカップルだけは活発に動いていた。

 筆者は昔から撮影していても太古の恐竜の様に「動くものに目が行く」タイプなので、どうしてもこの二羽のウミネコに目が行ってしまった。

 最初二羽がお互い向かい合ってお辞儀をしていた、何度も「よろしくね?」みたいな感じが読み取れるしぐさだった。

 そのうち上を向いて二羽がくちばし同士をぶつける様子が見て取れた。良く判らないが北海道釧路湿原のタンチョウのダンスに近いものだろうか?

 あまり他の野鳥でこの手を観たことが無かったので、しばらく魅入ってしまった。

 男(=オス)と女(=メス)が繁殖行動に勤しみ子孫を残す「生き物として最大の義務」を放棄し始め、それも自由、多様性だ・・などと言う動物学的に言えば信じられない事を始めてしまった人間・人類。

 もう人類このまま行けば、先は滅亡しかないかもしれない・・・と不安に思う中、野生動物本来の正しい本能が羨ましくも思える一瞬だった。

まだ不忍池の北側のこのエリアはブランケで風が弱いものの夏羽になったユリカモメも飛ばずに、こうしてうずくまって時たま吹く強風を避けていた。
観光客からパンくずを貰うユリカモメも強風下

盛んにお辞儀をする二羽のウミネコ

片方が上向いて声を上げると

相方も同じ仕草で合わせて声を上げていた

くちばしをぶつけ合い

お辞儀と上向きを繰り返す

ずーっとやっていた。