2022年7月23日土曜日

たまにはFacebookの今までのテーマ画像を振り返ってみよう。 Occasionally, let's look back on Facebook's theme images so far.

  筆者がFacebookを始めたのは2013年の夏だからちょうど9年前。少しでも毎日更新するヤマセミ・ブログの告知に成ればとTwitterと共に我がIT師匠の勧めで始めたのだった。

 ブログもTwitterもFacebookもすべてデスクトップのパソコンで始めたので、スマホでは今でも投稿・発信はしない。スマホはあくまで音声電話・ショートメール、特定の数人に対してのメッセンジャー交換だけ。あとは天気予報と歩数計としてだけ活用している。LINEのように受信して即答返信しないとレスポンス悪い!とか言われるような身勝手な「常時監視アプリ」はまっぴら御免。

 巷にあふれるスマホに貴重な時間と人生を奪われたような、駅構内・通路をノロノロ歩く人間たちと同類にはなりたくない。

 日本でのFacebook利用者は2011年に1千万人を超え、2015年に2千5百万人を超えた。2015年頃のスマホの普及率が50%だったので、ほぼ同時期にスマホ+Facebookの強力モバイル端末の発達が国内全域で加速したのだろう。しかし、おおかたの団塊世代は既にこの段階で乗り遅れているはず。

 本来はスマホで撮った画像をそのままアップして、あーだこーだ軽い投稿を交わすのが「お約束」なのだろうけれど、筆者はそういう使い方はしていない。そういった意味からすればFacebookを始めても8年ほど携帯端末がガラケーのままだったので、スマホが伴わなかった分、筆者は皆とは少し違う使用法でFacebookに接してきたのだと思う。

 世の中、次々に便利な機械・端末が出来てそれに頼り切ってしまうと、バッテリーが切れたり故障した途端人生が終わってしまうと思い、依存度を極めて低くしているのだ。

 一応情報発信するにあたって、投稿内容に何らかの意味を持たせたいので、単に「これ良いね?」だの「このネット記事ってどうよ?」「○○なう、○○だん!」程度のあまりに軽い、どうでも良いノリの投稿はしない。むろん他人はどういった使い方をしようが自由だし、あまり他人の投稿は気に成らないが・・。

 Facebookが始まった頃は、新し物好きなどがものすごい勢いで友達を増やし、優越感に浸りながらその数を自慢する人だとか、大昔クラスメートだったり会社の同僚だった人とFacebook上で再会し「実コミュニケーション」が復活した人もいる。

 Facebook上だけのバーチャルコミュニケーションばかり繰り返していると、人間はサイエンス誌の論文・記事が言っているように「スマホ脳」に成ってしまうそうだ。

 コロナ対策には最大の効果だと思い込み、馬鹿の一つ覚えでマスクを外さない人々が酸素不足でマスク脳・不完全肉体に成りつつある今、スマホ脳とマスク脳のダブル効果で「不完全人間」が沢山生まれ始めているという。

 サイエンス誌に限らず、ネイチャー誌でもこのあたりの危機を憂いている論文が出始めていると聞いた。ちょっと怖い話だ。これにワクチンの重ね打ちによる自己免疫減衰が重なれば、普通にしていて半分しか機能が働かない「半人間」に成ってしまいそうで・・。

 筆者は思う。人間生きていくうちに本当に必要な「人・友達・仲間」というのはそう多くないと思うのだ。Facebookで1000人以上の友達登録している人をよく見るが、凄いなぁ!と思う。

 筆者にはそんな数とてもじゃないが管理も記憶も出来ない。だからずーっと100名以下にしているし、1年間何のコミュニケーションもしない方は申し訳ないが自然にフェードアウトさせている。洋服の類と一緒で1年間袖を通さないものは今後二度と着ないのと一緒だ。断捨離の基本理念と一緒か?


 今日は筆者がこのFacebookのテーマ画像に選んだ野鳥のバージョンをご紹介。

北海道道東でオジロワシ正面から。

熊本県人吉の球磨川で獲物をぶら下げたトビ。

熊本県の不知火干拓地の堤防で。

佐賀県の東与賀干潟でクロツラヘラサギの上げ潮での行進。

人吉市郊外でカワラヒワの群れ電線どまり。

球磨川でダイサギの群れ。

東京の神田川でゆりかもめ

横浜の山下公園でゆりかもめ。