しかし、毎年ヤマセミを観察していて思う事だが、自然の脅威の前では親の子育てはスパルタ教育が絶対的に正しい。常に目の前に「死」が待っている野生動物の生息は本当に微妙な環境バランスの上に立っているからだ。
まずは天敵の餌食になる脅威。同時に例年以上の大雨増水、あるいはその逆の雨量不足で渇水が続くことによる川苔不作、川虫の育成不良によりそれらを食料とするアユやヤマメなど川魚の減少、これらを獲物とするヤマセミ、カワセミ、サギ類の繁殖不良が連鎖反応として発生する。
野生動物の保護!とメディアや自然保護団体が「良い子」になって声高に騒ぐが、自然淘汰を含めて野生動物の増減は殆ど人間の手の届かない所で微妙なバランスの上に成り立っていると確信している。
人間と異なって、野生動物の子育てにおけるスパルタ方式には意味があるし効果も早く大きい。親が子供に辛く当たれ(そう見えるだけで)ば、細かい理由や事情も分からないくせに、廻りやメディアが鬼の首を取ったように「虐待だ!虐待だ!」と騒ぐ人間社会とは全然違うヤマセミの幼鳥教育。人間もその一部は見習うべきだと思う。
まず、必ずオス・メス両親が必ず揃って協力して子育てを行う。時には前の年生まれた子供でつがいに成らなかった独身のヤマセミ(今年生まれの幼鳥の兄弟姉妹)が両親の子育てのサポートをする事まで判って来ている。
ヤマセミは片親だけでは殆ど子育てをしない。オス、メスどちらかが何らかの理由(死亡・怪我)で居なくなっても数日で別の相手が出て来る。たとえ前年の子供でもつがいの相手(新しい親)になる可能性が在るのだ。何はさておき、繁殖子育ては野生動物に関しては絶対的第一位の優先事項なのだ。
我慢する事をせず、己の感情のまま我が儘を通し、子育ての途中でつがいの相手と別れてしまう人間の何と無責任な事か!ヤマセミの振り視て我がふり直せ!と声を大きくして言いたい。
子育て時期に1週間ほど連続で詳しく観察すると、メス親がメスの幼鳥を、オス親がオスの幼鳥を引率して教育する事が多いが、絶対とは言えない。今回もそうでないシーンを幾つかレポートした通り。
流域の広い球磨川本流ではファミリー全部が同時に集まってワイワイやりながらの子育てはほんの10日間だけで、後は親子ごとのペアーに成って広い流域に分散(それでも、せいぜい1km四方)して個別指導に入る。
偶然にそういう姿を観察出来た方は、実はヤマセミの子育ての「ある一部分」だけをたまたま観察できただけで、そのシーンだけからヤマセミ全体の生態を推し量ってはいけないという事になる。もっと奥は深いのだ。
で、今日は二日前までのスパルタ教育を行って見せてくれたオス親とメスの幼鳥のその後の様子。そのオス親が小突いて叱った娘(幼鳥メス)にさらにうるさく言って聞かせる場面。もう画面にマンガのような吹き出しを付けたくなるような場面だ。
あれだけ叱って躾をしたはずなのに幼鳥メスはまだぐずっている。
何かを言いたそうに親の方を向いた。
羽を広げて威嚇しながら、
耳元?に向かって再びどやしつけるヤマセミ父親。
これで、叱りつけるスパルタ教育のシーンはおしまいにしようと思う。