ドーンと薄暗いエデンプロジェクトを後にして昼過ぎの特急でロンドン・パディントン駅へと戻り、そのまま駅のロッカーに荷物を預け地下鉄District LineでRichimond行きに乗りあっという間にKew Gardens駅へ。全く初めてではないコースは記憶を頼りに意外にスイスイ行けるものだ。
こう云う際は過去にシャッターを押した経験と画像記憶がモノを言う。
さすがに陽も傾き始めているので、駅からKew Gardens正門には小走りだった。
駅前には落ち葉が一面を覆っており、東京で似たような景色の場合近所の住民が行政にクレームをつけて掃除させるとともに、メディアと共に「こんなに落ち葉が出る樹など伐採しろ!」と騒ぐんだろうなと思った。
首都東京でメディアが騒いでいる神宮外苑の樹木だって、所有者の明治神宮のおかげで今まで風景的にも目の保養になり心を癒してもらっていたくせに、夏の暑さの日陰的にも活用させてもらっているくせに・・・。それも新宿御苑や小石川植物園と違って「タダ」で!
Facebookがちょっと調子悪いからとクレームする馬鹿共と変わらない・・。
都市計画に合わせて植え替えを計画したとたん「伐採は自然破壊だ、可哀そうだ、許せん!」などと勝手な主張をメディアと共に繰り広げる、あとから来て住んだり利用している東京の住民たち・・。何故「伐採」と言うのだ?寿命が来て朽ち果てる前に「植え替え」だろ?古くなって朽ちた枝が落ちてきて怪我すれば都や明治神宮を訴えるくせに。
50年以上掛かる樹木の植え替え時間を理解せず、伐採=自然破壊と短絡的に決めつける似非環境保護派の主張に乗って騒ぎ立てる一部の人々、「自然破壊だ」と叫び反対すれば何か環境に良い事をしていると錯覚しているのだろうか?無知な上に見苦しい。
もともと神宮の樹木は明治神宮境内同様すべて人工的・計画的に植えられたもの。だから神宮の緑地帯は「神宮・百年の杜」と呼ぶ。完全自然林の緑地を「森」と言うのに対し、「杜」は人工森林を示す。
王立植物園キューもまったく同じだ。
Kew Gardensの周辺では決してそんなことはなく、自然というものは人間の生活に邪魔だと思われるものも含めて「自然」なのだと理解している様だ。神宮外苑で騒ぐ者たち、情けない。