そういう筆者も2年程八代で小学校・中学校へ行っていながら、熊本市や鹿児島市には幾度も行ったのに人吉市にだけは一度も来なかった。当時は八代市の遥拝の瀬から急に山間部に入る球磨川の上流にまさか人口3万を超える山間都市が存在するとは、想像できなかったのだろう。
人吉市は相良藩人吉城、八代市は肥後藩・八代城(麦島城・地震崩壊後全国で唯一、島津藩対策で許された一国二城目の城)の元発展したので、そもそもそう仲良くてもいけなかったのだろう。しかし人吉と八代の発展は球磨川を通じて成されたのは間違いのない所。
現代においてはもっとそれが進んでも良い筈だと思うが、その手法に関して未だしっかりとした共同作業が行われて来なかったのだろう。これは行わなくても、今まで八代は大企業の工業地帯で充分潤っていたし、人吉はそれなりのユニークさで充分独立できていたためと思われる。
しかしこれからはそうはいかないだろう。巨大なクルーズ船が八代外港に幾ら来ようと、観光客は八代にお金は落とさず通過するだけ、人吉も一番近い観光地でありながら、熊本や菊池、阿蘇、天草に客を取られっぱなしだ。
朝焼けと川霧が素晴らしい人吉市
夕陽が素晴らしい西に位置する八代市、この両市を結ぶのが清流球磨川
筆者が大手広告代理店に勤務し、2003年頃九州新幹線開業を控えて八代市の観光活性化のプロジェクトを仰せつかった際、八代市を熊本県南のゲートシティとして、人吉球磨エリアへ観光客を繋げるべきという提案を行ったが、残念ながら実際には何も動かなかった。
何かの参考に成ればと思うが、当時一度も人吉球磨へ足を入れた事が無くても、この程度の発想をして居た自分に驚いた。
例えば、2002年頃、元八代二中の小沢年満先生が個人保有していた蒸気機関車・C11-190が現在静岡県の大井川鉄道を走っている。今SL人吉号を牽引している8620型の蒸気機関車はテンダー機関車で一方方向へしか走れない為ターンテーブルが無ければ方向を変えられない。
しかし、大井川鉄道はこの8620型を保有していない、しかしC11は2両ある。これらを等価交換(貸借でも構わないと思う)する事で、C11 が熊本のJRに来ればくまがわ鉄道の湯前駅まで行って戻って来られる。 もしこの運行が出来れば、相当数の鉄道ファン・写真撮影ファンが人吉球磨エリアへ入り込むだろう。費用対効果を計算して可能であればチャレンジするのも良いのではないだろうか?
八代二中時代の恩師・小澤年満先生(1931-2014) 元教員・熊本県八代市出身。蒸気機関車現役時代の姿を長年記録し続け、熊本機関区に最後まで残った1両[C11 190]を私財を投じ個人で保存されていました。同機は20数年の時を経て大井川鐵道で復活運転中。。2003年4月ご自宅訪問の際の撮影。
球磨川という知名度の高い河川が結ぶ熊本県南の2都市。世の中の観光業界が放って置かないユニークな展開が出来ると思うのだが如何だろう。