2015年12月29日火曜日

団塊世代の撮影者・本人にしか判らない「老い」との付き合い方 その3.「終活」 How to deal with the "old" not only to the baby-boomer generation, Part3.

 団塊世代もそろそろ皆66~68歳になった。戦国武士の常識「人生50年」で考えれば、とっくにあの世に行っているはずの年齢だ。ところが昨日のブログのように最近団塊世代の親たちが90歳を超えるまで頑張って生きているのを見るにつけ自分の「終活」は一体いつから始めたら良かろう?と思うような相談を受ける事がある。

 この「終活」と言うのは、2001年頃から始まったいわゆる就職氷河期に「就職活動」を短く表現した「就活」という言い方の派生用語の一つだ。人生の終焉期に当たって本人が事前にやっておくべき「死への準備」の事を指す。こういう物事を短く言うのは愛知県・名古屋近辺以西・関西エリアの文化だと言うが詳しくは判らない。2005年開催の愛知万博「愛・地球博」は「あいち」と言う言葉を隠した合成タイトルだし、関西空港を「かんくう」と言ったり、愛知万博で開通したリニアモーターカーを「リニモ」と呼ぶのもこのたぐいだ。

 で、「終活」以外にも「婚活=結婚の相手探し」「妊活=子造り促進」「保活=保育園に入る準備活動」「離活=スムーズな離婚準備」「転活=転職活動」「朝活=朝始業前時間を自分の趣味活動にあてる」などなど、とどまる所を知らないが覚える暇も無い。いずれも「現代用語の基礎知識」などの出版物、あるいはデジタル版現代用語辞典に掲載されているので、そういい加減な事ではないと思われる。

 この「終活」には幾つかの項目がある。①自分の身の回りのモノの整理・片付け。②葬式を決めておく。③墓を決めておく。④財産(在ればの話)や相続の決め事。⑤以上などを書き綴ったエンディングノートを書き綴っておく事。などがその主な内容だ。後に残された者達に迷惑を掛けまいとして昔から先人達は黙ってこれを行ってきたのだろう。しかし、今は他人への気遣いと言うより「死後も自分の思うとおりに成らないのは嫌だ」という事がベースになっている様だ。

 この中で墓や葬式と言った部分が今一番大きな変革を起こし始めている。いわゆる宗教離れに原因があり、東京などの大都会では相当大きな社会問題になりつつある。年末年始の時期には少しこの話題に関して掘り下げてみようと思う。

 文化庁のデータでは神道1億600万人、仏教9千600万人、キリスト教200万人になっており、合計すると日本の人口の2倍になってしまう。これは日本人の宗教観が世界のほかの国々とは違い実は無宗教に近い性質を持っているからだという。しかし無宗教は無信論者と言う訳ではない。 それは日本の歴史の中で「神も仏も無いものか?」とピンチの際に発する言葉からも判るとおり、色々な神様(仏様)にすがって生きてきた。いわば許容範囲の広い、臨機応変な生き方をしてきた人種だという事が良く判る。

 「自分を助けてくださる神は何でも御すがりしちゃおう!」という、建前より本音で生きてきたのが日本人なのだろうと思う。元々は神道中心だった日本に、文化や文字を伴って中国伝来の仏教が入り、そのうち仏教や神道が政治権力と繋がって庶民を苛めると、祈るだけで救われると言うキリスト教がその隙間を埋めると言った具合に「臨機応変」フレキシブルなのだ。八百万の神(やおよろずのかみ)を地で行く、あの活躍したラグビー日本代表ではないが、宗教もJAPAN WAY=日本式・日本流だったのだろう。

 それが証拠に寺に鳥居が在ったりする所も多いし、八幡大菩薩など神仏合体の神様までいらっしゃる。どこかの寺の檀家であり、なおかつ神社の氏子である家は幾らでも居る。江戸時代末期までは神も仏も一緒に仲良く日本人の拝む対象だったのだ。だから正月は神社を参拝し、葬式でお経を読み生活を営んできたのだ。それに加え今では異教徒の祭典クリスマスやハロウィーンの方が賑やかで、メディアもこぞって取り上げるほど宗教祭事は大混戦状態の日本だもの、宗教の戒律・ルール・決め事など真剣に守る訳が無い国民性なのだ。

 今や神々に頼る程の身の危険が少ない平和で安全な日本だ。この国民性が更に進んで、文化庁のデータでは「何らかの信仰心・信心・神を信じている」人の割合は20%を切っているという。しかもこれが更に団塊世代から急激に激減していると言うのだ。これの直撃を受けているのが、その運営に一番お金の掛かる「仏教界」である事は紛れもない事実。 この先はまた明日以降。


で、今日の野鳥はチョウゲンボウ

 まず最初は不知火海沿岸で出遭ったチョウゲンボウ
遠くの高架は九州新幹線




完全逆光なので良い画像ではないが、その雰囲気だけでもお楽しみを!