あの、ハロウィーンのバカ騒ぎや大晦日、あるいはサッカーの国際大会で勝利の都度、バカ者どもが大挙押し寄せ意味もなく騒ぎ、マスコミもそれに群がり無益な報道を繰り返すあの現場、渋谷のハチ公前交差点付近だ。
報道を見ると、成人式は北九州などではここ数年来えらい事になっているようで、それを制止も抑制も出来ない大人共の情けなさが全国の顰蹙を買っているようだ。もともとそういう意味での常識が全国とはかけ離れた地域だったのか、騒いでいるのは日本人ではないのかよく判らないが、成人式を迎える者の子供化が極端すぎる昨今と言わざるを得ないだろう。
自分の20歳の成人式に何処で何をしていたかと問われると、お茶の水の明治大学の校舎内で旺文社の全国大学入試模擬試験を受けていたのだ。阿佐ヶ谷美術学園に2年間通い、大卒より早く社会へ出て稼ごうと思っていた矢先に、阿佐ヶ谷美術で天才といわれた絵の上手い先輩のアドバイスで「大学だけは出ておけ、俺みたいに絵も描けない奴に顎で使われる様な事に成るな!」の一言で改めて大学受験を志していたのだ。
頭にイノシシを載せたりレインボウカラーに髪を染めたり、明治維新の官軍の化け物みたいな恰好で暴れまくる自己顕示欲の塊のような北九州の子供達とはずいぶんと違う20歳の入り口だった。あれからもう50年!半世紀だよ!あー恐ろしい。
1964~7年、國學院大學隣に在る都立広尾高校に通っていた時分、毎日クラブ活動が終わると此の渋谷に降りて山手線に乗って帰ったので、「渋谷」と言えば行き慣れた場所だったのだ。しかし今や映画「ブレードランナー」の冒頭シーンのようにカオス的な都市空間に成り代わってしまっていて、行く都度在るべき店が消えたり知らない店が出現したりする摩訶不思議なエリアになったようだ。
その幹線道路を止めて、大道芸人のパフォーマンスで街への来客を増やそうというのが狙いなのだろうが、確かに外人観光客は非常に多かった。しかし観光インバウンドを狙うにこの大道芸人さんたちを集めるにしても、海外のそれとはレベルも規模も随分違うので、正直少し寂しくなった。
ロンドンのコベントリーガーデン付近には過去3~4回しか行っていないが、この手の大道芸人さんが腕磨き鍛錬なのか、やたら居たのを覚えている。
極めて日本的な歌舞伎手品のようなものは確かにユニークだし受けようが、その他の芸はほとんど海外の受け売り・真似から始まるのだろう。もう少し鍛錬が要るような気がしたが観た方々のご意見など訊いてみたいところだ。
という事で、今日は連休記念の団塊世代話・番外編。
渋谷の商店街が都と連携してお金を出して大道芸人に日当形式で出演を依頼したのだろうから、演ずる方も見物人の投げ銭で生計を立てるといった今一歩の真剣さ・必死さがないのは仕方ないかもしれない。システムを少し考えた方がいいような気もする。
海外の例だと、通りすがりの観光客はあまり興味を示さない。この差は何なのだろう?
テレビで最近よく報道される「駅ピアノ」「空港ピアノ」という自由に参加して弾いてよい放置ピアノで、時々音楽学校生や将来の音楽家の卵などが滅茶苦茶うまい演奏(素人の耳には・・)をするシーン。こんなのも人の眼やプライドを気にする日本人には良いかもしれない。
雑踏と混雑が大嫌いで、週に一度は大自然の森に身を置かないとストレスが溜まる性格の筆者も、時にはこういう大都会の雑踏の中に人間という「種」の観察をコンデジ片手にするのも良いと思った。1時間が限度だったが・・・。