前回#16で投稿した通り1960年代以降首都圏東京に人が集中し、全国の地方都市から若者中心に人が減り、車社会になって鉄道駅に近い町の中心部がさびれ、鉄道需要も減り、鉄道の廃線が進んだ。
それに今回豪雨災害の追い打ちを重ねた球磨川沿いのJR肥薩線は、常識的に言えば廃線が順当だろうと思う。自分が肥薩線沿線に住んでいなくて、なおかつ沿線出身でなければ、更にはJR九州の社長になって考えれば当たり前の考え方だ。効率と売り上げ成績向上が己の評価に直結する欧米のビジネスマンなら相当前に「廃線」処置にしているだろう。しなければ自分が「クビ」だもの。
本来は人吉市と八代市は力を合わせてこの廃線への動きを阻止する努力をしなければいけないのに、今その動きがまるで見えないのは残念至極。「廃線になどする訳が無かろう?」というのがおおかたの行政や住民の考えや思いだろうが、少々甘いと思う。
九州道の人吉球磨ETC専用ICが出来たことなど、人吉・球磨の住民の車生活はより便利になり『鉄道』への依存度は更に減っているのが現実。
さぁー、どうする人吉・球磨。そろそろ要望書提出や補助金目当てだけで地元活性化をするのではなく、知恵を絞って「人吉球磨の日本におけるオンリーワン、独自の文化」を生み出したらどうだろう?…というのがこのブログの提案だ。
そこに至った理由は天然尺鮎だけでも勝負に成らず、言われるだけで大して存在していない小京都の佇まいではもう観光客は納得しない、ましてや温泉も残念ながら九州で十本の指にも入らない規模と知名度では今後の展望は見えてこない・・という事なのだ。人吉・球磨の泣き所と現実をきちんとまず精査して次へ進む必要があるだろう。
で、このブログの読者でもある友人知人で、1年間、今回の豪雨災害が起きる前から数度に渡る「人吉市を活性化するには?」というテーマで研究、ミーティング、メール討論を行いまとめた三要素・条件がこれだ。人吉市だけ単独で頑張ってもだれも見向きしないという事が判っていたので、人吉・球磨に加えて八代・芦北まで広げた球磨川流域全体の「文化圏」で事を考えてみた結果がこれだった。
① 日本国内で人吉・球磨にだけ形として残る伝統文化(行事・料理)を再構築する。
② 全くゼロから始めるのではなく、今までに人吉で行われている行事を発展させる。
③ 莫大な『開始資金』が要らない、住民参加が可能なボランティア町おこしを行う。
※書けば色々書けるが、誰もが読んで判るのは3項目までだろうと条件を3つにまとめた。
その結論は『日本に古来からある五節句をきちんと行う人吉・球磨』
古来から正月七日、三月三日、五月五日、七月七日はそれぞれ正月七草粥(正しくは人日の節句)、桃の節句(上巳の節句)、端午の節句、七夕の節句(しちせきの節句)は何らかの形で小学生でも知っているが、九月九日重陽の節句(菊の節句)は若者に限らず知らない人の方が多い。祝い方や由来・目的を知らないからだろう。
七草粥は別としても、正月は日本人の祝い行事の最たるもの。昭和の時代は年末NHK紅白が終了した直後の大晦日23時45分、雪深い京都知恩院の除夜の鐘を、こたつに入ったままブラウン管のTVを通じてしみじみ聴くのが東京首都圏はじめ大都会の住民の一般的な正月の迎え方だった。
平成以降最近の若者は殆どそれをしない。スマホでラインで「アケオメコトヨロ」など宇宙人の言葉のようなものを交わして騒ぐだけ。下手をすれば渋谷のスクランブル交差点へ繰り出し酒を飲んで騒ぎ、欧米の真似をして喜ぶ!
地方都市では「除夜の鐘がうるさいからヤメロ!」とクレームをするバカ者まで出る始末。どんどん日本古来の伝統行事が無くなり消えていく現在、それを逆手にとって人吉・球磨のエリアで充実復活させ、人吉・球磨に来なければそれを味わえない・体験できない‥としたらどうだろうという結論だ。地域ごと日本古来の文化を復活させるのだ。決して生活を馬車や裸電球の時代に戻すというのではない。
ましてや、大分の豊後高田市のようなレトロな街並みを再現するわけでもない。もちろん出来ればそれに越したことはない。街の一部で良いからから蛍光灯を排除し電球照明の街並みにする、昭和に流行った美容室やスナックにありがちなテント地のカラフルな看板を撤去するのだ。昭和時代以前の日本の街並みの看板にするなどやる気に成れば色々あろうが予算も時間もかかる。2005年頃八代市の日奈久温泉の復興案にこれを提案したが受け入れられなかった。
それに、今すぐは豪雨洪水がまた起こった際の命を守る家づくり街づくりの方が先だろう。
実はこのアイディア、話は2005年頃既に存在していた。まだご存命だった三笠宮寛仁親王殿下に1995年のインタースキー野沢温泉スキー仕事運営などで頻繁にお目通りし、ウインタースポーツの事をいろいろ教わっていた頃に既に存在した話。
ある時、スポーツから離れて日本の伝統文化の話に成った。「新庄、お前廃れていく日本文化を何とか残す手立てを考えてくれないか?」とおっしゃる殿下の眼が非常に真剣だったのを受け取り、ついこう言ってしまったのだ。「日本の伝統文化は色々な形で継承されていますが、一般庶民誰もが昔は祝っていた「五節句」をきちんと復活し残すことから行えば如何でしょう?」と申し上げたら、翌日宮内庁図書館から「五節句」に関するコピーが束で速達郵便で頂いたのだった。筆者としては此の事がずーっと頭の隅から離れたことが無かった。
その時点では、何処でこれを復活させるべきかまるで当てがなかったのだが、今になって気が付けば実は既に人吉では三月三日の桃の節句・ひな祭りは他の都市が真似をするほど充実している。端午の節句も熊本県内他地区同様こいのぼりや登り旗でしっかりと祝っているから話は他の地区よりはるかに早いはずではないか。
もちろん、人吉・球磨エリア、広くは八代・芦北の市町村の連携が無ければこの手のムーブメントは起こり得ない。各宿泊施設も五節句を館内飾りつけ、料理への工夫、共通のパンフ、色々人吉・球磨の五節句PRに関して足並みをそろえる必要が在ろう。一時のブームで終わらせないため、小学校、中学校、高校含めて盛り上げる必要もある。ここから先は実務力のある人々の具現化力と実務力の腕の見せ所なのだが・・・
この五節句含めてムーブメントが動き出せば「日本古来の伝統行事をきちんと行う人吉・球磨」への九州新幹線・八代駅からの繋ぎとして肥薩線の必要性がまず一つ生まれるのではないだろうか?
この方向性が出てくれば、細かい具体的なアイディアプランは既にたくさん湧いて出ている。机上の空論ではなく、超具体的だ。それに関してはある程度手ごたえを感じてから展開する事にしたい。お月見やどんど焼き、凧揚げに独楽回しなど、まだまだ伝統文化を復活させることで地域活性化は可能なのだ。
もちろん、こういった日本古来の伝統文化の復活は人吉・球磨に限らず他の地域でもすぐに実現できるし、独占は許されず速いもの勝ち!という自由競争の世界だもの、即効性のある地域のモノに成るだろう。筆者の「カン」では 飛騨の高山、山口の萩、埼玉の秩父、福島の会津若松、喜多方、信州の松本などがこの効果に気が付いて本気で復活させると、あっという間にメディア・ネットの世界で話題になろう。