2019年3月31日日曜日

団塊世代はメディアの新元号騒ぎに首をかしげる。 Baby boomer wondering about media's report about the birth of the Japanese new era.

 ここ数日のメディアの新元号に関する騒ぎは一体何なんだ?昭和から平成に替わった際にこんなに騒いだだろうか?昭和天皇陛下ご崩御で歌舞音曲の禁止・自粛もあってメディアも粛々と時代の変化を伝えるに留めたのだろうが、何故か今回はお祭り騒ぎだ。
前回は小渕官房長官のとっさの気転でTV時代にふさわしい発表になったという。


 4月1日エイプリル・フールの日に新元号を発表などというバカなことを決めた政府もどうかしていると思うが・・・。エイプリル・フールを良い事にどんなデマがSNS中心に飛び交う事やら。
既にこういうのが飛び交い始めている。

 実は筆者はこの元号と言うものでモノを考える習慣がほとんど無いので、どんな新元号に成ろうともあまり関心は無い。すべて過去の記憶は西暦で考え、覚えている。生まれた年は1948年だし、東京から九州へ転校したのも1955年。一人で上京し親類宅に下宿したのも中学2年生の1962年だ。
 なぜ昭和ではなく西暦で記憶しているかというと、まずはヒット曲の流行った年の表記がすべて西暦だったからだ。ヒット曲と言っても筆者の場合は洋楽ポップスだったから「あんこ椿は恋の花」だとか「南国土佐を後にして」ではなく、「Louisiana mama」や「Hello Mary Lou」や「Diana」だったのでヒット年号は1960年や’61年という表記だったのだ。ビルボード誌やキャッシュボックス誌の表記のままって訳だ。
 
 これが、The BeatlesやMersey beat(日本ではリバプールサウンド)の出現で、当時1年刻みでサウンドやスタイルが替わるような時代になって、余計西暦でなければ訳が分からなくなったのだ。東京オリンピックだってこれをご覧の皆さんも昭和39年というイメージより、1964年という印象が強のではないだろうか?大体、東京オリンピックのポスターに昭和表記など全然無かったと思うが如何だろう。

 最近は元号を気にするのは、年賀状を書く際古い年賀状をひっくり返して、あて先の一番最近のモノを確認する際に賀状の年号を確認する時くらいかもしれない。

 筆者は昔から滅法スポーツが好きで、中学校で陸上の走高跳に目覚めて以来、バレーボール、サッカー、アイスホッケー、スキー、スノーボード、ウインドサーフィン・・・スキージャンプやパラグライダーなどのスカイスポーツ以外ほとんど体験し、そこそこのレベルまで楽しんできた。要はこのスポーツの大会で元号表記なのは日本の国体や種目別の日本選手権大会くらいで、後はほとんどが西暦表記なのだ。これも理由の一つだ。

 そんな団塊世代にとって、新元号など生活空間に全く必要が無いのが実情だ。しかしこれは決して元号を否定したり蔑んでる訳ではない事を此処でお断りしておく。

 公式文書や提出書類に元号表記で書く欄があればそれに従うが、ただ~年、月、日で記入するようになっている定期健診の検便や検尿のサンプルはすべて西暦で書き入れている。

 こうした日常生活からどんどん遠ざかりつつある元号表記だが、これだけメディアが「どんな元号になるか?」勝手な予想を立てて推理したり、ワイドショウでお笑い芸人達が受け狙いで不謹慎な元号予想を立ててみたり目に余るここ数日だ。

 さてさて、団塊爺がどんなに愚痴をこぼしても、新元号が決まったとなれば早く慣れ親しんで、うっかり2020年って平成何年だっけ?・・などと言わぬように気を付けよう。