2017年10月14日土曜日

団塊世代は「動物園」の在り方を疑問視する。Baby-boomer is wondering and think about recent Zoo.

 一年半ぶりに東京西部・吉祥寺に在る「井の頭自然文化園」へ行ってみた。此処には1947年つまり昭和22年に「戦争で傷着いた子ども達の心を嫌そう」とタイの有志家が日本へ寄贈したアジアゾウのはな子が長い事居て、筆者も小学校3年生9歳の頃逢って以来58年振りに昨年2月逢いに行った所だった。
 しかしなんと!半世紀以上ぶりの再会を果たしたその3か月後にはな子は死亡してしまい、相当なショックを受けたものだ。その会いに行った日のブログは以下をクリックすればご覧頂ける。ご高覧頂ければ大変嬉しい。
http://yamasemiweb.blogspot.jp/2016/02/i-went-to-meet-hanako-of-elephant-and.html

 で、その日のこのブログは、その際発見した鳥の厩舎に入れられている普通の野鳥たちの事を中心に嘆いて書いたのだが、今日は更に「動物園」そのものの存在を問う内容で、改めて書いてみた。

 これは単なる思い付きで書いたものではなく、団塊世代の自然環境や環境問題、子供たちの教育に関して知識の豊富な友人達と幾度か話し合った結果なども加味している。

 昭和の戦前・戦後の頃、テレビも無ければインターネットもない時代、ましてや新しいモノを知っている事を自慢する若者たちの飛びついたVR(virtual reality=仮想現実・人工現実感)といった仮想立体映像装置もない頃、大きな象や獰猛なライオン・トラといった猛獣などを子供たちが知るには映画や絵本といったメディアしかなかった。
 それに比べ現在は、実際に行ってみるととても不気味で怖いのだが、上野の国立自然科学博物館で世界中の色々な動物(剥製)を観る事が出来る。
上野の森に行くとどちらかというと、美術館よりこの国立科学博物館や不忍池の方に足が向く筆者だ。

海外の自然博物館担当者が驚くほどの素晴らしいはく製のコレクション。だが部屋の電気が薄暗い時にここへ来るとちょっとビビる。

 映画で言えば・・・、

 ウォルト・ディズニーの造った映画「百獣の王ライオン=1956年」「滅びゆく大草原=1957年」や「砂漠は生きている=1953年」あるいはテレビ番組「ウォルト・ディズニー」の冒険の国で放映した「ビーバーの谷」や「大自然の片隅」など短編記録映画で育った我々団塊世代は生の動物に接しなくても幾らでも動植物に興味を示して来た。
ウォルト・ディズニー「砂漠は生きている=1953年」

ウォルト・ディズニー「百獣の王ライオン=1956年」

勿論、筆者も上野動物園には幾度も連れて行ってもらったが、まだ幼い頃で動物そのものを観るというだけで、その動物が貴重だとか、本来どこに住んでいるのかなどは判らなかった。当たり前だ、子供の頭の中にはアフリカだのアマゾン流域などという認識は殆ど無いのだから。
 地球の地理や自然環境を理解せずに、目の前の檻の中の動物を単体で観ても子供にとってはあまり意味は無いのだ。ただ動く生の動物を教えるのであれば家畜で充分なはずだ。むしろ動物園の臭いニオイがいつまでも頭にこびりついていた。

 しかし、現在は毎週日曜日、夜NHK総合TV7時のニュースの後「ダーウィンが来た!」で思う存分世界中の動物の生態を観る事が出来る。見逃してもNHKのアーカイブで幾らでも見直せる。
 更にはYOUTUBE を経由してありとあらゆる動物に関する記録映像をPCやTVのハイヴィジョンや4Kの大型液晶画面で観られる。

 団塊世代が育った昭和20年代、30年代とは情報量も視聴機会も雲泥の差だ。果たして、これだけの環境進化の中で生の動物を檻に閉じ込めて見世物にする動物園が必要なのか?という事が今回のテーマだ。

 去年の2月8日付のこのブログでご紹介した通り、吉祥寺の自然文化園ではシジュウカラ、ウグイス、ホオジロ、コゲラ、アオゲラ、オナガなど武蔵野の野川流域に行きさえすれば幾らでも観られる野鳥まで檻に入れられている。
そこいら辺に居る野鳥を入れた鳥小屋


コゲラに至っては自然文化園の中のすぐ傍の樹でもズーィツと野生コゲラが鳴いていた。

何度もブログで取りあげたウグイス。藪に隠れられずストレスが溜まっている事だろう。すぐ横の井の頭公園の藪の中ではチャッチャッと野生のウグイスが鳴いて飛びまわっているのに可哀想で仕方がない。

もうこうなると、ジュウシマツや文鳥の様な飼い鳥と変わらない。

去年も今年も金網の同じ場所にしがみついていた。

これも、幾度もブログで生態を紹介したオナガ。こちらを見つめる訴えるような眼をそう長く見ていられなかった。夕方になるとオナガの仲間が傍に来るという。
折しも訪れた時間、自然文化園上空に篭脱け野生化の元鑑賞用大型インコのワカケホンセイインコ数羽が自由に飛び交い鳴きあっていた。これでは全く逆ではないか?

 果たして今の子供達、このような不自然な状態で展示した住宅街でも観られるような生の野鳥を、お金を払ってまで見せる必要があるだろうか?やはり生息している自然背景と共に、しかもどのくらいの生息密度で、なおかつ何時が一番観察しやすいかなどと共に見せ観察させるのが必要なのではないだろうか?