2019年2月9日土曜日

団塊世代は10歳の女の子虐待死事件に関して怒り狂っている! The baby-boomer generation is mad about the case of teen-year girls abuse death by her parents !

 連日、メディアでは小学校4年生10歳の女の子がどうしようもない父親の虐待で死亡した事件を報道しているが、どうもその報道の方向や内容に筆者は大きな怒りを感じている。

 メディアの報道も当初は「心愛さんを誰かが救うことはできなかったのか  千葉・女児虐待死 上」等という、まるで第三者評論で遠くから見物してヤイノヤイノ言うだけの無責任報道が多く、具体的にどうすれば良いかとう建設的な提案がまったくなされない事に非常に腹が立つ。
https://mainichi.jp/articles/20190131/mog/00m/040/005000c

https://mainichi.jp/articles/20190131/mog/00m/040/006000c

https://mainichi.jp/articles/20190201/mog/00m/040/001000c  溝の水路に落ちて自力で戻れない仔犬を観て「誰か―!犬が可哀想!誰か―!」というだけで傍観する奴等となんら変わらない。
 自ら溝に入って仔犬を救い上げるという事をする人間やメディアが今の日本にはいないのだ。

 NHK総合TVが夜9時のニュースで2番目に報道していた「餃子の消費量の日本一を浜松市と宇都宮市が争っている」ニュース・ネタなど後回しでも良いのではないか?メディアも報道する情報の優先順位の判断がメチャクチャだろうと思う。納豆の消費量競争だの餃子の消費量統計などは新聞の家庭欄で充分だろう?そのデータを知って自分の何かの役に立つのは経済や農林水産業に関わる人間だろう。

 話を戻して、小学4年生10歳の生徒が虐待死した原因は、その残虐で常識外れの父親と、その夫である父親に体力的にも精神的にも逆らえなかった妻である母親にあることは間違いのない所だ。

しかし、今回のケースでは亡くなった生徒との約束を破ってアンケートの内容を異常な父親に渡し、逆上させ、結果としてより激しい虐待を生み女児を殺してしまった教育委員会や児童相談所の担当者たちにも相当な原因と責任がある。勿論父親・母親同様に教育委員会・児童相談所の判断ミス・対処失敗した担当者達も罪に問い、重い罰を与えなければおかしいだろう?「しょうがなかった」だの「想定外だった」では何も解決しない。
子供との約束を破って父親にアンケートを渡した「裏切者」の担当者。ある意味、結果として虐待殺人に加担した訳だ。罪に問われないのか?

子供の供述書が父親に無理やり書かされた事を判っていて、子供を親に返してしまった「無能で結果として虐待死に加担した児童相談所」此処の人間達も何の御咎めもないのか?全員クビだろ担当者は。

 報道やコメンテーターの発言では、児童相談所や教育委員会の人達はよくやっている、人員配置に対し対応すべき案件が多すぎるのがいけないのだ・・・。等と訳の解らない擁護をする者がいるが、「じゃあ、今回の女児の死亡はしょうがなかったのか?誰の責任なのだ?何故彼女は死んだのか?」と問いたい。
 目の前で起きた事を棚に上げてシステムが悪いだの、大元から考えなければ…などと言う無責任な第三者目線で論評をしているものばかりだからいつまで経ってもこういう虐待死が繰り返されるのだろう?

 今回の案件は充分に精査し、学校の先生上がりの人間だけで構成されている現在の教育委員会の早急な人員刷新が必須だと思う。
 まず大きな判断ミスをし、結果として女児を殺させてしまった担当者の入れ替えは必須だろう。

 一番即効性のある対策として、暴言を吐き恫喝するモンスター・ペアレンツに対応する屈強でタフ(ヨーロッパやアメリカの警備員のように)な自衛隊員上がりや体育会系職員を必ず一人は採用するなど、具体的な行動が即必要。

