全国から人吉へヤマセミ撮影、観察に来られる方でこの方にお世話人在った方も随分いると思われる。
人吉市西間下町にお住いの古江之人さんがその方だ。奥様の昌子さんと一緒に数十年前、20世紀から球磨川流域の野鳥に関する定点観察をされてきた。
人吉駅前のPRスペースでヤマセミ中心の写真展示を行っている古江さんご夫妻。奥様の昌子さんはお茶の先生で、なおかつ呉服業界のプロ、同時に御手製の菓子創作がお得意のパティシエだ。
その記録をちょうど10年程前2007年に「球磨路の野鳥たち」というタイトルでまとめ自費出版されている。そのやわらかいタイトルに比べ内容は学術的にも非常に貴重なものばかりで、オーストラリアから来日したキアシシギの研究家アラン・スチュアート氏などからも絶賛された資料だ。
筆者がヤマセミにハマったのも間違いなくこの古江さんが居られたから。見習うべき行動力、情報収集力、幅広い人脈、単に干支が同じ鼠年で一回り先輩というだけではなく、その経験値と人格は「我が振り直す」に非常に良いお手本的存在だ。
個人的のみならず、野鳥観察、撮影時におけるルール・マナーに関しても学ぶべきことの多い模範者だ。地元の情報誌などに定期的に野鳥の記事を掲載、解説されている姿を見て筆者も強く影響を受け、SNS(WEBサイト・ブログ・Twitter/Facebook)で情報発信を心がけ始めたのだ。
今年3月、ウグイスに続いて人吉市のシンボル野鳥に制定されたヤマセミ。この運動の原動力がまさに今日の古江之人さんなのだ。動きは2006年頃にさかのぼる。1980年代から球磨川流域、特に人吉市内の野鳥をご自宅の二階(これが球磨川を眼下に左右2kmを一望に出来る絶好の環境なのだ)からの観察中心に、人吉盆地全域を車で巡回し人吉市におけるヤマセミの特異性を発見されたのだろう。
2010年4月1日、初めて人吉に来てその日の夕方、生でヤマセミに遭遇できた筆者も、翌日球磨川土手で初めてお逢いした古江さんから話をお聴きし、全力を挙げて「ヤマセミを人吉市の鳥に!」の運動をサポートしようと、支援を開始した。
7年間は掛かったが、人吉市の前市長も現在の市長も応援して下さり、ついに今年の3月1日付で市の公式発表となった。たかがシンボル野鳥にヤマセミが制定されただけ…と思われる方も多いとは思うが、実際当事者としてサポートを行ってみると、決して多くはないが反対の声もあったりしてなかなか難しい事ではあった。
最初の画像にも奥に見えるが、古江さんが一時主宰されていたWEBサイト(現在は閉鎖)に掲載されていたのを偶然見て、大変魅かれたのがこの写真。筆者の最初のヤマセミ写真集にも無理をお願いして掲載させて頂いた。本来山奥に居るはずのヤマセミが川舟に二羽でとまっている・・・これは只事ではない!是非人吉へ行ってみようと思ったのが人吉市との縁のきっかけの一つだ。
人吉最初の宿泊先のフロントで頂いた人吉市の野鳥マップ。この裏面に掲載されている地図上のヤマセミマークを観て球磨川土手に赴いたところ偶然お逢いしたのが古江さんだった。なおかつ、このマップをお作りに成ったご本人だったのは、今考えてもまさに運命の奇跡としか思えない。
平成19年、つまり2007年今からちょうど10年前に自費出版された「球磨路の野鳥たち」此処まで詳しい定点観察データとしては類を見ない学術書だ。
その古江さんに褒めて頂いた初心者の自分としては、有頂天になった初期のヤマセミのジャンプ写真。
人吉の知識人ナンバーワンの前田一洋さんといっしょに。
クロツラヘラサギの研究では世界的権威の高野茂樹博士と一緒に。
古江さん人吉高校の同級生と一緒に。
今年はRKKラジオ熊本の「球磨川スピリッツ」に呼ばれ、計5週分の収録を古江さんのお宅でさせて頂いた。
毎日車でヤマセミの生態を巡回してメールで教えて下さる。辻先生ご夫妻共々感謝に耐えない。