最近はSNS Twitterやスマホ・メールでこれを「アケオメコトヨロ」と打って済ますらしい、軽薄短小な人種が如何に増えたかの証だろうか?
昔の人は言いました。一年の計は元旦にあり! でも、これって本当?昔の正月と今の正月が如何に違うか検証してみると非常に面白い。
昭和の時代は大晦日はまだ東京宝塚劇場で開催されていたNHK紅白歌合戦を茶の間で見ながら、年越し蕎麦の仕込をしてオオトリの美空ひばりか三波春夫か森進一を聴いて過ごすのが「お約束」だった。
日本野鳥の会のメンバーがカウンターで赤か白かをカウントするのを見た後、画面がいきなり雪の東北か日本海側の山寺のシーンになって厳かな画面で心を清め、京都の知恩院の除夜の鐘を聴いて正月へと15分間のインターバルで脳を切り替えると言うのが「あたりまえ」だった。
これがいつの間にか全然違う様相になっているようだ。
一人で聴かせる歌手が激減し、いつの頃からか学芸会の出し物のような、ミニスカートの合唱隊、もしくはステージで首を振り振り踊りながら替わり変り先頭の者が歌う合唱団ばかりになってしまった。ここ数年は昭和時代に一旦流行ったヒット曲を、厚化粧でやっと原型を保っているような往年の歌手が出てきたりして、バーチャルなのかリアルなのか、もう訳の判らない紅白歌合戦になってしまっているようだ。
歌手の歌を聴くより、人気者の司会者が台詞や歌手の名前をトチル場面を期待する事の方が狙いだったりして、歌合戦だった頃とは全然趣も変ってしまったのだろう。筆者自身紅白を最初から最後まで通して観たのは1966年が最後だった。
昨日、夕方から今年最後の10kmジョギングをした。走りながら各家々の門松や正月しめ飾りを飾った玄関を横目で見ながらカウントしてみた。勿論そう正確ではないが、見た感じでは門松を門柱に飾った家は昔のタイプの家が多く、家の前に駐車スペースを配して建てた最近の家は門が無いので、玄関のドアにクリスマスリースのように、しめ飾りを付けているようだった。その両方を飾った家は100件ほど見た中ではたったの3軒しかなかった。だんだん祝い事は簡素化しているようだ。
ハローウィーンやクリスマスのかぼちゃやLED・電飾デコレーション等、いわば異教徒の祭りは年々盛んになるのに、日本古来の祝い事はどんどん廃れて行くようだ。本当はこれで良い訳は無いのだが、冠婚葬祭、特に宗教がらみのそれが風前の灯だという現実は、団塊世代の終活に大きな関係があるような気がする。
別に、一年の計を元旦に立てている訳ではないが、今年もこのYAMASEMI WEB BLOGを是非ご贔屓にお願いしたい。熊本県の人吉・球磨・八代と東京武蔵野界隈の野鳥の生態写真と団塊世代の話題について、目一杯の取材と撮影を元に一生懸命ブログアップする事をお約束する。
そんな訳で、2016年の元旦は武蔵野住宅街、近所の野川エリアの野鳥のオンパレード!
最初はやはり三鷹・武蔵野に多いオナガから。カササギやカケスの仲間で、この世のものとは思えないような恐竜の鳴き声そのものだという声を出す。
針葉樹が好きらしく、江戸時代からの老舗すき焼き屋・浅草今半の個室の欄間の彩色彫り物にも松に留まるオナガが観られる。
ヒヨドリは勿論朝から晩まで煩く飛びまわる。
家の庭木にみかん等を挿してメジロを呼ぶ家庭が増えた。
10分ほど足を伸ばすと国分寺崖線のハケ沿いを流れる「野川」に出る。殆どの野鳥が観られなくても必ずカワセミだけは遭遇できる。
傍を犬の散歩やジョギングの住民が歩いてもまず逃げない。スマホで撮影しようと子供が寄っても5mくらいまで逃げない事はざらだ。
時おり、ジョギングの途中に対岸からコンデジで狙う筆者を見て、カワセミの存在に気が付く人も居るがチラ見だけで去っていく。それほど当たり前の風景になっている。
カルガモはこの川沿いで繁殖し、カワセミ同様野川のシンボルになっている。
ダイサギ、コサギ、アオサギ、ゴイサギも大体冬季は常駐している。
たまに、足元にタシギがいたりもする。人間との距離が非常に近い都会の野鳥天国なのかも。
自宅に居る時には3日に一度10kmジョギングをこの川沿いで行い体力低下を補っている。台風など嵐の通過後で無い限り迷鳥や珍鳥は訪れない。定番的野鳥しか居ないが、毎年川沿いの2箇所の崖にオオタカとハヤブサが営巣する。チョウゲンボウも住宅街の上を飛ぶが営巣場所は不明。