 恫喝すれば言うとおりになる・・では今後も同じことが起きるだろう?ある意味今回の事はモンスターファミリー、虐待する親たちにヒントを与えてしまったのだ。
 更にこれに効果的に対処するには、モンスターペアレンツや知能犯的スーパークレーマーに、理路整然と対応できる法律熟知者を職員・構成員に組み込むべきだろうと思う。
 普段、長年生徒に対しての上から目線で命令口調が身に付いてしまい、タテマエだけまくしたてるだけの教師上がりの職員だけでは現場は機能しない。今回のケースがそれを一番如実に表しているのではないか?だからこそ政府も焦って即対応し始めているのだろうと思う。

 この程度の人事裁量権くらいは児童相談所長や教育委員長に持たせるべきだろうと思う。それくらいの重責に能う者でなければ長の席になど座るんでない。
今朝の読売新聞朝刊記事から・・・。

 「親の威圧 共同で対処」とあるが、現場を知らない無知な人間のイージーな考えだ。「暴力は絶対にいけない」「恫喝や胸ぐらをつかんでの脅しなどは絶対にいけない」と日頃からさも当然のように言ってきた先生や教育委員会の職員たち。いざ自分がそうされた時の対処法などまるで考えていなかった証が今回の悲劇につながっているのだろう?

 もっと目の前の現実に眼を見据え、タテマエやキレイ事など言っていないで組織の実践対応を計る必要があるのではないだろうか?

大体において恫喝をする病力的なクレーマーに対してこの様な「共同で・・・」って、具体的に誰と誰が共同するのだ。複数の組織が協力するったって、必ず協同する相手方に責任を負わしたり観て見ぬ振りをするズルい組織の長が出て来るに決まっている。「言うは容易く行うは難し」の典型に成ろう。

 例えば東京と千葉の間の江戸川に土座衛門が浮いた時、最初に発見した自治体の警察や役人が竹棒で反対側の自治体の方へ押しやる・・というような都市伝説が生まれるほど、縦割り行政のやる事は疎まれ信用されていない。

 警察と連携して等悠長な事を言う者もいるが、現場でそんなスピードでトラブルが解決できるとは到底思えない。
 第一、警察の動きが如何に遅く、頼りないかはいつかの埼玉のストーカー殺人事件その他で、一般国民は嫌という程知っているだろう?

 まず、教育委員会でも児童相談所でも「モンスター・ファミリー」や「スーパークレーマー」に対応する部屋にCCD、WEBカメラを設置し交渉・対応の一部始終を記録・監視すべきだろう。

 屈強な職員とWEBカメラの記録などで「気弱で実践体験の無い職員達」の心身の保善を計る事がまず今一番すべきことなのではないだろうか? 

 海外の映画では、虐待する親や生活能力のない親には「子供の養育権は無い!」と実力を持っても排除するシステムや組織の担当者が存在するのに、日本の組織の構成員はあまりにダラシナイし、頼りない。

 メディアも「酷いですねぇ、どうしたらなくなるでしょうねぇ」などと抽象的・感情的な事を言ってばかりではなく、具体的な解決策、具体的な成功例を探すなど、とにかく即効性のある「具体案」の提案を進めるべきだろう。皆で声を上げてSNSで数を整え「数は力、力は正義」などと悠長な事を言っている間にも虐待されている子供は弱っていくのだ。

 筆者も自分で二人の子供を育て、その二人が社会人になって既に20年以上が経つ。しかし我が家の子供達には幸か不幸かいわゆる反抗期というものが無く、親として自分の子供に罵声を浴びせたり、手を上げた事が一度もなかった。したがって、今一つ今回の事件が身近に感じられない。しかし、少なくとも子供を自分の手で育てた人間と、そうでない人間では具体的な対処の仕方を考える時差が出るだろう。相手は動物園のオットセイに餌をやるような訳には行かない、子供なりに「優れた頭脳や知恵も、傷つきやすい感情」もある生き物なのだ。

 決して、一時のニュースで終らない所に今回の事件の大きさを感ずる。教育界の組織の脆弱性、モンスターペアレンツに対処できない柔なシステムが暴露された点で今後も目が離せない。政府が即対応した点で過去のストーカー事件やイジメ事件とは違う真剣さと匂いを感じた。