連日続くウクライナでの惨事、あちこちに転がる一般市民の遺体。もうニュースでもボカさず報ずるようになったがそれも慣れてしまう恐ろしさ。
ネットで観る海外ニュースでもあちこちに転がる無残な死を遂げた避難中の市民。日常の不満や辛いことが全て吹っ飛んでしまうほどの酷さだ。
Володимир Зеленський FB投稿より 避難中の一般市民が列車待ちの最中をロシア軍が襲撃。これはう軍対軍の戦争というより、一方的な無差別虐殺だ。もうこれでロシアはモスクワの中心部繁華街に無差別攻撃をされても何も言えない。
LGBT差別、アパルトヘイト人種差別、色々な不満・困難に立ち向かう運動、あるいはSDGsなどが軽く吹っ飛んでしまうほどの衝撃を今回のロシアによるウクライナ侵攻は全世界にもたらしたと思う。言葉や生活上の差別行為は加害者と被害者はあっても武器を持って戦うのとは次元が違う、平和で安定しているからこそ「不満」から発生するモノだろう?
殺される、死ぬ、という事が簡単に目の前で繰り広げられるとき、己が差別される苦労、辛さくらい我慢できないのか?と言った友人がいた。色々な差別を受けている人にとってみれば命までは取られないだろう?このウクライナの人々に比べたらどれだけのモノなのだ?とも言うのを聴いた。
個人的にはそれぞれを同じ土俵(状況下)で比較するのは無理があるとは思うが、差別は我慢すればできようが、死は我慢できまい?究極の比較を無理強いすれば、やはり「死ぬ」という事を目の前にするのとそうでないのでは雲泥の差がある。
極限の状態で、生きるか死ぬか?という時間が続くウクライナの人々の事を思うと、如何に日本という国がノーテンキな時空間で進んでいるか良く判る。
団塊世代は小中学校時代何を習ったか?国連というものは世界平和の為に世界中の国で寄り集まって、一人の人も戦争で死んだりしない様にと第二次世界大戦の反省からできた組織だと教わったろう?
その国連、今回の2月24日以降、何をした?何が出来た?何も出来ていないのは世界中の人々が知ってしまった、一部のユーラシア大陸極東の国とロシア人を除いて。世界2~3位の国連負担金を払っている日本は何か国連から「益」を受けた事があるか?
1956年に日本が加盟した際筆者は8歳、北九州小倉市で小学校3年だった。日本も国連の為に協力しなければ・・と習い、「将来大きくなったら何になる?」の問いに「国連で働き世界平和の為に励む」というものまで出始めた頃だ。
筆者はそういう道へ進まないで良かったと思う。進んだ人は今何を考えているだろう?
拒否権を持つ常任理事国でありながら侵略戦争を始めたロシア、そのロシアを排除する議決に反対した同じく常任理事国の中国。もう国連は存在意味がないと言って良い。
団塊世代など戦後生まれの日本国民の多くは、世界平和、唯一の原爆被災国民として国連の力を信じ、国連負担金をくそ真面目に払い続けてきた。しかしアメリカの湾岸戦争、今回のロシアによるウクライナ侵攻・避難民虐殺を凄い勢いで普及したネット情報などでリアルに同次元で知るに至り、平和維持機関としての国連の無力をいやという程認識してしまった。
国際間ルールは守らない、約束は平気で破る、侵攻して爆撃し破壊をしている証拠映像などの事実を世界が知っているにもかかわらず「ロシアはウクライナを攻めていない」などと平気で言う外務大臣が存在するロシア。
こういう国であることが判っていながら国連はそのメンバーからロシアを追い出そうとしない。平気でウソを言う、条約は守らない、約束は反故にする国が幹事役兼利権保持の常任理事国の組織などもう今となっては茶番でしかないだろう?
そのほか、自国の利害に影響のある「国連議決権」を「善悪」ではなく時勢や力関係、戦況を観ながら都合よく使い分ける「偽善国」が余りに世界に多いことからも、国連の存在意味はもうほとんどなくなってしまったように思う。
ただ、日本もNATO安全保障会議にゲストとして呼ばれ日本の外相が参加していたが、欧米エリアでの侵略戦争について欧米NATO諸国と同じ基準で「NATOに足並みをそろえないと・・」とばかりロシアの外交官追放などという事をするのは早計ではないかとも思う。
NATO諸国がロシアを非難攻撃するに合わせ、歩調を合わせるのは最前線で飛び交う銃弾をよけながら戦うのと違い、銃弾の届かない遠い極東で「そーだそーだ!」と声掛けしているのと何ら変わるまい?
ヨーロッパは壁が高くて厚い、身近な白人同士の戦いは気が引けると見たロシアが銃口・矛先を地理的に孤立している日本に向けた時の覚悟と対処法を用意しているのだろうか我が国は?
アメリカ頼り、PR効果を狙いゲストとして迎え入れてくれたNATO諸国。これがいざという時に本当に効果があるのか?頼れるのか?条約を締結してアメリカを筆頭に西側の国々と「担保・証拠文書」をとっておく必要があるのではないだろうか?アメリカとの安全保障条約の細部に関して具体的確認をしておくべきではないのか?
更にはそういう証拠すら反故に成るのが実世界であることも踏まえ、国としての政府も国民も「自国を守る覚悟」が出来ているかどうか、筆者は非常に不安を感じるこの週末なのだ。
岸田総理の記者会見でも、エネルギー関連の為政者にしても、この辺りの「覚悟」と国民への「覚悟要請」が全然できていないように思える。
予断を許さないまま、今後を注視したい。