昼の時間帯には居ない見慣れない若い女性がカウンターで、夕方からスナック営業に成る準備らしき作業をしていた。そうしたらママからこういう話を切り出されたのだ。「アンタ、ポルノ映画の男優やらない?」
この時期1981年の頃、巷にはまだAV(=アダルトビデオ)という言葉は存在しない。ポルノ映画、ポルノビデオと呼ばれるジャンルがあったくらいで、アダルトビデオという言葉が定着したのは、1983年以降一般家庭にVHSやベータマックスなどの3/4インチ家庭用ビデオデッキが普及して以降の事だ。
正直、一度も観た事が無いが流行っていたのは知っている。Googleフリー画像
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出張先のビジネスホテルで100円玉を入れると15分だけエッチなビデオを観られたのを、それもテープの使い過ぎ劣化で画面が荒れて、水中の絵のようなエッチビデオを観なければいけなかったという、残念な経験を昨日のように覚えておいでの団塊諸君も沢山居よう。
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「何でまた?それに、なんで俺なの?」と訊いたのは当然だろう。
で、詳しい話を訊いたら、なんとその店で夜働いている若い女の子が、実はポルノ女優だという。実はママの親類なのか縁者で、夜お酒を出す時間帯だけ手伝いに来てもらっているという。そうしてその娘が相手役としてこの筆者にお願いしたいと言っているというのだ。何という事!こちらは逢った事も無いと思っていたが、昼の時間帯に時々手伝って筆者の事を観ていたらしい。しかし、こちらは全く記憶になかった。
なぜ筆者なのだ・・、という理由は、いつも陽に焼けてスポーツマンタイプの体系だからだという事で、決してハンサムだからという理由ではなかったのは、今想い出しても残念だ。
「陽に焼けている?」それは、毎週、週末には湘南に行ってウインドサーフィンに狂い始めの頃だから、夏だろうが冬だろうが日焼けしてしまうのはしょうがない事だった。決して、当時流行っていた街中の日焼けサロンで、無理やり紫外線を浴びて焼いた訳でも無く、天然の天日干しだったので、68歳に成った今は背中も顔もシミだらけだ。
もうその瞬間から、断る理由を考え始めていたのは確かだ。たとえ相手の女優が可愛かろうがグラマーだろうが、映画に顔が出てしまえば、毎日この店で昼休みにたむろする同僚から何と言われるか目に見えていたし、二度とクラス会や同期会になど出席出来なくなってしまう。億の金を目の前に積まれても断ろうと思い、念のためギャラを訊いたら、何とたったの10万円だという。
しばらく耳垢を掃除していなかったので、聴き間違いかと思ったが、訊き直しても額は変らなかった。で、女優は?と訊くと100万円だという。「何それ?」だった。そんな男女差別があっていいのだろうか?
今でこそAV産業は大きな市場で成り手は山ほど居るが、当時は未だポルノ女優に勇気を出してなろうという美女はあまり居なかったらしい。一方で男優志願者はいくらでも居たという。ギャラ無しでも良いから是非!というツワモノまで居たという。なんと後でこっそりママから聞いた話では、我が社にそういう男優希望者が居たらしいが、相手が嫌がったという事で立ち消えたとの事、勿論誰とはとても言えない。
断る理由は簡単だった…というより、その場で上半身裸に成って見せたのだ。別にカウンターの向こうに居る女優さんに体を見せたかった訳では無い。最後のTシャツを脱ぐと、ママとその女優さんが同時に声を上げた!「ウッソー、ダメじゃんこれじゃ!」
それはそうだろう。腕は黒いし顔も黒いが、胴体にウエットスーツの跡がくっきり白く残ったままなのだ。決して背中に大きな牡丹や天女、あるいは登り龍の彫り物がしてあった訳では無い。つまり裸に成るとウエットスーツを普段着ている部分だけランニングシャツのように白いのだ。まさか色っぽいベッドシーンでウエットスーツの日焼け跡だけくっきり白いツートンカラーの男が絡んでいてはポルノ映画も台無しだろう?
ウインドサーフィンしながらルアーを流して釣れた魚、オアフ島カイルアで。
夏のスタイルでもこのようにベストタイプのウエットスーツを着ていた。
ポルノだのAVに関しては、残念ながら広告代理店の仕事上でも関わった事は無かったが、我が母校横浜国立大学教育学部美術専攻科の後輩に、黒木香という馬鹿丁寧なしゃべりと脇毛で有名になったAV女優さんがこの後出現して、大いに慌てたのを記憶している。
黒木香のテレフォンカード Googleフリー画像
色々話題に成ったらしいが、詳細は知らない。 Googleフリー画像
残念ながら大学美術科同窓会の名簿に彼女の名前は無い。