しかし、世田谷の中学校で生物部に所属していたくせに、動物に関しては意外にも接することがあまり無かった。せいぜい自宅で飼っていた歴代の犬(シェパード、コリー、芝雑種、豆芝)と、時々部屋に飛び込む蝶と極稀に部屋の隅にチラ見するゴキちゃんくらいが身近な生き物だった。
3年に一度ほど顔を出す小さなゴキちゃん!
それが、21世紀になった頃、小学校のクラス会で「私は日本にいる野鳥の殆どは視たわっ!」という自慢気で小生意気な発言を聴いて「見ただけで自慢されちゃ面白いじゃない?では、こちらはウソだと言えないような証拠写真を添えて野鳥を観てやろうじゃないの?」という、酒も飲めないのに酔った勢いのような感じで、野鳥の世界に入り込んだのだから、これ以上不純な動機はなかろうと思う。
春先の住宅地では巣作りで洗濯物ハンガーを咥えたカラスを良く見かける。
しかし、野鳥の世界はそれこそ幅が広くてワイルドで、なおかつ奥が深かった。底なし沼の様で到達点が見えない。嵌まれば嵌まるほどフラクタル画面の様に次々に新しい世界が広がるのだ。手探りの暗闇の様な気もする。その昔、我が父に「お母さんと結婚した時はどんな感じだったの?」と訊いたら、「そーだな、真っ暗闇でカラスに出遭った感じ・・・かな?」と訳が判らない事を言っていたが、今やっとそれが判った気がする。・・・・って、ちょっと違うか?
話を戻そう・・。
最初にカメラを向けた野鳥は、今は地震で崩壊した熊本城の長塀の前の坪井川、その堤防に居たカワセミだ。久しぶりに担当出来そうだった熊本で開催の全国菓子博覧会熊本大会の仕事を「新庄は熊本に知り合いが多いし、土地勘があるので一人だけ良い思いをしそうだから外そう」という広告代理店特有のジェラシーから担当を外された。開催副会長で八代・彦一本舗の飯田哲君は八代二中のクラスメートだし、大会名誉総裁は言わずと知れた我がスキーの師・お髭の殿下だった。
2002年全国菓子博覧会熊本 熊本城がメイン会場になった。一部グランメッセ熊本も展示会場になったが、お菓子の試食は有るのに、お茶が出ないと来場者からの我が儘クレームは手厳しかった。
結局、我が広告代理店の担当部長のジェラシーから外されたにも拘らず、「新庄よ、何で一時期熊本で育ったお前が担当出来ない?」と名誉総裁の宮様に言われ、複雑な事情を説明すると「それなら俺が招待してやるから来い!」と胸に大きな菊の胸章を付けて開会式で来賓席に座る事に成ってしまった。
当日、勤めていた広告代理店の取締役以下、九州支社長、担当部長ら同僚を壇上から見下ろし唖然とさせたものだった。前振りが長くなったが、要はその際に初めて熊本城を観て腰を抜かし、その出張中数度、市役所の前でカワセミに出遭ったのが野鳥の世界への入り口だったのだ。実は筆者のヤマセミ病はこの時始まったと言って良い。
最初に生でカワセミを観たのがこの熊本城・長塀(地震で崩落)前の坪井川。
最初は広告代理店的な勘違いで感心した。都会の真ん中に観光の為だろう、堤防にカワセミの置物が間隔を開けて置いてある!・・・こう思ったのだ。 で、傍へ寄ったら飛んで逃げたのだ。まー驚いた!都会のど真ん中、それも市役所の前の川で本物の野鳥だとは夢にも思わなかった。後で思ったのだが東京の人間はそれ程普段大自然から遠ざかっていたのだ。
野鳥に詳しくない一般の観光客は絶対に観光活性化の為の置物だと思う。
いずれも熊本市役所前の坪井川で真夏の昼休みに撮影した画像。
この手の野鳥病は罹ってしまった当初の初期症状が激しい。どこかのブログで昔読んだことが有るが、第一次野鳥病症候群というのが在る。壊れた自転車のバンドブレーキ音のチーッ、キーッ!という音がカワセミの鳴き声に聴こえるのだ。勿論ベテランは笑って「違いますっ!」というだろうが、カワセミに夢中になった初心者にとっては町のあちこちで誰かが自転車がブレーキを掛けると腰が浮き、其処かしこでカワセミが飛んでいるような気になるのだから不思議だ。もうそうなったら付ける薬は無いし、完治までには相当時間がかかるとみて良い。
カワセミではないが、江津湖で写真を撮り始めてこういう事が有った。朝早くジョギングや散歩の人達と「お早うございまーす!」とあいさつを交わしながら神水(くわみず)の駐車場付近で、聴きなれない鳥の鳴き声が聞こえてきたのだ。さー、何だろう?50-500のシグマレンズを付けたOLYMPUSの一眼レフデジカメを首から下げたままその声のする方へ走った走った。いったん途切れたが、また別の聴きなれないのが鳴き始めた。方向はほぼ同じだ。
大学時代のサッカーと社会人になっての5年間のアイスホッケーと25年間のウインドサーフィンのお陰で体力と持続力には自信があった。そうして住宅街を走り抜けてその鳴き声がする所に出たら、熊本市電の走る交差点だった。初めて聴いた野鳥の声は何と信号機の「ピヨッピヨッ」という野鳥の声を真似た音声だった。信号機の音を未知の野鳥の鳴き声だと疑わず走った自分に呆れボー然とカメラを提げたまま立ち尽くすだけだった。通りがかりの人に「渡らないの?」とでも訊かれたらその場に崩れただろうと思う。
この時のショックが2012年に写真集「江津湖の野鳥」自費出版に繋がる。