昨日のTVニュースで菅首相の新型コロナウイルスのワクチン投与が始まった・・という趣旨のぶら下がり会見報道があった。メディアも高齢者から始まった注射シーンなどを取材し「痛くないですか?」などとインタビューして「雰囲気報道」をしていた。
新型コロナウイルス禍で人間がどのような行動を取るか、北野武が「ビートたけし」の名で面白おかしく「ツービート」時代のノリで出した「コロナとバカ」に書いてある。書店で立ち読み程度で中身は判る。昔、少年チャンピオンだのビッグコミック スピリッツだの立ち読みした団塊世代には今一度懐かしの立ち読みをお薦めだ。
話を戻そう。
ワクチン投与担当大臣に中央突破が売り物の河野太郎をあてがい、新型コロナ撲滅を目指したが、如何せんワクチンが入ってこない。65歳以上の高齢者3500万人にたいして一体何人分がいつ入ってくるのか?メディア報道と実際の間には大きな隔たりがあるようだ。
現状ではあまりの対象者の多さに対しての桁違いの供給量で、打ってもらうには宝くじに当たる確率に近いとまで言われている様だ。いわば燃え盛る火事にコップの水を掛けているようなものだろう?
これで菅首相は「いよいよ始まりました」などと救世主面して記者会見して良いのだろうか?政府も官僚も、とりあえず開始したんだから記事にしろ!報道しろ!と成果を誇りたい様だが、このあたりが日本人並びに日本のメディアの一番おかしなところだ。世界の考え方と恐ろしく乖離している点だと思う。
日本はメディア含めて「ワクチン投与を始めた!」がニュースに成り、高い評価を得られるものと信じているが、海外・世界は「ワクチン投与がいつ完了するか、いつ行き渡るか?」を問題にする。だからこそ投与率の高いイスラエルなどが高く評価されているのだろう。
これって出身学歴の肩書表記・評価の面と同じだ。海外ではハーバード大学卒業、オックスフォード大学卒業、M.I.T.卒業・・ときちんと完了して卒業したことを学歴評価するが、日本では東大中退だの早稲田中退だの「一応受験して入ったんだからね?」を評価する。
卒業と入学・退学では雲泥の差がある。卒業はきちんと4年以上在学して完了する事だ、中身が伴っている。しかし中退って入って3か月で辞めても中退って言えるのだ。3日間在学しただけでも入学金と授業料さえ払っていれば在学した…と言えるのだろう。
その考え方で言えば、筆者など3か月であまりの人の多さに呆れて辞めた早稲田大学教育学部と横浜国立大学と二つの大学に行った事に成る。早稲田の入学通知や入学金納付書類はあるが卒業証書はない。日本とはまこと面白い所だと思う。
いずれにせよ、メディア報道は「始めました!」を成果と見て高く評価するのではなく、「打ち終わりました!少し安心して良いです、これで今までのような蔓延は防げると思う」という評価報道にすべきと思うが如何?
よく地方で観光活性化対策で連絡会議が始まっただの、プロジェクトが立ち上がった、今後に期待しましょう・・的な新聞記事が目に入ってくるが、その後それがどのような展開になって、どのような成果を上げたのか?はたまた頓挫して失敗したのか?の報道は一切ない。
これって日本人の気質?メディアのだらしなさ?筆者はこのあたり非常に気に成る。