失敗続きの安倍内閣・安倍総理は抽象的な発言ばかりで、何一つ具体的な説明や要請の根拠を示さぬまま、メディアの攻撃を受けっぱなしだ。医学やウイルス感染に関する知識は今や国民の方が詳しいのだから、首相記者会見ではなく、専門医、ウイルス感染の専門家の記者会見を行うべきだろう?
全く無責任で一般国民から信用されていない首相や政治家上がりの大臣たちが、いくら「今が一番大事な時です、気を付けて、外出をしないで・・。」などと根拠も示さず抽象的なことを言っても、何の説得力も無いことくらい判らないのだろうか?
大きな地震や台風災害があった場合、首相が記者会見やっても殆どポーズ的意味しかないのと同じで、昨日2月29日夜の記者会見も専門性・具体性は一切なく首相自身のスタンドプレーにしか見えない。トランプ大統領の真似でもしているのだろうか?
上野松坂屋など「新型コロナウイルス拡散を防ぐ為」とかの理由でしばらく火曜日を休業すると張り紙があった。週に一日だけ休みにしてウイルス拡散防御に一体何の貢献があるのか判らないが、「何もしていない訳ではありませんよ!」的なアリバイ休業のような気がする。安倍首相の記者会見はいつもこれと同じだ。
で、週末恒例の研究所からの帰りに行き慣れた上野恩賜公園に行ってみた。
オープンエアーで外国観光客に大人気の上野恩賜公園、不忍池など、行ってみてあまりの人の無さに驚いてしまった。上野の森は多数の美術館や博物館の森だ。東京藝術大学もある。このエリアは筆者も月に2度は訪れ、四季の変化を楽しみつつ、絵画展や写真展、科学展などを楽しんでいるのだが、昨日の上野公園の静けさと人の無さは今まで経験したことのない一種異様な感じだった。
「昔どこかで、こういう雰囲気を感じたなー」と歩きながら思ったら、1959年スタンリー・クレイマー監督による映画「渚にて」だった。グレゴリー・ペック主演。第三次世界大戦の原爆のおかげで地球上が壊滅的に汚染され北半球で人類が死んで居なくなり、いずれ汚染されることが確実な南半球オーストラリアに逃げた米国海軍の原潜スコーピオンが舞台。しかしオーストラリアに着いたものの、人が死に絶えて居ないはずの北米シアトル附近から意味不明のモールス信号音をキャッチ、何だろうとアメリカに戻りつつ探りに行く話。
結局、人類が滅亡した後無人の米海軍通信施設で、窓のブラインドからぶら下がり風に揺らされたブラインドの動きにつれてコーラ瓶がモールス信号機に触って、偶然不規則に発信されているという事が判るという何とも言えない話だった。
DVDで観る事が出来る、モノクロ映画1959年
「渚にて=On the Beach」主題歌はWaltzing Matilda。クリフ・リチャードのオン ザ ビーチ(1965年ヒット)ではない。
第3次世界大戦の原爆・水爆戦で放射能に汚染され人類が居なくなった都市。
同上。
意味不明のモールス信号をシアトル附近から受信し、オーストラリアから戻って捜索した完全防御服の海兵が視たものは、窓のブラインドに吊るされたコーラの瓶が風で動くブラインドに揺られ勝手に不規則にモールス品号機を叩いているのだった。ショックが大きい映画だった。
これら映画でSF的な無人の地球は幾度も観ていたが、現実に普段平日でも多勢の人で埋め尽くされていた上野公園に全くと言って良いほど人が居ない現実は非常にシュール的だった。二度ほど背筋が寒くなったのを覚えている。
上空にはその模様を取材する為だろうか、ヘリコプターがやたらと飛んでいた。多分この経験は筆者の脳と心に焼き付いただろうと思う。やはり「生」のリアル経験はネット情報やTVニュースなどでは感じられない「何か」を与えてくれた。
駅の改札を出るまえにお知らせがあったが、もっと大きく出すべきだろう。しかし手書きで慌てて出さざるを得ないほど政府・国の要請は急だったという事だ。
JR上野駅の公園口の改札を出て公園内に入るまで人けが全然ない。
いつもは物凄い客で狭く感ずる西洋美術館前の広い道、人が居ない。
上野動物園も閉館中。
不忍池の弁天堂への縁日も普段は凄く混んでいるのに信じられない様子だった。
不忍池にはユリカモメや黒いオオバンがいるだけ。たった一人佇む人を見かけただけ。
筆者も大体の展示会は顔を出している東京都写真美術館もダメだった。
一応美術館などの休館日の月曜日3月16日(月)辺りまでとなっているが、新型コロナウイルスはむしろその後の方が広がる様な専門家の予想もあるし、東京オリンピックは非常に開催困難になっているような気がする。
通勤時の満員電車はそのままで、こういう所だけ閉めてもあまり効果は無いような気もするが・・・。アメ横は結構混んでいた。