此の天国と地獄が同居した今年幾度か目の3連休。何とも複雑な気持ちだ。特に千曲川沿いの土手道は、1993年~1998年長野オリンピックの前5年間、インタースキー野沢温泉村大会はじめ、数多くのスノースポーツイベント・大会運営の為、車での業務出張で散々通ったエリアだ。
広告代理店の業務としてスノースポーツを開催するスキー場は山に存在する。これらを公共交通機関で回っていては仕事に成らない。
1回の出張で野沢温泉村、志賀高原、白馬八方尾根、白馬岩岳など4カ所のスキー場、村役場、市役所などを回るには、1泊2日が最低の行程。2~3泊も多かった。
三鷹の自宅から中央道で白馬村へ行き、打ち合わせ業務を済ませ工事中のオリンピック道路を経て、犀川~千曲川沿いの土手通りを小布施~飯山へ抜けるのが一番効率的なルート。その小布施の道の駅は今回決壊した場所の対岸に当たる。
筆者が使用したルートは千曲川の南側が多く、リンゴ畑が続く信号のない抜け道が多かった。
余談だが今回の洪水で収穫間近のリンゴが下から2m程は泥水を被ったと聞く。リンゴは意外に低い所に実が生るので被害は大きいだろう。リンゴが大好物の筆者だけに心が痛む。
その後野沢温泉村~津南~十二峠(トンネル)を抜け石打に出て関越道で北から三鷹へ戻る周回ルート800kmを走破していた。
これでスポーツ事業局の業務を5~6年間続けたのだから今思うと結構怖い。年間走行距離4万kmが年々続いたのだ。だからこそスポンサーの提供するオフィシャルカーで出張し続けた訳だ。
スバルレガシイ・グランドワゴン(今のアウトバック)のドアに大きくインタースキーだの長野オリンピック・プレ大会の表記を掲げながら走る訳だから、変な所へは入れない。一種の宣伝カーだ。
サービスエリアで休憩したり食事をしていても「何処そこに居たろう?」だの「何処どこで見かけました」と常時監視される5年間だった。
相当話が飛んでしまったが、今日は連休前の「夏の尾瀬の想い出」シリーズの野鳥編。夏なのにモズのつがいが居たり、ホオアカが囀っていたり子育てしたり、ウグイスがチョロチョロ顔を出して付きまとったり、結構面白い展開を見せてくれた。期待した猛禽類がほとんど目に入らなかったのが意外だった。
真夏に囀るか?
口いっぱい虫を頬張ったホオアカ。
湿原の真ん中の灌木にモズがつがいで居た、真夏なのに。
このウグイス君、20分近くも出たり入ったり。
結構仲良くなった・・・気がした。
ノビタキのメスはずーっと同じ所から移動しなかった。
遠くの樹にイカルが一羽だけ居た。
洪水の後片付けで大変な方々にお見舞い申し上げたい。