やっと終わったTOKYO2020、事前の菅総理の言う「安心安全な大会・・。」は見事に大失敗に終わり、新型コロナウイルス患者の国内感染拡大は過去に例を見ないほどの危機的状況を生み出してしまった。
総理やIOCは言う、「コロナの感染拡大とオリンピックは関係ない!」。とんでもない話だ、一生懸命アピールすればするほど大嘘だ。
これだけ感染症の専門家が7月後半から8月前半にコロナは急拡大する、こんな時にオリンピックなどやるべきではない・・・と言ったにもかかわらず、開催を強行した。結果がこれだ。「コロナの感染拡大とオリンピックは関係ない!」というならそのエビデンス(=証拠・数的データ)を示して説明できるだろうか?
感染症専門家は8割おじさん含めて、オリンピックなど開催せずに最大限の防御策をしても7月から8月には相当数の感染拡大を免れないと数値・グラフを示して危機を主張していたのに、実際はそれよりはるかに急カーブで感染者数が増えた。
その根底に流れているのは国民が政府・内閣・菅首相を全く信じなくなったという状況がある。数日前にもこのブログで述べた通り、感染者数が東京で4000名/1日を越えた際のNHK7時のニュース時の記者会見。NHK以外の在京テレビ局はどこもこの記者会見を流さなかった。NHKを観ていた人も菅首相の顔が映った途端チャンネルを替えたという。
要は、菅首相がTVで要請すればするほど国民は逆の行動をするようになってしまったのだ。今まで以上に自粛し、不要不急の外出は控え自宅でオリンピックを観るように!と、そうした事を言っていた菅首相の言う事など誰も聞いちゃいないのだ。
それが証拠に「最後の緊急事態宣言」とか言って出したど真ん中の三連休などJAL、ANA、JRの客数は以前より逆に随分と増えているらしい。盛り場・主要地点での人出もずいぶん増えている。筆者が徘徊途中で撮影した新宿の人出などビックリするほどだった。
しかしまず重要な事は、国民の半数ほどがオリンピックに賛同しオリンピックを一生懸命観たいとなど思っていない事に菅内閣・政府が気付いていない事だ。まずそこが根本的に菅首相なり内閣が大きな勘違いをしている部分だ。
菅首相が1964年を想い出し感動した話をしたようだが、同じ思いの人は団塊世代以上の老人・高齢者ばかりで、4~50歳代以下の年齢層は全く違う思考・行動なのだ。ピントが外れている。
オリンピックなどどうでもよい、同時に並行して行われる数多くの競技など、ライブで観られる訳ない事は当の昔に理解しているから、結果だけ後で見れば良い。
家でじーっとTVの前でオリンピックを観戦するなど爺臭い事はせず、狭い部屋から出て外出中にスマホで状況や歓喜の瞬間を観れば良いだけ。自分はそんなオリンピックを観る事よりはるかに楽しい、やりたいことが沢山あるのだ。もちろん口々に「このコロナ禍においてオリンピックやっているのだから、我々だって出歩かせてもらう」と言いながら外出はやめない。当然だろうと思う。
旅行、友との語らい、自分がやるスポーツ、趣味、各種イベント参加・・などなど。東京オリンピックから57年ぶりに開催されるTOKYO2020が、あの1964年の時と同じ感動で国民が注目するにちがいない・・と思い込んだ菅首相や内閣の取り巻きはこの点で大きな間違いを犯したのだ。誰もアンタと同じ想い出・感動なんか持っちゃいないのだ。
今回のオリンピックになどそれほど興味を持たない20歳代30歳代の新規感染者が、都市部で爆発的に増えているのが何よりの証拠だ。1964年に高校1年生で当時頭の中の隅ずみまで洗脳された団塊爺の筆者が言うのだから間違いない。
1964年時点でのオリンピックの価値観と、今回のそれでは感動・価値観に雲泥の差があることを知っている高齢者が20~30歳代の若者同様にそれほど期待していないという事も事実だと思う。
ましてや、当の昔に名や曲を知っている出場歌手が全然居なくなった「NHK紅白歌合戦」同様、競技種目が全く判らないモノが半数以上を占めるようになった今回のオリンピックだもの。判らないものをいくら見ても日の丸を振る気にならないだろう?
スケボー=ストリート、パーク。トランポリン。スポーツクライミング=リード、ボルダリング、スピード複合。BMXフリースタイル(自転車)。サーフィン。その他バドミントン・卓球の男女複合や団体など・・。理解できない横文字新種スポーツのオンパレード。
https://www.asahi.com/olympics/2020/game/
いずれも詳しく知るにはそれぞれ最低1時間ほどの紹介レクチャー番組でも観ない限り、オリンピックのライブの戦いを理解できるようにはなるまい?
あの数年前ワールドカップをやったラグビーですら、数試合観てやっとおぼろげながらルールや勝ち負けの仕組みが判ったという人がほとんどだったろう?
いろいろな意味で今回のオリンピックは転換期を迎えたと言って良いだろう。参加選手の多様性において我が国の代表も目を見張るほどの変化があった。同時に多様性の一部としてLGBTの選手も話題に上ったが、体・フィジカルは男性だが心・メンタルは女性‥と言った場合、心身共にノーマルな女性アスリートたちから「めっちゃ不公平!」と言う抗議の声が上がったりもした。社会生活上の権利公平さと「アスリートの世界」では勝ち負け記録が伴うだけにそう簡単にはいくまい?生物学的に言って「ノーマル」は非常に大切だ。
招致が決まった翌年から毎年過去の3倍以上の選手強化費を計上して、選手育成・強化に努めた我が国が世界で米国・中国に次いで3位のメダル獲得数を得たのは当然だろう。
筆者はあのロシア(国としては参加できずロシアオリンピック協会として参加)を上回るなど、考えたこともなかった。オリンピックは金次第と言う部分のある意味証明にも成ってしまっている。
https://www.gyoukaku.go.jp/review/aki/H27/img/0106.pdf 強化費の始まり。
だが国民は我が国が戦後発展途上国で、国威高揚を掲げていた時代とは違い、メダルの数になどあまり興味がないのだ。このあたり政府・内閣は良く知っておくべきではないだろうか?
一方、この金額に加えて今回の開催費用をもっと他に使えばこれだけの事が出来たのにと言う海外メディアの報道を付け加えておこう。
この先は、そういう日本人を煽るどうしようもない「手のひら返し」メディア報道に関してのレポートを数日してからアップしたい。