野鳥の写真を撮ることが好きで、いわゆるBurderといった専門的に珍鳥・迷鳥・希少種を撮る方、とりあえず近所の川や緑地で撮影用に川中に設置した人工的止まり木の前で三脚に乗せた自慢の一眼デジで仲間とサロン的にお喋りしながら綺麗なカワセミを待つ方々。
野鳥撮影愛好者には色々なジャンルの方々が存在する。もちろんこの世界に優劣はない。
最近は若い方も多いが、この野鳥撮影の世界は圧倒的に団塊世代中心の高齢者が多い。理由ははっきりしている。
全員が全員そうではないが、比較的金銭的余裕がありなおかつ時間が自由にできるリタイヤ組の人口が多い事。さらに言えばその中で元気に行動できる人々に限られてくるだろう。
現在74歳6か月の筆者など、毎朝起きる際に頭がふらつく良性発作性頭位めまい症(三半規管に耳石が剥がれ落ちめまいになる)に、右腕手首のドケルバン病(=狭窄性腱鞘炎・マウス+カメラ機材の使い過ぎ)でボロボロだが幸運にも何とか毎日動き回れている。
自虐的話は置いておいて、今日のブログでは野鳥撮影に関して実にいろいろなジャンル・範囲があり、それぞれ活躍されている方々の目的や意図も違うという事を言いたいのだ。
当然、各人誇り・自慢にしている成果もまるで違う。極論すればニューギニアのジャングルで極楽鳥全23種を撮ったと自慢するプロのティム・レーマンから、上野動物園の籠の中の鳥のアップを撮って「良いだろうこれ!」と家族に自慢する方までそれこそピンキリなのだ。
また別の切り口で言えば、学術的に「カラスってこんな事するんだ!?」という証拠写真から、雨上がりの虹の中を飛びゆくシラサギの綺麗な画像を写真コンテストに出して「何故俺のが入選しない?」とブツクサ言う人まで色々いる。
赤塚不二夫的に言えば「それでいーのだ!」野鳥撮影に一番てのは無いのだ。
今から15年前、熊本県の人吉市のヤマセミ生態を観察・撮影し始めた頃、地元の野鳥団体の副支部長に逢う機会があり、色々話をした際に「あー彼らアマチュアカメラマンはですね・・」といかにも上から目線で一般の野鳥撮影愛好者の方々を見下げてバカにして差別していたのを聴いて、この世界は一筋縄ではいかないぞ・・と思ったのを記憶している。
あとで、色々な人にこの事に関する話を訊いてみた所、決して皆が皆そうではなくこの時逢った方の個人的な資質の問題だということが判って安心した。しかしこの団体、似たような人種が他にもいたので「野鳥を撮る人や団体には気を付けなきゃ・・。」と学んだのも確かだった。
また話が愚痴っぽく脱線したが、要は野鳥撮影においての色々な「成果・方向・質」が実に広い範囲にわたるという事を言いたいのだ。
今回、幸運にも佐藤秀明さんという日本を代表する写真家さんからいろいろ学ぶ機会を得て、目からウロコ状態に幾度なったか?
その一つが「二度とない野鳥の瞬間を捉えた写真が持つ良さと、野鳥が写真として良い感じで撮れているものは違うんだよ!」だった。
このブログをご覧の方はもうお分かりのとおり、筆者はずーっと今まで前者しか頭にない撮影スタイルなのだ。このブログ以外で自分の撮った野鳥写真を人様に観て頂くという事をあまりした事が無い。それ以外はごく内輪の仲間や知人に差し上げる毎回50冊にも及ばない発行部数の写真集くらいなものだ。
ヤマセミの写真集だけは数種研究発表を兼ねて500冊以上刷ったが・・・。
だから昨日のこのブログのようにコンデジでもフライングキャッチするスズメの幼鳥を道路上で10分~20分と追ってしまうのだ。露出やISO感度より前に「今この瞬間を撮らないでどうする?」予備校教師の林修ではないが、モットーは「いつ撮るの?今でしょ?」なのだ。
今回、調布市からの依頼で開催する「私たちと野鳥の楽園・野川」という写真展の野鳥写真を佐藤さんに選んで頂きながら、写真としての被写体野鳥の存在の違いについて大いに学ばせて頂いているは非常にありがたい事だと思う。「写真」はまことに奥が深い。
筆者の写真に関しての「いつ撮るの?今でしょ?」的なものを振り返って今日はご紹介したい。