2016年9月19日月曜日

団塊世代の「敬老の日」外伝! The Baby-boomer think about Respect for the Aged Day.

 以前(1966~2003年)は毎年9月15日が敬老の日だった。2004年から年間の休日が土曜・日曜にダブって祝日の意味が無くならない様9月の第3週月曜日が此の敬老の日になり、年間で土日+祝日の3連休のセットが増えた。

 今朝の各新聞朝刊は「敬老の日」特集記事が必ず掲載されている事だろう。しかし、その記事を書いている本人達は団塊世代などの65歳以上ではない。ほとんどが団塊ジュニアと呼ばれる前後の働き盛りだろう。

 今朝の読売新聞の記事によると、今の70歳以下の高齢者たちは自分の事を年寄りとは思っていないそうだ。認知症やボケ、あるいは体が思う通り利かなくなって動き辛い人もいる一方で、スマホやパソコンをマスターし、常に外出し元気に動き回っている者も多い。

2016年9月19日敬老の日の読売新聞朝刊記事。

何とかギリギリ介護を要さない一人歩き高齢者達も、動作は以前の2倍3倍掛かってしまうから、朝10時過ぎの武蔵野の小田急路線バスなどは駅まで出るのに普段の倍の時間が掛かる。バス会社は高齢者が車内で転んで訴えられでもしたら嫌だから、乗降時に車内で転ばぬよう「皆さんバスが完全に停車するまで席を立たぬよう・・。」とアナウンスするようなって久しい。

 実はこれが大問題で、屈強で元気な若者達までバスが停車するまで席を立たなくなってしまった。元々満席で立っている者で一杯の場合はどうなんだ?等と誰も考えないのだろう。マイクで「席を立たない様に!」と注意するのは良いが、満席で立っている者にはどう対処するのだ?矛盾だらけだろう?と思う。

 これが最近日常の首都圏を混乱に陥れているのをご存じだろうか?「バスが完全に停車するまで席を立たぬよう・・。」と刷り込まれた乗客たちは、ロボットのように通勤電車車内でもこれを実践してしまうのだ。JRや私鉄、地下鉄では車内で一言もそんなアナウンスをしていない。これがどういう弊害を生んでいるか体験した方も少なくないだろう。もっとも車が日常の移動手段で、通勤電車や大都市の地下鉄に頻繁に乗る方でないとこの実感はないかもしれない。

 どういう事が起きているかというと、特に若者たちが「バスも電車も同じだろう?」と電車が駅のホームに着いて停まるまで席を立たないのだ。しかしホームには「どこか席は空いていないだろうか?」空いていたら我先に座ろうと思っている客がダッシュ寸前の状態で待ち受けているのだ。車中で駅に着くギリギリまでスマホを見ながら座っている人達の動作は余計遅くなっている。「さあ着いたから降りようか・・。」等とのんびり席を立ってドアへ向かおうとする「トロイ=動作の鈍い」客はまともに乗って来た乗客のじゃまな障害物に成る。たいがい「もたもたしてんじゃねーよ!」とか言われて飛ばされるか正面衝突をする。

 中には電車から降りる時もスマホから目を離さない者も居る、ほとんどが学生風の乗客だ。こういう乗客には筆者もかまわず体当たりする事が多い。降りる客より乗り込む客の方が多い駅では、結局目的の駅で降りられないで、次の駅まで持って行かれる者も居る。自業自得なのだがそういう者に限って反省せず何度も繰り返すという。

 通常人間は1対1でぶつかりそうに成ると、自然と衝突を避けようと回避行動を取る。これはマナーの酷い中国人でも大体においてそうする。しかし電車の乗降時、特に乗降客数の多い乗換駅等ではそうはいかない。混んでいる車内で、声を掛けあい譲り合って降りる客が出口に近いエリアに徐々に進んでおく・・という習慣はいつ消えてしまったのだろう?

 話を戻そう。

 20年ほど前、広告代理店勤務時代の事。「どういう症状が出たら歳を感ずる?」というのが在って30項目ほど老けた自覚動作というのが在った。最近もこの手は結構あるようだが、少し内容が変わってきている。
http://matome.naver.jp/odai/2138907475821284701?&page=1

 例えば、座る時「どっこいしょ!」と声を出す。風呂の湯船に入る時に「つゎーっ!」だの「ホ~ッ!」だの思わず声が出る。銭湯などで風呂上りに牛乳を飲む際、腰に手を当ててグビグビ飲む・・・。メガネ、メガネと探し回って、己の頭に乗せているのに気が付かない。置き忘れが激しい、2階から1階に降りて来て「ハテ?自分は何をする為に降りてきたのだろう?」あるいは目の前に居る人の名前が出てこない、話の中の映画俳優の名や映画の題名が出てこない。話をしていて、この数秒後話そうと思っていたネタ・内容をほんの一瞬で忘れてしまう・・・などなど。

 これらに日々対処しつつ、生きて行くのが高齢者の定めなのだ。もうこれを克服するのは、各自日々の努力と訓練。己の立ち位置の自覚と少しの諦め、己の限界の悟りだろうか?50歳を超えた辺りから精神的にも肉体的も個人差が激しくなる。他人を見て己を卑下してもしょうがない。

 あのエネルギーの塊のような体育会系タレント・松岡修造だってあと17年で65歳・前期高齢者だ。彼が65歳になった時どうなるだろう?ある意味理想的な歳の取り方をしていて欲しいとは思う。むろんプライベートではメディアに出ている時のままの行動・生活ではないと思うが・・・。

 人間、つい150年前までは馬力、人力、自然力に頼って生きていた。産業革命・明治維新以降を経て、いつの間にか機械・文明の利器による恩恵で生活するようになった。例えばエスカレーターや歩く歩道、電車・車や航空機で移動しスマホで情報を得、すべてが便利に成り下手をすれば「紙幣・コイン」すら不要になりつつある。

 しかし逆に考えればどんどん「便利」という麻薬によって人間は脳も体も退化し始めている。今現在の長寿・寿命は此の影響もあってこの先ドンドン短く低くなるというデータも出ている。

 世の中の便利は動物としての人類退化の最大の要因・・・・と言われ始めてもいる「今」、高齢者と敬老の日をこの際各自で再認識してみたら如何だろう?

今日のおまけ= http://xn--n4x78da08sj80b.com/liability/character01/